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オセロ -シェイクスピアに基づく5つの場面による交響的描写

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更新日:2月18日

Othello - Symphonic Portrait for Concert Band / Wind Ensemble  in Five Scenes after Shakespeare

                  A . リード  Alfred Reed  (1921-2005 )


-Introduction-

1981年の全日本吹奏楽コンクールでは天理高校がこの「オセロ」を快演し金賞を受賞した。大変レベルの高かったこの年の中でも天理らしい魅力的なこの演奏が、一気に「オセロ」を吹奏楽界に知りわたらせたのである。

張り詰めた緊張感の ”プレリュード”、美しく切ない ”オセロとデズデモーナ”、壮麗な ”廷臣たちの入場” と続いて描かれた世界は制限の多いコンクールの中でも抜群に輝き、以降「オセロ」は吹奏楽コンクール自由曲の定番となっていく。

実は全国大会初演はこの天理の演奏ではないのだが、かつて効果的な抜粋によりリードの「ハムレットのための音楽」 を構成してみせた天理の、面目躍如たる選曲と演奏であることは間違いない。

特に ”廷臣たちの入場” は圧巻で、終盤のアッチェランドから一音ごとに輝きを増していくサウンド、続く高らかな Trombone のハーモニーの鮮やかさ、クライマックスに放たれるCymbalの劇的さなど、あまりに感動的な演奏には思わず涙が頬を伝ったものだ。


また、1986年の関東大会(於:横浜県民ホール)高校の部では、野庭・市立川口・市立柏

( 代表・代表・金 ) が同じこの「オセロ」で激突!幸運なことに、これをライヴで聴くことができたのだが、その聴き応えたるや・・・。

今でも大変印象深く、忘れることのできない競演である。


■楽曲概説

数多くの名曲を遺したアルフレッド・リードが、「ハムレットのための音楽」(1971年)に続いて1977年に作曲した”シェイクスピア・シリーズ”の第二弾。リードはさらに「魔法の島」(1979年)「十二夜」(2003年)「アーデンの森のロザリンド」(2004年)とシェイクスピア戯曲にインスパイアされた作品を書いたが、「オセロ」はそれらの頂点に位置すると称するにふさわしい、洵に魅力的な楽曲である。

「各楽章は、それぞれ戯曲のある場面が醸成する雰囲気や情感を音楽的に描写したもので、いずれも台詞の引用が冒頭に掲げられている。」

とのコメント通り、リードは重要な科白から指し示される情景をイメージしつつ、戯曲「オセロ」の世界を描写的な音楽としてまとめあげた。

元々は1974年にマイアミ大学リング劇場による「オセロ」の劇付随音楽(金管楽器16+打楽器3の編成/全14曲から成る)として作曲された経緯にある。また吹奏楽版と同様の5楽章から成る金管合奏+打楽器による ”Music from Othello” という作品も編まれており、こちらは録音 (後掲)も残されている。


■戯曲「オセロ」

✔作者シェイクスピア

ウイリアム・シェイクスピア ( William Shakespear 1564-1616 ) の作品を題材にした音楽は本当に数多い。アルフレッド・リードも

「シェイクスピアほど音楽作品に影響しているものは、例をみない。それは国籍や個性を問わず、あらゆる作曲家がシェイクスピア作品の豊かさや創造性に魅了されてきたからだ。」

と評している。 

「オセロ」( Othello )は「ハムレット」「マクベス」「リア王」とともに、シェイクスピアの所謂 ”4大悲劇” の一つとして高名であり、中でも1604年初演と伝わるこの悲劇は明快な 構造の作品といわれる。


✔「オセロ」あらすじ

ヴェニスのムーア人、オセロ (Othello) は勇猛果敢で鳴らし、数多の戦功を挙げた名将にして、高潔な人物である。

彼は黒人※1 であったが、人種の違いを超えてヴェニス貴族ブラバンショー (Brabantio) の若く美しい娘デズデモーナ (Desdemona) と恋に落ち、ブラバンショーの反対を押し切って結婚の契りを交わす。

一方時を同じくして、オセロはヴェニス公爵※2 から名誉あるキプロス島総督に任じられ、蜜月のデズデモーナを伴ってかの地に赴くのであった。

 

かくして公私ともに順風満帆と思われたオセロであったが、その彼に部下の旗手・イアーゴー (Iago) のどす黒い企みが迫る。イアーゴーは同僚キャシオー (Cassio) の副官昇進を嫉んで復讐を誓い、オセロを破滅に陥れようとしていた。

 

イアーゴーは表面では忠誠を尽くすフリをして信頼を得ながら、巧みにオセロがデズデモーナとキャシオーの不貞を疑うよう仕向けていく。疑心暗鬼となりイアーゴーの奸計にまんまと嵌ったオセロは、徐々に激しく嫉妬に狂い、遂には自らの手デズデモーナを刺し殺してしまう!

この惨劇を見たイアーゴーの妻エミリア (Emilia) が真実を告白し、デズデモーナの潔白を知ったオセロは、デズデモーナの亡骸に口づけしつつ、自らの命も絶つのだった。


 ※1

 ムーア人とは北西アフリカのイスラム教徒を指すもので、本来「黒人」とは異なる。シェイクスピアがこの

 「オセロ」でムーア人=黒人という設定を施したものとされている。

 ※2

 「オセロ」の舞台は16世紀のヴェネツィア共和国と推定され、”ヴェニス公爵”とはその国家元首である。当時

 のヴェネツィア共和国にはオスマン帝国の脅威が迫っており、その防衛は最大の国家課題であった。かかる

 時代背景の下に、「オセロ」は描かれている。

 ※3

 「オセロ」は後世に強い影響を与え、その科白も数多く引用されている。エルガーの行進曲「威風堂々」の原題

  "Pump and Circumstances" も、第3幕第3場のオセロの科白に由来するものである。

   Farewell the neighing steed, and the shrill trump,

   The spirit-stirring drum, the ear-piercing fife,

   The royal banner, and all quality,

   Pride, pomp, and circumstance of glorious war !

  また同じく第3幕第3場に現れる「嫉妬 は緑色の眼をした怪物」という科白なども印象深い。嫉妬に狂うと眼が

  緑色に… その表現は面白く、妙に納得的だ。


✔原話「百物語」とシェイクスピア

「オセロ」には、その元題材となった物語が存在する。

ジラルディ・チンツィオ ( Giovanni Battista Giraldi Cinthio 1504-1573 ) 作の「百物語」(1565年) 第3日第7話である。

設定や大筋は同一であるものの、登場人物中デズデモーナ以外は名前が明らかでないことをはじめ、シェイクスピアの「オセロ」とは以下のように大きな相違点がある。

 

・嫉妬に狂ったムーア人の主人公は、デズデモーナを殴り殺すという残忍性を帯びており、 

 加えてその殺害を事故死に見せかける姑息な人物となっている。また、デズデモーナの潔

 白は最後まで知ることがない。

 さらにこのムーア人の主人公は、自決するどころか拷問に耐え流刑に処されるにとどまる

 が、最期は流刑地でデズデモーナの一族の手にかかって殺されることとなる。

 

・(「オセロ」 におけるイアーゴーに該当する)部下が主人公のムーア人総督を陥れたのは、冷

 遇を恨んだことだけではなく、デズデモーナに横恋慕し、それが叶わぬことが大きな動機

 となっている。(「オセロ」でもデズデモーナに横恋慕する男は登場するが、それはイアー

 ゴー自身ではなく、イアーゴーはその男を利用するに過ぎない。)

 

「百物語」にあるこの ”原典” は、実在した16世紀のキプロス総督 をモデルにしたといわれるが、一言で云えば ” 奇譚 ” の域を出ないもの。

美しき白人の令嬢と逞しきムーア人の勇士-こうした異人種男女の恋や秘事は、現代でも下衆な好奇に晒されている。そう、殺害場面の猟奇性も含めて、この原典譚はまさに ”好奇” の視点へのアピールが強すぎるのだ。

 ※キプロス総督ではなく、キプロス司直で裁かれた犯罪者がモデルという説もあり。

  上画像はまさに原話の時代 (1540年) にヴェネツィア共和国がキプロスに改築建立したキレニア城で、まさ

  に「オセロ」の重要な舞台の一つである。


一方、シェイクスピアはこの原話を題材に、高貴な精神性と悲劇性とを限界まで高めたとは言えまいか?


嫉妬に狂い、妻を殺す。-それがあまりに真っ直ぐで高潔な人物の惑った結果であるゆえに、悲しい。

信じたくて已まない妻を殺害した直後に、その潔白という事実が迫ることが悲しい。

ほかに途のないオセロの自決という必然が、悲しい…。

そして、それを仕組んだイアーゴーの邪心が (恋慕などという情念的なものでなく) 純粋に名誉欲、或いは権力欲に過ぎないことが、また悲しい。


原話は相応な時間の経過の中で展開するのに対し、「オセロ」ではごく短い時間に圧縮されて展開する。オセロとデズデモーナの ”幸せな時間” もごく僅かでしかない。

「時間の短縮」によって緊迫と転変の効果を増し、悲劇性を高めるのがシェイクスピア得意の手法とのことだが、それも含めてシェイクスピアは ”奇譚”である原話を「オセロ」という”大悲劇”へ昇華させたのである。

【参考・引用文献】

「オセロー」 小田島 雄志 訳 渡辺 喜之 解説 (白水社)

「百物語 抄」望月 紀子 訳 (ルネサンスの箱 澁澤 龍彦 / 筑摩書房)

 三神  勲 によるオセロー解説 





■楽曲解説

作曲者リードは詳細なプログラム・ノートを遺している。これ( 「」 )も引用しつつ楽曲の内容を楽章ごとにご紹介する。3連符のリズムが悲劇的要素のモチーフとして強弱変化しつつも全編を貫いており、統一感と劇的な感動を演出しているのは印象的である。

 

Ⅰ.前奏曲(ヴェニス)

” 習慣とは恐ろしきもの。戦の庭にあって石を枕に鋼を床にして参りました我が身には、今や戦場こそこよなき羽毛の寝床でございます。”

「冒頭から戯曲全体に漲る緊張感と戦いの雰囲気を醸し出しているが、これは第1幕第3場でオセロがヴェニス公爵に行った演説(台詞上掲)に象徴される。」


打楽器のショットで堰を切る Trumpet と Trombone の楽句により、決然と開始。

その表情は険しく、緊張感が全合奏にそのまま引き継がれていく。


壮大なサウンドは一旦静まって、(第3楽章に登場する) 美しくも物憂げな旋律へ-。

 やがて遠くからファンファーレが聴こえると、鮮烈な応酬を積み重ねてスケールの大きな音楽となる。ここからは冒頭が再現されるや直ちに落雷の如く Horn の楽句が下り、息つくまもなく重厚な音塊が押し寄せる-と、実に精力的でパワフルだ。


音楽は放射状に高揚し、緊張の頂点で終止符を打つ。ここでの執拗な3連符の鋭い打ち込みは、逃れることのできない哀しき運命を暗示しているのではないだろうか-。


Ⅱ.朝の歌(キプロス)

” おはようございます、将軍殿 ”

「オーバード(Aubade)は朝の歌即ちセレナードで、(赴いたキプロスにて)オセロとデズデモーナの居所の窓の下で演奏する旅回りの楽隊によって奏されるもの。(第3幕第1場)この楽章は少人数で奏されることにより、荘厳な第1楽章や、豊潤で深遠な第3楽章と最高のコントラストを生み出すことができる。」

古風で軽快な音楽。「オセロ」という悲劇の中でも安寧な雰囲気にある場面を描いたものであり、16世紀の街中にある些細な楽隊がそのままイメージできよう。

その軽快で爽やかな楽想を活かすため、リードは「Clarinet、 Euphonium、 Tuba を各パート2名とする以外は全パート1名ずつで演奏すること」 と指示している。


Ⅲ.オセロとデズデモーナ

“ あれは私が冒した艱難ゆえに私を愛したのであり、またそうした我が身上を哀れんでくれたゆえに、私もあれを愛したのでございます。”

「オセロとデズデモーナの間の情熱的だが優しく深い情感を描写している。副題には、デズデモーナに求愛したことに関して、オセロがヴェニスの議官たちの前で行った弁明(台詞上掲)を引用している。」

 

ファンタジックなサウンドに包まれて、木管群が甘美な歌を歌う。デズデモーナの美しさや、二人の愛の純粋さをイメージさせる清々しさだ。

穏やかで優しい音楽は、幸せな時間が夢の中でたゆたうように過ぎていくことを表す。-なのに、続く Horn のソロにはもう既に ”悲しみ” が潜んでいる。

さらに音の束を厚くして歌い上げられていく旋律は、確かに美しい。


しかしそれは煽情的なオブリガートを伴いながら高揚するにつれて、胸をかきむしるような不安に包まれていくのだ。特に咽ぶような Horn のオブリガートには心が激しく揺すぶられてしまう…。

この劇的なクライマックスの後、二人の運命と愛の行方を暗示する音楽は、やがてぼんやりと遠く、遠く消えていく。


Ⅳ.廷臣たちの入場

” 見よ、ヴェニスの獅子を!” 「(この楽章で描写したのは)シェイクスピア原典の第4幕第1場と、ヴェルディの歌劇のためにボーイト(Arrigo Boito 1842-1918)が脚色した台本に登場する同様の場面との合成である。激怒と嫉妬のために半狂乱に陥ったオセロが、オセロを英雄として讃えようと訪れた廷臣たちの前でデズデモーナを罵り、殴るという忌まわしい場面の後、イアーゴーは(痛烈な皮肉を込めて)オセロを嘲笑するのである。」


 

全曲の白眉といえる楽章。喨々たるファンファーレに始まり、絢爛豪華で ”颯爽” としたフレーズが随所に現れる。添えられたリードのコメントに違和感を覚えるほど、威風堂々として気品と輝きに満ちているのだ。

主部は悠然としたグランドマーチだが、これに緊迫した Horn や炸裂する Cymbal とTrombone などが豊かな色彩を加え、重厚さも増していよいよクライマックスに向かう。(轟く Bass Trombone の音色が冴える!)


気忙しく駆け上がる木管をきっかけにサウンドはさらに煌き、その頂点 ( Poco piu mosso )でバンド全体が大きく鳴動すると、これに Trombone ソリが呼応するその儼乎華麗さといったら…到底言葉に尽くせない。

高らかなファンファーレに続き、Cymbal が劇的に響きわたるや、ドラムロールを従え最後まで華々しく堂々たる楽句で曲を結ぶ。


Ⅴ.エピローグ -デズデモーナの死

” お前を殺す前に口づけをしてやったな。 こうするよりほかは… ”

「第5幕第2場が戯曲を集約し、人間性を切り裂き人間性よりも優位に立ってしまった誤解の全てを集約しているのと同じく、この終楽章は全曲を総括し、これまでに生じた不協和音を最終的に解決させている。 その副題には、デズデモーナの屍にオセロが語りかける最後の有名な台詞を引用している。」

 

前楽章の華々しい印象は、序奏で瞬時に漆黒の暗鬱な雰囲気に変貌してしまう。

空しさの漂う中、沈痛な Muted Horn のソロが挽歌を歌う。


続く第2楽章の旋律の再現。愛情に満ちた日々のオセロとデズデモーナを回想させるが、その旋律は高揚しながら形相を変え、この上なく悲劇的なものとなって分厚いサウンドが聴くものを圧迫する。クライマックスで打ち放たれるスネアのリズム(悲劇の3連符)は、やはり逃れられなかった哀しい運命を象徴するものであろう。


やがて声にならぬ祈りのような密やかな音楽となって、それは徐々に生命力を失い、悲劇の終幕にふさわしいダウン・エンディングとなる。



【参考・引用文献】

「アルフレッド・リードの世界 -その人と吹奏楽曲108曲全ガイド」 村上 泰裕  訳・編著 (スタイルノート・2023年)


「アルフレッド・リードの世界」

村上 泰裕  訳・編著 (佼成出版社・1998年)





吹奏楽界の巨匠アルフレッド・リードがその遺した楽曲について書き記した解説や演奏上のアドバイスを網羅的かつ詳密にまとめた名著。何よりその真摯な翻訳・編集スタンスが素晴らしい。リード作品の鑑賞・演奏上、最も重要な参考文献と断言する。若い世代にも絶対に読んでもらいたい。

日本におけるバルトーク研究の第一人者として知られ、ネリベルやその作品にも造詣が深く、更にはオーケストラスコアの改訂にも精力的に取り組まれる村上 泰裕氏であるが、1998年出版の旧著を2023年に改訂しリード最晩年の作品も収録した「完全版」を上梓されたことは、洵に喜ばしい限りである。


■推奨音源

「オセロ」 は美しい旋律やカラフルな色彩感、各楽章のコントラスト、輝かしく豊潤なサウンドといったリードの美点が散りばめられた作品であり、これらをぜひ存分に堪能したい。音源としては以下をお薦めする。

アルフレッド・リードcond.

東京佼成ウインドオーケストラ

最も安定し、オーソドックスな自作自演盤。

気品と落着きがあり「オセロ」の王道ともいうべき演奏であり、メリハリもあって丹念な曲作りが窺える。発売当時、漸く登場した市販初の全曲録音であり、ファンには歓喜をもって迎えられた。





ウイリアム・シルヴェスターcond.

イースタン・ウインド・シンフォニー

前述した金管+打楽器による編成版

構成等ほぼ吹奏楽版と同じであり、「オセロ」 の原典を垣間見させるもので参考になる。

その一方でこの版を聴くと、リードが木管楽器を実に効果的に使用したオーケストレーションを施していることが再認識できる。




【その他の所有音源】

 金 聖響cond. シエナウインドオーケストラ (Live)

 金 聖響cond. 東京佼成ウインドオーケストラ (Live)

 野中 図洋和cond. 陸上自衛隊中央音楽隊

 アルフレッド・リードcond. イースタン・ウインド・シンフォニー

 アントニン・キューネルcond. 武蔵野音大ウインド・アンサンブル

 鈴木 孝佳cond. TADウインドシンフォニー (Live)

 ドナルド・ショフィールドJr. cond. アメリカ空軍ミッド・アメリカ・バンド

 松元 宏康cond. ブリッツ・ブラス

 須藤 卓眞cond. なにわオーケストラル・ウインズ (Live)

 小澤 俊朗cond. 神奈川大学吹奏楽部 (Live)

 渡邉 一正cond. 大阪市音楽団 (Live)

 松尾 共哲cond. フィルハーモニック・ウインズ大阪 (Live)


-Epilogue-

「オセロ」 のレベルに達した吹奏楽オリジナル曲はまさに稀有というべきであろう。オーソドックスな手法を用い決して難解さはなく超絶技巧も求めず、それでいて陳腐さを排した楽曲であり、演奏する者聴く者双方へ確実に音楽的感動をもたらしてくれる-。

間違いなく吹奏楽曲の目指すべき頂点の一つの姿だと思う。


音楽とはそもそも「二度とない」瞬間瞬間へと消えていくもの。しかし真に良い音楽・良い演奏とは、その「感動の瞬間の反芻、再現」という ”ありもしないこと” を希求させてしまう。

例えば「オセロ」はその感動の場面、瞬間を今この時すらも私に脳内再生させてしまう、私にとって最高の音楽なのだ。

良い音楽、良い演奏とはたった今消えていってしまったそれを「ああ、もう一度聴きたい」と自分の心が求めているか、で測ることができると常々思っている。


私にとってテクニカルに少々「巧い」だけでは全くその域に達しない。

即ち技巧という側面のみで「もう一度聴きたい」と感じるとすれば、想像もつかない空前絶後のレベルが必要だと感じるのだが、みなさんはどうだろうか?一方で素敵な旋律や、心を躍らす楽句には直ぐに「もう一度聴きたい!」と強く感じる。

自分にそう感じさせてくれる楽曲こそが良い音楽であり、そう感じさせてくれる表現のあるものが良い演奏なのである。


あと一つ、理屈抜きにどうしようもなく「もう一度聴きたい」と思わされるのは…

良い音色・良い声色! -それが手に入れられたら、どんなに幸せだろうか。



    <Originally Issued on 2009.4.25. / Revised on 2018.11.26. / Further Revised on 2023.11.14.>











 
 
 

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