The Seventh Night of July ”TANABATA” 酒井 格 Itaru Sakai (1970- )
-Introduction-
稀代のメロディー・メーカーであり数々の優れた楽曲を吹奏楽界に送り出している 酒井 格のデビュー作にして最大のヒット作。「おおみそか」「七五三」と続く年中行事三部作の篇首であり、作曲者17歳 (1988年)での作曲である。
「この曲は「当時演奏した」又は「憧れていた数々の作品」の影響を受けています。バーンズや、スウェアリンジェン、リード、ジェイガー、など吹奏楽では馴染みの作曲家からメンデルスゾーン、ラヴェル、ドビュッシーなどのクラシック界の大作曲家、それから当時人気のあった斎藤由貴や渡辺美里のポップス歌手まで、意図的に引用したフレーズもあれば、偶然そっくりになってしまったメロディーなど、数々の発見があると思います。」
-作曲者コメント:酒井格HPに所載されていた解説より
実に爽やかな魅力のある傑作である。
音楽の””素敵さ”をこの上なく真直ぐに伝え、日本人にとって親しみやすい旋律、モダンなリズムとハーモニー、そして吹奏楽の”お約束”が随所にちりばめられている。全ての楽器に聴かせどころがあって、そこに作曲者の奏者たちに対する並々ならぬ愛情も感じられるのである。
■七夕について
✔「たなばた」は”七夕”を描いた曲ではない…?
「たなばた」という曲名、決め手になったのは当時高校生の作曲者が 「密かに憧れていた先輩の誕生日が7月7日だと知ったから」 なのだそう(!)。但し元々「七夕」と縁のある地に生まれ育ったため、この日に自然と愛着を持っていたとも作曲者は語っている。
出版譜の解説にある「中間部のデュエットが織女と牽牛を表す」というのもいわば後付け的ではあったようだが、「これはこれでぴったりだと思いませんか?」とのコメントである。
このような経緯からして、本作品が直接的に「七夕」を題材とし表現するものではないのだが、「七夕」をはじめとする日本の文化が酒井氏や我々を育み、その中で形成された「七夕」のイメージが本作品のバックボーンにあることは間違いないだろう。
そこで改めて「七夕」についても-その伝説と、これに因んで起こった年中行事について触れておきたい。
✔七夕伝説
七夕伝説は、旧暦七月七日ごろ天の川を挟んで
天頂に一際輝く一等星=わし座のアルタイル (彦星/牽牛星) と、こと座のヴェガ (織姫星/織女星)にまつわるもので、元々は古代中国で発祥したものである。
それが奈良時代に日本に伝わったとされている。
「天帝のため化粧する暇もなく一心に美しい織物を織り続けていた織女だが、天帝のはからいにより天の川の対岸に住む牽牛に嫁いだ。しかしそのとたん、織女は幸せな日々にかまけて機織りを怠けてしまう。これが天帝の怒りを招き、織女は対岸へと連れ戻されてしまう。そして牽牛との逢瀬は年にただ一度だけ、七月七日にのみ許されることとなった。」
ごく概略を述べればこのようになるが、この伝説には多くのヴァリエーションがあり、例えばその日牽牛は天の川を”鵲が羽を広げて架けた橋を渡る”とも”七日の半月を舟にして渡る”とも”紅葉の橋を渡っていく”とも諸話言い伝えられているようである。
鵲の登場エピソードとしては「七夕が雨になると天の川の水かさが増えて、年にたった一度の逢瀬もままならない。その時には二人を哀れんでどこからか無数の鵲が飛来しその体をつないで、二人のために橋を架ける。」という実に心温まる、救いのある話も伝わっている。
愛し合う男女に許された逢瀬は、年にたった一度だけ-
何と切ないことか。その切なさ故に星の瞬く美しい夏の夜空を舞台としたこのエピソードは一層ロマンチックさを深めており、人々の心を捉えるのであろう。
【参考資料】牽牛織女 (漢文)
✔年中行事としての七夕
日本には古来「棚機女 (たなばたつめ)」の信仰があり、日本における「七夕祭」はこの信仰と、前述のように中国から伝来した伝説ならびに付随した祭礼(乞功奠/詳細後述)が融合し出来上がっていったもの。
「たなばた」の語源ともなった棚機女とは、旧暦の七月七日に水辺の仮小屋(=棚)で機を織る乙女のことで、これによって祖霊を迎えるための禊※ を行っていたと云われている。
※棚機女は「棚」で神が訪れるのを待ち、一夜を共にする。翌朝、神は常世の国に帰っていくが、その時村人
たちの穢れを持ち帰ってくれる、ということらしい。
このように七夕は、古来穢れを祓う意味を持ち、お盆に飾る草花や精霊棚を準備する日でもあったが、江戸時代に幕府によって五節供※ の一つとして公的な祝日に定められたことにより、公家社会以外にも祭礼行事として広まることになった。
こうした節供には労働を休む慣わしである。また各季節のもたらす海の幸・山の幸による供物とご馳走が欠かせないのであり、これは皆で分配して滋養とするという実利的な面もあったという。
※五節供とは、人日(1/7)・上巳(3/3)・端午(5/5)・七夕(7/7)・重陽(9/9)。これに年始(1/1)・八朔(8/1)とを併せて
公的な祝日とする旨が、「徳川禁令考」の”年始嘉節大小名諸士参加式統令”に記載されている。
そして織女が機織りに巧みなことから、七夕においては機織りはもちろんのこと、裁縫・手芸・琴などの上達を祈願し、牽牛が農事に巧みなことから、豊作を祈願して初物や御馳走を供えるようになったが、これはまさに中国伝来行事の影響である。
現代にも継承されている、「笹飾り」に願い事の書いた五色の短冊や、裁縫の上達を願う紙衣、長寿を願う吹流しや鶴、豊漁豊作を願う投網、富を願う巾着袋などの紙飾りを吊るす慣わしは、これに由来するもの。
この「笹飾り」もやはり江戸の町から流行したとのことで、歌川広重 (1797-1858) による浮世絵の傑作「名所江戸百景」に”市中繁栄七夕祭” (1856年)という作品がある。
左画像の通り、旧暦七月七日に遠く富士を望む江戸の町に、屋根より高く天に届かんばかりに家々が笹飾りを掲げ、西瓜・算盤・大福帳・鯛など色とりどりの七夕飾りが風になびくさまである。
安政大地震 (1855年) の翌年に発表された作品だが、画面から感じさせる江戸の繁栄と溢れんばかりの人々のパワーは、思わず頬を緩ませ元気をくれる。
こうして江戸の町から始まった七夕の行事は、明治以降の学校教育を経て地方へと広まったとのことである。
七夕に因む音楽として最も有名な童謡「たなばたさま」は昭和16年3月に当時の文部省発行「うたのほん 下」に収録され、愛唱歌として流布したもの。この「たなばたさま」はどうにも日本人の郷愁を誘って已まぬ楽曲の一つとなっている。
✔貴族の七夕行事「乞功奠」
前述の通り七夕伝説は奈良時代に中国から伝わったものだが、それとともに日本の七夕行事に大きな影響を与えた「乞功奠 (きっこうてん)」という七夕の祭事も伝来している。最後にこれについて述べておきたい
「乞功奠」はその奈良時代には孝謙天皇在位の頃、宮中で盛大に行われていたそうであるが、この行事を藤原定家の子孫にして鎌倉時代中期より隆々たる公家の系譜を誇る京都の冷泉家が近代になって復活し、現在も伝えている。
※冷泉家住宅そのものが重要文化財であり、国宝を含む極めて貴重な文化遺産の数々を守り継承してきたこの
名家は、こうした無形の日本文化遺産も現代に伝えているのである。
旧暦七月七日に執り行われる、冷泉家の「乞功奠」は次のようなもので、伝統と格調、また風雅を感じさせて已まぬ行事である。
(尚、本来は午後陽の高いうちにニ星(牽牛と織女)へ手向ける蹴鞠から始めるのが正式であるが、現在は場所の都合上行っていないとのこと。)
※尚、現在では新暦7月7日に東京・杉並区の大宮八幡宮でも「乞功奠」を再現する七夕行事が行われている。
①庭にニ星に手向ける祭壇「星の座」を設ける。
ここには土器に盛った二組の海の幸・山の幸、五色の布、五色の糸、秋の七草などを供える。星を映して見るための水を容れた角盥(つのだらい)も重要であり、水には一枚の梶の葉を浮かべる。更に雅楽の楽器を並べ、中央にはこの夕べのために詠まれた和歌の短冊が並べられる。九本の燭台で祭壇を取囲んで、「星の座」の完成となる。
古式ゆかしく、実に美しい。
②雅楽
笙・篳篥・箏・琵琶・龍笛などにより「越天楽」「陪臚」などが奏されて乞功奠は始まる。やがて七夕の夜にふさわしい朗詠「二星」の哀愁を帯びた歌声が聴こえてくる。
二星適逢 (じせいたまたまあえり) 未だ別緒依々の恨を叙べざるに
五夜将に明けなむとす 頻りに涼風颯々の声に驚く
〈意〉牽牛と織女が久しぶりで逢った。 逢えなかった淋しさをいくらも語り合わないうち
に、もう夜が明けてしまった。 涼しい風がしきりに吹くので、朝だと気付いた。
この頃には夜の帳が降り、燭台に明かりが入れられ、炎揺らめく中に朗詠の声が響く。
③和歌の朗詠(披講)
冷泉流の独特の節回しによる和歌の朗詠。
④流れの座
参会者が天の川に見立てた白布を隔てて座り、牽牛と織女になって恋歌を交し合う。かつては鶏鳴を聞くまでその贈答を繰り返したという。
【出典・参考】
「しきたりの日本文化」 神埼 宣武 著 (角川ソフィア文庫)
「図解 日本のしきたりがよくわかる本」 日本の暮らし研究会 著 (PHP研究所)
「日本を楽しむ年中行事」 三越 著 (かんき出版)
「こどもとはじめる季節の行事」 織田 忍 著 (自由国民社)
「和ごよみで楽しむ四季暮らし」 岩崎 眞美子 (学習研究社)
「別冊太陽 雅楽」 遠藤 徹 著 (平凡社)
「雅楽1300年のクラシック」 上野 慶夫 著 (富山新聞社)
「五節供の楽しみ」 冷泉 為人 著 (淡交社)
■楽曲解説
突然の Snare Drumスネアのリムショットに導かれ、金管中低音のハーモニーにてモチーフがゆったりと大らかに提示される序奏部- これが瞬時に弾けるような Allegro に転じ、シンコペーションを効かせた快活な主部となる。
浮き立つようなSnare Drum のリズムに乗って、さっそく爽快な第1主題が全容を現す。
一つの旋律の中で歌い出しから4小節目に向って自然な高揚があり、アウフタクトに続いてリズミックに転じるコントラストに、抜群のセンスを感じる。
この旋律の展開、そしてより奥行きを増す第2主題へと移ろうのだが、その根底にスピード感のあるリズムを失わないところが素敵だし、フレーズのブレイクも小気味良く決まっている。流れ出した音楽が淀まず健やかに進む楽曲は、かくも心地よいものなのだ。
シンコペーション楽句の応答に続いて、より幅広い音楽への展開を示唆してテンポを緩め、Sax. Soli によるブリッジを経て夢見る中間部へ。
優美な Alto Sax. のソロに Euphonium のオブリガートが加わりロマンチックなデュエットとなる。
ここは作曲者高校時代の吹奏楽部に在籍した仲のよいカップルをイメージして書かれたそうで、「たなばた」という楽曲の代名詞とされている部分である。
これに続いてはただ甘美に音楽を流していくのではなく、ジャズ風のフレーズを挟んでアクセントを配すあたり作曲者の創意工夫が感じられ、またそこに必然性があるのがセンスの良さだ。
さらに、あたかも蝋燭の灯りをともすかのように浮き上がってくる Trumpet のリリカルなソロがまた素敵!私の大好きなところである。
この暖かで美しい Trumpet のソロに導かれ、ここからは楽曲のスケールを徐々に大きくしてゆく。向かうのはまさに満天に広がる星空のようなクライマックスである。美しい旋律が存分に、力強く歌われるさまは実に感動的であり、また喜びの感情を開放された気分になれるのだ。
その余韻の中から遠くグロッケンが旋律を呼び戻し、Oboe ソロによって名残惜しく中間部を終える。
一転、快速なテンポが戻る-。
静かだがエキサイティングなスネアのリズムに始まり、緊張感を湛えたベルトーン風の楽句と Percussion ソリ、吹き抜ける Timpani のロールが応酬してブリッジを形成し、再現部へと入っていく。ブリッジの頂点でその緊張は愛らしい笑顔のような曲想へ転換し、この曲本来の表情に回帰していくのが愛おしい。
ここでは前半と伴奏も変え、また Castanets、Whip、Wood Blockなどの打楽器も効果的に使って、ユニークで色彩豊かな音楽を形成している。
ここから更に Euphonium のソリとそれに絡む Piccolo、また Trombone と Trumpet のファンファーレ風ソロなど、各楽器の音色とそれに似合う楽句が次々と現れ対比されていくが、そこにもより多彩な音楽へと向かった作曲者の意図が感じられよう。
そして曲初での主部への導入と呼応したシンコペーションの楽句に続いて、いよいよ最大のクライマックスである ”Brillante” ポリリズムへ。
ここではスピード感をキープしたまま中間部の旋律が伸びやかに奏され、この上ない感動に包まれる。
そこに第1主題も交錯して帰結感を高め、遂に付点のリズムが特徴的なコーダに突入するのだが、そこで現れる Trombone のグリッサンドを効かせたフレーズなども洵に意を得たもので、嬉しくなってしまう。
後は Stringendo で一気にエキサイティングなエンディングとなるが、ここで前打ちビートに転じることでスピード感を高める効果も見事であり、実に爽快に全曲を締め括る。
前述の通り、作曲者がごく若い(17歳)頃の作品である。ありがちな、という評価もあるであろう。鈍い響きのする部分もある。しかし、「たなばた」は本当にキラキラしている!
そしてその聴後に満ち満ちる爽やかさとハッピーな感覚はまさに“圧倒的”と云えるのではないだろうか!?
「今、改めてスコアを広げてみると、確かに未熟な部分が多く、恥ずかしくもあるのですが、今の私が失いかけている物も見つけることが出来ます。」
-今や作曲家として道を成された酒井氏の述懐である
この曲は、若き作曲当時の感性や時代そのものを反映している作品だと思う。人それぞれではあるだろうが、「クリエイター」である作曲家の方々は「こう直したらもっと良くなる」と延々と自作品を改訂し続けるといったことは、敢えてしないのが殆どのように思う。
それは音楽というものが、その生み出された瞬間の気分・衝動・価値観を捉え、完結するという性格を有しているものだからなのかな…と私は思っている。
一方、現在の吹奏楽界には旋律、リズム、コントラスト、そして構成感など、当然備えてあるはずの「魅力」に乏しい楽曲が多すぎる。それに対し、この「たなばた」は吹奏楽が本来持っている楽しさを存分に保有し、何の衒いもなくそれを伝えているということだ。
吹奏楽は現代音楽の墓場ではない!
もっと理屈抜きに、音楽の楽しみや喜びに満たされるべきである。(現代音楽 / 先鋭楽曲を否定しているのではなく、自己満足的現代音楽「風」の曲が多いと指摘しているのである。)
■作曲者
「たなばた」でまさに彗星の如く現れた酒井 格(1970-)は、今や押しも押されもせぬ吹奏楽界の名匠である。「森の贈り物」「大仏と鹿」「波の通り道」「三角の山」…次々と快作を上梓しまさにヒット・メーカーとなったが、非常に構成感に優れた作品に感嘆する。そもそも旋律自体に確りとした構成感が存在している。だから、魅力があり説得力があるのだ。
近時発表される吹奏楽曲には、魅力や新鮮さの「一瞬の閃き」がある楽曲は少なくない。しかし、「それだけ」というものが実に多い気がしてならない。
酒井氏の親しみやすい作風に秘められた「構成感」の鋭さにこそ、刮目すべきである。
■推奨音源
近藤 久敦cond. 尚美ウインドオーケストラ
溌剌として淀みない演奏、神経が細部まで行き届き、コントラスト鮮やかな好演。この曲はポップスと共通するリズム感を要求しているが、その点でこの演奏が最も優れていると思う。
中間部のトランペット・ソロも秀逸で、まさに夢見心地にさせられる。
ヤン・デ=ハーンcond.オランダ空軍軍楽隊
「思いきりロマンチックな演奏」とは作曲者の評。終盤クライマックスのポリリズムではテンポを落とし、たっぷりと存分に歌う。
スネアがややパタつくが、この曲の魅力を世界中に伝えた演奏であることは間違いない。何よりリズミックだがふくよかで、実に ”歌心” あふれたベースラインが魅力を放っている。
【その他の所有音源】
渡邊 一正cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
吉延 勝也cond. おけいはんウインドオーケストラ [Live]
イーヴォ・ハデルマンcond. ゼーレ聖セシーリア吹奏楽団
加養 浩幸cond. 土気シビックウインドオーケストラ
木村 吉宏cond. フィルハーモニックウインズ大阪
-Epilogue-
七夕は古より、奏楽を含めた芸事の上達を織女星に願う行事でもあったのだ。
曲がりなりにも音楽演奏に関わる者として、我々にとって無縁ではない。
七夕には上達に向けた自身の想いを新たにしつつ、その上達が叶うよう星空を仰いで一心に願いをかけてみては如何だろうか。
<Originally Issued on 2006.6.13. / Overall Revised on 2022.5.10. / Further Revised on 2023.11.1.>
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