Armenian Dances Part Ⅱ A. リード Alfred Reed (1921-2005 )
Ⅰ. Hov Arek ( The Peasant's Plea ) Ⅱ. Khoomar ( Wedding Dance )
Ⅲ. Lorva Horovel ( Songs from Lori )
-Introduction-
「アルメニアン・ダンス パートⅡ」 が広く本邦に紹介されたのは1979年。既に「パートⅠ」が絶大なる支持を集めていたため、「パートⅡ」の登場は今か今かと待望されていた。ところが最初に音源を提供したCBSソニーは、終楽章「ロリからの歌」のみを収録するという残念な対応(「コンクール自由曲集」というコンセプトに徹したのだろうが…。)をとったため、早く全楽章を聴きたいというファンの想いは一層強まるばかりであった。
ただ、その全貌を明らかにしてくれたのもまたCBSソニーだった。パートⅠ・Ⅱ 全曲が収録された「武蔵野音楽大学ウインドアンサンブル '79」のリリースである。演奏もなかなかに素晴らしいこの名盤が、大喝采を浴びたことは云うまでもない。そして、この演奏を飽きることなく聴き続けた私の中には、
「いつの日か、アルメニアン・ダンスを全曲演奏するぞ!」
という想いがずんずん募っていったのであった-。
■楽曲概説
「アルメニアン・ダンス パートⅡ」は 「アルメニア舞曲 -アルメニア民謡による吹奏楽のための組曲」の第2-4楽章として1975年に作曲された。先行して作曲された第1楽章「アルメニアン・ダンス パートⅠ」(1972年) とともに、アルフレッド・リードの代表作としてその内容が高く評価されているとともに、人気も絶大である。
まさに吹奏楽オリジナル曲を代表する作品と云えよう。演奏にあたっては「パートⅠ」は単独で演奏されることが多い一方、「パートⅡ」 のみが演奏されることは少ない。楽曲のコンセプトからして「パートⅠ」「パートⅡ」併せて演奏されることが望ましいのは云うまでもない。
■ゴミダスとその文化遺産、そしてアルメニアの歴史
リードはこの「アルメニア舞曲」を作曲するにあたり、ゴミダス・ヴァタベッド (Gomidas Vartabed 1869-1935)※ が蒐集・作曲したアルメニア民謡をもとにしたわけだが、ゴミダスとその生涯はアルメニア音楽のみならず、アルメニアの歴史における重大な側面とも関わりが深いものであり、知りおくべきものと思う。
※アルメニア語はアルメニア国内でもその東西で発音が異なるため、これを反映し英語圏ではKomitas Vardapet (コミタス・ヴァルダペット)と表記されることも多い。私は「アルメニア舞曲」のプログラム・ノートの表記
に合わせることとし、Gomidas Vartabed(ゴミダス・ヴァタベッド)を採用している。
このプログラム・ノートはアルメニア出身の女流音楽家、ヴァイオレット・ヴァグラミアンが執筆したもので
ある。
✔ゴミダス -その悲劇的生涯
オスマン帝国統治下のアナトリア(現トルコ領)のアルメニア人家庭に生まれたゴミダスは、本名をソゴモン・ソゴモニアン(Soghomon Gevorki Soghomonyan) という。
不幸にも幼くして孤児となったのだが、その音楽的才能と美しい歌声は早くから認められ、アルメニア正教の聖地エチミジアンの神学校に入って音楽を学んだ。「ゴミダス」の名は、音楽家でもあった7世紀のカトリコス (アルメニア正教の大主教) の名に因んで名乗るようになったものである。
ゴミダスは神学を修め、修道僧となってからも音楽の研鑽を続け、遂にはベルリンに3年間留学して音楽学の博士号を取得している。孤児という境遇ゆえか、父母の祖国であるアルメニアの教会と文化とに一心に帰依することとなったゴミダス。
-そのアルメニアに対する想いは尋常でなかったという。
トルコ語圏に生まれたことによる言葉のハンディを撥ね返し、アルメニア独自の記譜法や、アルメニアの宗教音楽・民謡の旋律構造を研究して論文を著し、また講義を行うなど精力的に活動していく。アルメニア民謡の蒐集は4,000曲以上にのぼったが、その中には未知、或いは忘れ去られた何世紀も前の古い旋律をも数多く保存しており、ゴミダスの最大の遺産であると評価されている。
こうした研究をバックボーンに自らも作曲を行い、一定の評価を得ていたゴミダスだが、アルメニア教会内での保守派からの風当たりも強く、実際の音楽活動はアルメニア人の多いグルジアのティフリスや、オスマン帝国のコンスタンティノープルといった国外で行っていたという。
そんな彼とアルメニアを、1915年に身の毛もよだつ悲劇が襲うこととなる。
-オスマン帝国によるアルメニア人迫害である…!
コンスタンティノープルに居たゴミダスは、オスマン帝国によって他のアルメニア知識人とともに、アナトリア東部のチャンキリへ強制移送され迫害を受けることとなった。
(このときゴミダスとともに強制移送されたアルメニア人291人のうち、生き残ったのは40人だけだそうだ。)
ゴミダスは奇跡的に生き残ることができたのだが、迫害の記憶によるPTSDに起因した精神変調を引き起こし、音楽活動はできなくなっていったという。そしてコンスタンティノープルで精神科に入院するも病状は回復することなく、最後は失意のまま転院先のパリで没してしまう。
苦しみぬいたゴミダスの姿は、アルメニアが受けた悲劇の象徴とされているのである。
✔アルメニアの悲劇的歴史
オスマン帝国によるアルメニア人迫害は20世紀のはじめに起こった。アルメニアのみならずトルコサイドを除く国際社会からは「アルメニア大虐殺」と謂われ、激しく非難されているアルメニアの国家的悲劇である。
ゴミダスが直面した事件に先立つ19世紀末には、オスマン帝国のスルタン/ハミトII世によるアルメニア人殺戮事件も発生している。これは「エルサレムのキリスト教徒を保護する」ことを口実とした列強(ロシア・フランス・イギリス)によるオスマン帝国への干渉が、オスマン帝国内土着のキリスト教徒とイスラム教徒との軋轢を激しくしており、これがその背景だった。スルタンは列強の圧力の前に「改革」を約しながら、実際にはアルメニア民族の一掃を目論んでいたとされる。
洵におぞましくも、このオスマン帝国による迫害・殺戮はさらに「本格化」してしまう!
1915年4月に惹起した在コンスタンティノープルのアルメニア知識人・指導者の”強制移送”に始まり、最終的に多くの人命(のべ150万人とも)を奪ったこの迫害は、アルメニア民族の殲滅を企図したものと云われ、1923年まで続いた。
この惨劇は現在でもアルメニアと (オスマン帝国の後継国家である) トルコ両国の関係において大きく深い断崖となっているとともに、トルコによる「アルメニア大虐殺の承認」(トルコは「虐殺」を否定) は大きな国際問題となっているのである。
これ以外にも、少数民族国家アルメニアは多くの苦難に苛まれてきた。
「アルメニアの歴史は(中略)建国と大国による亡国のくり返しであり、これでは民族意識の維持のため他国への同化拒否も無理ないと思い知らされた。」(大島 直政/トルコ文化研究家)
-アルメニアの音楽に触れる以上、上記に総括されるアルメニアの悲しみについても、思いを巡らすべきものと思う。
【参考・出典】
「アルメニアを知るための65章」
中島 偉晴、メラニア・バグダサリヤン 編著(明石書店)
アルメニアの歴史・自然・文化を総覧できる良著。
リードの「アルメニア舞曲」は本書でもアルメニア音楽を身近に聴くことのできる代表的な楽曲として紹介・言及されている。
「悲劇のアルメニア」
藤野 幸雄 著 (新潮選書)
アルメニアの悲劇的歴史を丹念に辿り、アルメニアが確固たるアイデンティティを持つに至った経緯を、その側面から明らかにしている。
「歴史につねに裏切られてきたアルメニア人は、自分がどうしてアルメニア人として生まれてきたのかの問題を考えつづけてきたに違いない。」(著者”まえがき”より)
Archelogy_of_madness「悲劇のアルメニア人音楽家、コミタス」
ものろぎや・そりえてる(Weblog)
ゴミダス関連の重要著作 ”Archlogy of Madness : Komitas, Portrait of an Armenian Icon"
(Rita Soulahian Kuyumjian) の優れた読後評。
同書に基く史実を端的に知ることができる。相応数の資料にあたってみた結果、ゴミダスの生涯については資料ごとに微妙な内容の違いがあったが、こちらに所載の内容が最も適切と判断し、本稿ではこれに拠り記述した。
✔「アルメニア舞曲」の原曲たち
ゴミダスの最期はかくも悲劇的なものであったが、彼が愛し、採譜・純化・研究したアルメニア民謡及び自作の歌は確りと遺され、永遠のものとなった。そうした彼の蒐集は、彼自身の肉声録音(”Voice of Komitas”)を含め多くの音源で聴くことができる。
リードの作曲した「アルメニア舞曲」 の原曲もそこに含まれており、「アルメニア舞曲」の鑑賞・演奏にあたってはぜひこの ”原型” たる民謡たちも聴いてみていただきたく、CD音源をご紹介する。
Hommage à Komitas
Hasmik Papian (Sop.) & Vardan Mamikonian (pf.)
[収録曲]
パートⅠ:「あんずの木」「山うずらの歌」「アラギャズ」
Komitas-Aslamazian
Chilingirian Quartet(弦楽四重奏)
[収録曲]
パートⅠ:「あんずの木」「山うずらの歌」「ホイ、私のナザン」
パートⅡ:「クーマル(結婚の舞曲)」
Komitas: Armenian Songs & Dances
Armand Arapian (Bar.) & Vincent Leterme (pf.)
[収録曲]
パートⅠ:「ホイ、私のナザン」
パートⅡ:「農民の訴え」Komitas
Merlin Virtuosi(弦楽四重奏)
[収録曲]
パートⅠ:「ホイ、私のナザン」
Music of Komitas Vartabed
Yerevan Chamber Choir(混声合唱)
[収録曲]
パートⅡ:「ロリからの歌」
Voice of Komitas
Komitas Vardapet (ゴミダス本人の肉声)
[収録曲]
パートⅠ:「アラギャズ」「ゆけ、ゆけ」
パートⅡ:「農民の訴え」
【参考・出典】
「アルフレッド・リードの世界」 村上 泰裕(スタイルノート)
この2023年改訂版では、「アルメニアン・ダンス パートⅠ・Ⅱ」 に使用された原曲の楽譜や歌詞も掲載、まさに楽曲に関する情報が「網羅」されており、必見である。
詳細な内容をコンパクトに集約したもので大変示唆に富み、参考になる。常に事実を積み上げていく村上氏のスタンスは真摯で内容には説得力があり、信頼に値する。
(こちらの改訂版では我が「橋本音源堂」にて触れていたトピックスについても、改めて更に詳しくまた優れた文章でまとめて下さっている。)
■楽曲解説
それではフルスコアに記されたヴァイオレット・ヴァグラミアン※ による解説( 「 」 )を引きながら、楽曲の詳細を見ていこう。
※Violet Vagramian:アルメニア出身の女流音楽学者、当時はフロリダ国際大学音楽学部助教授
※尚、「アルメニアン・ダンス」のスコアにも、リードのオーケストレーションの基本要素というべき考えが
述べられているので、押さえておきたい。
リードは金管楽器を”ブリリアント”(Brilliant=Trumpet, Trombone)、”メロウ” (Mellow=Cornet, Euphonium,
Tuba)、”ホルン” (Horn) の3群に大別し、夫々が対比的に音色を発揮するよう求めている。特に最高音部を
担当するTrumpetとCornetの明確な区別にはこだわりがあり、かつバランスについてはTrumpetが3パート×
2名=6名、Cornetが2パート×1名=2名とすべきと明記している。
Cornetは抒情的で他とブレンドしやすい楽器との認識の下、主として木管やHornとともに用いようという
ものだ。この音色の対比やブレンドという考え方は、私自身も非常に共感できる。
リードの楽曲は大半がこのコンセプトでスコアリングされているので、その演奏にあたっては(制約があっ
て実現不能な場合もあろうが)、このことを念頭に置く必要があるだろう。
Ⅰ. 農民の訴え Hov Arek (The Peasant's Plea)
「ホヴ・アレク(=”風よ、吹け”)は抒情的な歌であり、一人の若者が『山々よ、風を送り給え、そして我が苦悩を取り払い給え。』と懇願するものである。
幅広い表情を備えたその繊細なメロディーラインは、深い感動をもたらしてくれる。」
Harp、Vibraphone、Glockenspiel を伴った幻想的なサウンドの序奏に始まる楽章である。
これに続いて哀愁に満ちた、実に美しい旋律を Cor anglais が歌いだす。
これを包み込むのが木管主体のアンサンブルなのだが、その透明感がまた美しい!
透明で幻想的なサウンドはそのままに歌は高揚していき、遂に大らかな風が吹き渡るイメージのあるクライマックスとなる。
ここで旋律にこだまする Horn (+Tenor Sax.) には、その切なさに胸がきゅーっと締めつけられてしまう。
楽曲は抒情を湛えながら来た道を戻るように前の楽句を辿っていくが、伴奏に微妙な変化がつけられ、違ったニュアンスに示しているのが素晴らしい。
最後は再び Cor anglais のソロで歌を終い、序奏部が再現されてその幻想的な響きが、遠く遠く消えていく。
Ⅱ. 結婚の舞曲 Khoomar (Wedding Dance)
「クーマル(=アルメニア女性の名前)はゴミダスが混声合唱つきのソプラノ独唱に編曲した歌で、活気に満ち、そしてうきうきとした気分の舞曲である。二人の若い恋人たちが出会い、そして結婚する-そんな喜ばしいアルメニアの農村風景を描写するもので、生命感あふれるリズム・パターンが特徴的である。」
この歌は他で聴くことのできない個性を持っており、特に魅力的だと思う。
楽しげなのだが単に浮ついた楽しさではなく、とてもしっとりとして謹厳な佇まいがある。神妙な表情をしながらも、やはり喜びは隠し切れない-まさにそうした奥ゆかしく微笑ましい雰囲気を感じさせるではないか。リードは木管楽器の音色を活かしてその魅力をさらに増幅させている。
リードはさらに、”華燭の典” の輝きをダイナミックに聴かせるクライマックスや、切なさも感じさせる短調の部分を挟むことで、楽曲の奥行きを拡げた。
それでいて前述の楽曲が根源的に持っている魅力は、一切損なっていないのである。
楽曲を ”昇華” させたリードの手腕は実に見事!と云うほかない。
Ⅲ. ロリからの歌 Lorva Horovel (Songs from Lori)
「ゴミダスが広汎な調査を施したこのロルヴァ・ホロヴェル(=ロリ地方の農耕歌)は複雑かつ即興的な旋律を持っており、そのリズム・旋律の両面において豊かな構成の中には、キリスト教が誕生する以前の時代に遡る要素も現れている。
歌の内容は作業に従事する農夫の肉体と精神とに関するものであり、それは牛たちにかける声や耕す際に発する叫びなど、彼らの労働から直接生じたものである。流れるような旋律とともに、この美しい歌の持つリズムや音程の構造によって、そうした労働の情景のイメージを持った音楽が響き渡るのだ。」
序奏を持った急-緩-急の形式に成り、パートⅠを含めた「アルメニア舞曲」全曲を通じて最も強烈な印象を持つ終楽章。
オーケストレーションも凝っていて、その分パート間のバランスは難しい。尚、「ロリ」 は同名の山脈があるアルメニア北部の地方である。(上画像:ロリ地方の山村風景)
5/8拍子 (♪=104)、 Suspended Cymbal の一撃と喨々たる Trumpet ならびに Cornet のD♭音で開始、これを木管群の強奏が受けて高揚し、遂にはドラとともにぶつかりあう低音がごーっと轟きわたる- 緊迫の序奏である。
一層スケールを拡大してこれが繰返されたのち、荘厳な歌が朗々と奏されていくが、ここでは Clarinet の黒々とした迫力のある音色が大変印象的だ。
快速な主部 (2/4拍子 Presto )に入っても緊迫は一切緩まず、今度は鮮烈で野性味のある音楽となる。非常に幅広いダイナミクスの変化の中で疾駆する曲想は、文字通り ”血沸き肉踊る” ものである。
これが鎮まってテンポを落とし、玲瓏な Flute の音色に始まる中間部 (5/8拍子 Molto meno mosso) へと入る。
ここからはエキサイティングな音楽が、テンションを上げ続けつつ突き進む。その頂点を示す Trombone の咆哮はまさに聴きものだ。
終幕の予感をドラマティックに強めてコーダに突入し捲りに捲った末、ビートを消した金管群の吹き延ばし(+Sax. のトリル) に続いて、全合奏による鮮烈なエンディングが響きわたる
- Bravo !
■推奨音源
アルフレッド・リードcond.
東京佼成ウインドオーケストラ
パートⅠ同様、パートⅡにおいてもまず押さえておくべきスタンダードであることは間違いない。「ロリからの歌」においても、各パート間のバランスが良く、楽曲の構造が存分に発揮されているのは、やはり作曲者自作自演ならではと云えようか。
アントニン・キューネルcond.
武蔵野音大ウインドアンサンブル
前述の通り、本邦に於いて「アルメニア舞曲」の全貌を明らかにした録音。
”歌” に淡白な印象を受ける部分もあるが、この楽曲のそれぞれの楽章が持つ雰囲気は確りと把握されており、伝わってくる。
コントラストにも優れた好演。
【その他の所有音源】
フレデリック・フェネルcond. 東京佼成ウインドオーケストラ[1986]
フレデリック・フェネルcond. 東京佼成ウインドオーケストラ[1996]
アルフレッド・リードcond. 洗足学園大学シンフォニックウインドオーケストラ
加養 浩幸cond. 土気シビックウインドオーケストラ
佐渡 裕cond. シエナウインドオーケストラ(Live)
アルフレッド・リードcond. ウインドカンパニー管楽オーケストラ(Live)
汐澤 安彦cond. フィルハーモニア・ウインドアンサンブル(「ロリからの歌」のみ)
ジョン・ボイドcond. 台湾ウインドアンサンブル
大澤 健一cond. ハート・ウインズ(Live)
シズオ・Z・クワハラcond. 大阪市音楽団 (Live)
大井 剛史cond. フィルハーモニック・ウインズ大阪 (Live)
-Epilogue-
大学3年=幹部の年、所属する大学の吹奏楽団で学生指揮者を務め、選曲の責任者でもあった私は、満を持して「アルメニア舞曲」全曲 を定期演奏会のメインプログラムに据えた。私自身が渇望していたこの大好きな楽曲の演奏に、遂に全力で取り組むことができるのだ。
新しい常任指揮者を迎え、また名手の1年生が加入してくれたこともあって春のコンサートでも手応えのある演奏ができていた。定期演奏会ではその延長線上で楽団として更にレベルアップした演奏ができるはず!と意気込んで、選曲そして練習に臨んだのである。
所謂コンクール自由曲としての関わりではないが、それゆえに全曲ノーカットで演奏できる悦びがあった。ダブルリードのパートを欠いたバンドであったが、いつも居る仲間と ”自分たちの「アルメニア舞曲」” を創り上げたくて、エキストラは招かず Soprano & Alto Sax.そして Bass Clarinet へパートを移し、練習を重ねていく。
常任指揮者との相性も良かった「アルメニア舞曲」は、練習の段階から我々にメイン曲に相応しい歯応え、音楽的興味を追求していく楽しさ、そして何より楽曲の持つ魅力による、音楽的満足を存分に与えてくれたのだ。
しかし、迎えた本番のステージは-。
結果として、バンドのレベルと人員からすればプログラミングが無謀すぎた。3部構成の3部に「アルメニア舞曲」を配したのだが、そこまでの負担が重すぎて ”パートⅡ” に入ったあたりから、奏者のスタミナが耐えられなくなる。アクシデントも少なからずあり、演奏はこれまで重ねた練習を確りと発揮したものとはならなかったのだ。
惚れ込んでいた「アルメニア舞曲」の出来に大きな不満が残ったことは、まだ全くの ”コドモ” だった私にはショックであり、大きな悔いとなった。選曲・演奏の責任者である学生指揮者としても大失敗だ -そうした自責の念もあって、私は演奏会が終わって打上げ会場に向かう段階で既にふさぎこんでしまう。
…今思えば、何という馬鹿だったのだろう。
学生指揮者としてあの時まず果たすべきことは、もちろん自責などではなかった。自分の熱意につきあい、ついてきてくれて、共に練習を重ねてきたメンバーたちへの感謝と労いを心から示すこと、そして夫々に想いを込めた準備を経て「本番」を共有できたことを喜びあうこと-。
それしかなかったはずではないか!
♪♪♪
あの演奏会が終わり、何ヶ月か経った頃だっただろうか。同期メンバーが集まり我々の演奏した「アルメニア舞曲」の録音を聴いていると、誰かが呟いた。
「まあ、(演奏の) 出来は良くないけど、俺たちがやろうとしてたことは判るじゃん。」
全くその通りだ。あの時あの瞬間に「”我々の”アルメニア舞曲」は確かに存在した。努力は未だ不充分だったかもしれないが、我々の想いと重ねてきた練習、個性がこもった演奏がそこにあった。そのことを、率直に喜ぶことも大切だったのだ。それに気付き、私はまた別の意味で苦い思いを重ねることとなってしまった…。
この想い出は「アルメニア舞曲」がくれたあの輝きに満ちた音楽の悦びと表裏一体になって、今も私の心に深く刻まれている。
<Originally Issued on 2011.3.6. / Revised on 2015.1.17. / Further Revised on 2023.12.9.>
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