OMISOKA, New Year's Eve - overture for wind orchestra
酒井 格 Itaru Sakai (1970- )
-Introduction-
新年を迎え祝う行事や風習は全世界にあるが、日本におけるそれはまた一段と特別なものなのではあるまいか。
いざ迎えてしまえば何ということのない、毎年変わらぬ新年の寿ぎのアッサリした感じとはかなりギャップがある、大みそかのあのワクワクした気分-何とも不思議である。
■楽曲概説
「たなばた」「七五三」とともに酒井 格による年中行事三部作の一つであり、作曲者が大阪音楽大学在学中の1992年に、「夏休みの宿題」(?)として書かれた作品。
急-緩-急-コーダのオーソドックスな序曲形式の中に、魅力的な旋律とさまざまなアイディアを詰め込んだチャーミングなこの作品は「たなばた」に続く吹奏楽作品の2作目であり、大阪音楽大学における作曲者楽友の ”副科” 吹奏楽団演奏会のための作曲され、実際に演奏するごく身近なメンバーを念頭に作曲されたという経緯からも、文字通り「たなばた」とは姉妹作というべきものである。
標題「おおみそか」とは大晦日、即ち12月31日 (且つ、特にその夜) を意味する。
作曲者本人による解説を見ても、童謡「お正月」が引用されていることを除けば、直接的に大晦日の情景を描写するといった音楽ではないことが判る。
しかしながら、「たなばた」の稿で述べたのと同様に、そのバックボーンには我々日本人の大晦日に寄せる想いや慣習、郷愁といったものが反映されているはずなので、まずそれに触れておくこととしたい。
■大晦日
✔大晦日とは
一言で言えば「正月を迎える日」である。
正月に祀られるのはその年を司る「歳神」。本来は初詣より、家に歳神を勧請し年内安全・家内安全を願う=各家で行われる年祝いこそが重要であったのが日本の伝統という。歳神は祖霊であるとか、農神であるとか諸説あるが、その年を守り、さまざまな福をもたらす有難い神であることに変わりはない。
✔年祝いの準備
歳神を迎える年祝いの準備として、各家ともまず煤払いをして家を清め、次に門松を立てる。
門松※ は歳神を案内する依代(よりしろ)である。注連縄(しめなわ)もそれと同様に神様の降臨する神聖な場所を示すものであり、且つ魔除けの役割も果たしている。
さらに本来は家の中に歳神の神座を作る。西日本で拝み松、東日本で歳棚が用意されたというが、今日では省略されることが多く一般的ではなくなった。
しかし、神座に供えられていた鏡餅は今でも正月の祝いに欠かせない。
ともに供える橙や昆布などもさることながら、三種の神器に通じる鏡を模し豊穣への祈りを込めた大きな”餅” こそは、究極の縁起物なのである。
※尚、門松を立てるのは苦に繋がる九の日を避けて12月28日頃が好適とされる。
一方、大晦日に立てるのは「一夜飾り」といって良くないとされる。歳神を迎えるための案内である門松
を、当日慌てて立てるというのは誠意がなく礼を失しているというわけだ。現代では大晦日当日まで正月
祝いの準備に追われがちであるが、実は万事ゆとりをもって迎えるのが本来の姿である。
✔正月は大晦日の夜に始まる そして歳神を迎えるその時間こそが、大晦日であった。
明治以降太陽暦が一般に浸透してから一日の始まりは朝となったが、それ以前の陰陽歴では行事の始まりを日没後としていたからである。従って、歳神の来訪も夜こそがふさわしかったのだ。
大晦日の夜は既に正月、だからその夕食は祝いの膳となった。東北地方の「年越し膳」、長野県伊那地方の「年取り膳」は特に有名だが、他の地域でも鮭・鰤など「年魚」をはじめとする縁起の良いご馳走が並ぶ。
「お節(せち)」はこの年越しの祝い肴であり、重詰めの始まりと云われる。
✔年越し蕎麦
大晦日の食卓といえば、年越し蕎麦を忘れるわけにはいかない。
江戸中期に始まり江戸後期には全国的に広まったらしい。細くて長い蕎麦にあやかり寿命や身長が伸びる、金箔を延ばす台を蕎麦粉で拭うと良く延びるので金運が良くなる、蕎麦は新陳代謝を良くし体内を清浄にする、などの理由で新年を迎えるにあたり食べられるようになったという。
冷たい蕎麦・温かい蕎麦の両方で親しまれているようだ。
✔除夜の鐘と除夜祭
人間の持つ108の煩悩※ を払うとして、大晦日の夜24時が近付くと寺院では除夜の鐘が108つ鳴らされる。
私が子供の頃は紅白歌合戦が終わったNHKはもちろん、民放も民放共同制作版の「ゆく年くる年」を23:45から年越し番組として放映していた (現在はNHKのみ) が、毎年映し出される典型的なシーンが雪降り積もる風景と、この除夜の鐘の風景であった。
否応なしに新年へのカウントダウンが始まったことを感じたものだ。
※上画像 神奈川県横須賀市浦賀 浄土真宗 本願寺派 東教山 乗誓寺
※煩悩:六根(眼・耳・鼻・舌・身・意の6感覚)× 三不同(好・平・悪/感じたものの種類)× 感じ方の程度
(染・浄の2つ)× 三世(過去・現在・未来の3つの時間軸)= 108
神社では夜通し火が焚かれ、神酒や甘酒が振る舞われる除夜祭が行われて無病息災の一年となるよう祈られる。
昔の大晦日は、寝ずに物忌みをして過ごすのが習わしであり、人々は神社に参拝した。これが今も「二年参り」の風習として伝わっている。
新潟・魚沼神社の二年参り 京都・八坂神社のおけら参り
また人々は社前に焚かれた火を分けてもらっていた風習もあり、京都・八坂神社のおけら参りでは、現在でも神社の焚くおけら火を火縄につけて持ち帰る。
その火でお雑煮を作って無病息災を願うのである。私自身この火縄を持ち帰った経験があるが、凛とした寒さの京の正月未明に、何とも云えない風情を添えるものであった。
✔広重の描いた大晦日
歌川 広重の名作「名所江戸百景」には、やはり大晦日を題材にしたものもある。「王子装束ゑの木大晦日の狐火」である。
本作は東京都北区王子にある王子稲荷に纏わる伝承を基に描かれている。当時この一帯は田園が広がっていたが、大晦日になるとその中に聳え立つ榎の大木に狐達が集まり、威儀を正して関東八州の総本山たる王子稲荷に参拝していたという。
大晦日の賑わいが遠くから見ると狐火に見えたのだという現実的な見方もあるようだが、四季折々の名所絵の中にこのようなファンタジーを持ち込んだ傑作であり、狐の姿がとりわけ神秘的な雰囲気を漂わせると評される。
これもまた大晦日に対する我々日本人の想いを映し出したものと云えよう。
尚、描かれた榎の大木は、明治中期に枯れてしまったがその巨大な朽木は大正8年の写真に収められており、実在のものである。
【出典・参考】
「しきたりの日本文化」神埼宣武 著 (角川ソフィア文庫)
「図解 日本のしきたりがよくわかる本」日本の暮らし研究会 著 (PHP研究所)
「日本を楽しむ年中行事」三越 著 (かんき出版)
「今とむかし廣重名所江戸百景帖」(暮らしの手帖社)
浮世絵ぎゃらりい秋華洞 HP
■楽曲解説
大晦日を経て新年を迎える、というのは非常に特殊なシチュエーションだ。
元旦を迎えると -いや、大晦日の24時を回って新年になった瞬間に、皆が口を揃えて
「(明けまして) おめでとうございます」と祝詞を交わすのだから。
本来”おめでたい”ことは人それぞれのはずなのに、この時ばかりは皆が等しく新たな年を迎えたことを慶びあうのである.
大晦日はまた、家族が一同に会しその絆を確かめあい深める機会でもある。新年とその序章である大晦日の夜には、どんなに忙しい人にもまとまった休みが用意されたことから安らぎがあり、新年を寿ぐご馳走があり、ハッピーな時間が約束されている。(少なくともそのイメージが充満している。)
大晦日という日は年祝いに向けた準備の最後の仕上げに慌ただしくも、誰もが浮き浮きとした気分に包まれ、街は賑やかに華やいで、家ではおせちをはじめとしたご馳走が次々と出来上がり…迫る新年にその居を正す感じと、お祭り騒ぎな感じとが混然となるのが何とも心地よい。
誰もが子供の頃、新年の 0:00 を初めて起きて迎えた際には来る瞬間に心ときめき、実際には何が起こるでもないことに「な~んだ」と思った経験があるのでは?そんな中で、親しい人々に囲まれた何とも言えぬ安寧や喜びに穏やかな幸福感を感じ、そして「心新たにまた一年」という前向きな希望に満ちた活気に包まれたのではないだろうか。
この「おおみそか」という楽曲も、終始浮き浮きとした気分に貫かれている。大晦日に誰もが接するあの”幸福感”と”希望に満ちた活気”とに裏打ちされているように感じられて已まない。そこが最大の魅力であろう。
さらにロマンティックな中間部では、はにかみながら「今年もよろしくお願いします」なんて ”改まった” 言葉を交わす、大晦日という節目の日らしいどこか初々しいムードが感じられるのも好もしい。あれほど真っ直ぐで大上段からのロマンティックさが、構成上とてもふさわしく思えるのだ。
鐘の音が鳴り響き、Allegro con brio (♩=160)3/4拍子の実に活気あふれるシンコペーションのリズムとともに、「おおみそか」 は幕を開ける。
これに Timpani が6連符 (頭一つは休符) アウフタクトの楽句でダイナミックに応答するのだが、これからしてもう既にカッコいい!
続いて金管群 (+木管低音) が第一主題のモチーフを奏する- ここまでのシークエンスが2度現れて序奏部を形成し、さらに最初のリズムパターンが高揚して Trombone の伴奏型を導き出して主部へと流れ込んでいく。
第一主題はシンコペーションによるリズミックな前半と、より流麗かつ抒情的な後半から成る華やかで生命感に満ちたもので、これが生み出された瞬間に本楽曲の成功は約束されたと云って良い。
演奏面では充分に歌いながらもデジタルなイン・テンポでの推進力が不可欠である。繰り返される旋律はカノン風のオブリガートやキラキラした Flute & Piccolo の16分音符に彩られ、また締めくくりの Vibraslap が非常に効果的で面白い。
続いて第二主題が現れると、冒頭のリズムパターンはこれをフィーチャーしたものであることが判る。
ここでは一旦静まって、愛らしくまた優雅な曲想となり、多彩な打楽器が活躍するのだが、特に Guiro を使うアイディアがとても素敵だ。(堪らん!)
第二主題のモチーフが応酬されピンと背筋を伸ばしたような雰囲気へ移るや緊張感とダイナミクスを高めてゆき、Horn+Trombone による堂々たる第一主題の再現へ。
繰返しでは瞬間的に2/4拍子に転じまさに畳みかけるような音楽のエネルギーを発する。
ここでの Piccolo (+Flute) の華やかな打ち込みは印象的にして、一層華麗さと輝きを増す見事な演出である。
前半部のクライマックスには、木管群がたおやかに奏する一層甘美な第三主題によって誘われる。
一小節ごとに高揚し、謳い上げられる音楽が感動的であり、それは Horn (+Tenor Sax., Trumpet ) のファンファーレ風楽句で頂点となる。
そして打楽器によって冒頭のリズムパターンを続けながら減衰し、やがて「もういくつ寝ると-お正月-」※ のメロディが聴こえてきて ( Glocken+Bass Clarinet )ブリッジとなり、Larghetto(♩=63)の中間部へと向かう。
※「お正月」
東くめ作詞、瀧廉太郎作曲。
1901年(明治34年)に刊行された「幼稚園唱歌」に収録された童謡で、現在も広く歌われる名曲。文語を排し、幼児もわかり易く楽しんで歌える歌を目指し ”話言葉の唱歌集” として作られたのがこの「幼稚園唱歌」であった。夭折の大作曲家・瀧廉太郎の傑作の一つに数えられる。
【出典・参考】
斎藤基彦のホームページ 「明治の唱歌」
尚、「おおみそか」 に於いては、Timpani と Snare Drum がリズムパターンをキープしつつ緩やかに rallentandoする中にあって、この「お正月」はあくまでそのメロディに適切なテンポ(我々の慣れ親しんだテンポ)で奏され、ノスタルックにまた ”何処かから聴こえてくる”というニュアンスを感じさせるよう、実に工夫された譜割とオーケストレーションとなっている。注目されたい! 静謐で、天から降りてくるような優美な旋律が Alto Sax.+ Flute で奏され中間部は始まる。
木管群を中心とした柔らかなアンサンブルでこれが繰り返されると、素朴な美しさを含んだメロディの Oboe ソロ-。これに Flute, Clarinet, Alto Sax. と次々にオブリガートが絡んでさらにファンタジックな音楽へと深まっていく。
そして全合奏となって再び中間部のメロディを謳い上げ、音楽はロマンティックさを極めたクライマックスに到達するのだが、ここは思いの丈を余すところなく存分に歌う-敢えて ”真摯なロマンティックさ” が欲しい場面だ。
メロディの断片を受渡しながら、だんだんと遠く夢見心地に中間部は締めくくられていく…と、序奏部に現れたあの Timpani の6連符 (頭一つは休符) アウフタクトの楽句が突如鳴り響き、一気に活力を呼び覚ます。
Tempo primo となって第二主題のモチーフを応答しながら熱狂を色濃くしていくブリッジは、パソ・ドブレの如きラテン舞曲のイメージである。
前半の主部に戻って再び快活な音楽を聴かせたのち、コーダに突入し4/4拍子 Meno mosso(♩=132)となって中間部の旋律が再現される。
前半部の活力をそのままに中間部の旋律がクロスオーバーするスケールの大きな曲想で盛り上げると、Presto(♩=168)となってエキサイティングな Percussion ソリ!
これが決まるや Trumpet の奏したモチーフを3つの楽器群がベルトーン的に追いかけ、スピードもテンションも緩めることなく鮮やかに曲を終う。
■推奨音源
ヤン・ヴァン=デル・ローストcond. バーデン・ヴュルテンブルク吹奏楽団
リズムと音色にやや鈍さを感じる部分はあるが、全編を通じ楽曲の魅力を確りと捉えそれを各部分で的確に発揮させたメリハリの効いた好演。ロマンティックな風情も充分に表現されている。
こういう曲の演奏は ”巧い” とかよりも、そうした点が大事。
【その他の所有音源】
松尾 共哲cond. フィルハーモニック・ウインズ 大阪
-Epilogue-
大晦日こそが新年の祝いの始まりであることは既に述べた。
日本中が、いや世界中が等しく喜び合うこの日の幸福こそは、今こそ改めて噛みしめるべきものだろう。
-そしてこの日の幸福は、ぜひ家族や愛する人たちとともに過ごしてほしい。
<Originally Issued on 2014.8.10. / Revised on 2022.12.19. / Further Revised on 2023.12.12.>
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