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カートゥーン

更新日:5月17日

Cartoon      P. ハート  Paul Hart   (1945- )


-Introduction-

「すべてがここに詰まっている!デカデカとしたオープニング・クレジット、ネコとネズミの騙しあいに追いかけっこ、得意気にそっくり返ったウォーキング、そしてもちろん極めつけの壮大なフィナーレも…!

なにより素晴らしいのは、映画のスクリーンに映し出されていなくたって、そうした情景全てが聴くものの想像の中に湧き起こるのだ。」

 

フルスコアに掲げられたこの一文が、この楽曲の表現するものを端的に示している。

本作は、アメリカの ”カートゥーン” =漫画映画の黄金時代を彩った魅力的な音楽に対するオマージュであり、この一文は同時にそうしたカートゥーン・ミュージックそのものへの賞賛でもある。



■「カートゥーン」の代表格=「トムとジェリー」

フルスコアの解説文を読むまでもなく、この「カートゥーン」を聴けば、誰もが直ぐにあのアニメーションのタイトルを思い浮かべることだろう。…そう、「トムとジェリー」である。


✔「トムとジェリー」とは

「トムとジェリー ( Tom & Jerry)」は1940年にMGM(Metro-Goldwyn-Mayer Inc.)により制作・公開がスタート、以後1950年代までの全盛期に一世を風靡したアニメーションの名作。

猫とねずみの追いかけっこを題材に、スピード感溢れるありとあらゆるギャグを、さまざまなシチュエーションでマシンガンのように繰り出すこの “漫画映画 (Cartoon)” は、現在でもケーブルTVのアニメ・チャンネルやリマスターされたDVD、或いはネット上の動画サイトの人気コンテンツであり、また2005年には (版権を買収したワーナー・ブラザーズにて) 新作が作られるなど、人気が高い。


ウィリアム・ハンナ(William Hanna 1910-2001 写真右)とジョゼフ・バーべラ(Joseph Roland Barbera 1911-2006 写真左)のコンビに生み出され、ジーン・ダイッチそしてチャック・ジョーンズと実力派に制作が引き継がれていった「トムとジェリー」は、日本でもTBS系列でのテレビ初放送(1964年-1966年)以来好評を博した。その後内容も拡充 (「ドルーピー」シリーズをはじめとしたテックス・エイブリー作品を加えるなど) しながら数多く再放送もされたことで、幅広い年代の子供たちに浸透したのである。


 

中でも ”イギリス系で建築技師出身のマイホーム型、「まとめる」才能に長けたタイミングの天才” のハンナが全体の構成とタイミングを、“イタリア系で計理士出身の遊び人タイプ、素描の名手” バーベラが作画を担当し、二人で共同制作した初期の「トムとジェリー」は大ヒットを収めるとともに、アカデミー短編アニメーション部門に13作がノミネート、うち7作 が見事オスカーを射止めるなど高く評価されており、ファンの人気も抜群である。   ※アカデミー賞受賞作:

No.11 Yankee Doodle Mouse (1943), No.17 Mouse Trouble (1944), No.22 Quiet Please! (1945), 

No.29 The Cat Concert (1946), No.40 The Little Orphan (1948),

No.65 The Two Mouskeeters (1951), No.75 Johann Mouse (1952)


✔「トムとジェリー」の魅力

「トムとジェリー」も企画構想段階では「猫とねずみなんて使い古されたアイディアから、どれほどのバラエティが搾り出せると言うんだい?」というあざけりと冷笑に晒されたという。それでも第1作 “Puss Gets the Boot” は完成後格別の宣伝もなく封切られたにもかかわらず、ロングラン上映されアカデミー賞にノミネートもされた。

しかし MGM の重役たちは無関心で、プロデューサーのフレッド・クインビーはハンナ=バーベラに「猫とねずみをこれ以上つくってほしくない。」と申し渡す始末。ハンナ=バーベラの「トムとジェリー」が続編に向けて動き出したのは、テキサス州の有力な興行主から新作はまだかと要請があってからだったという。

 

 ※この第1作では猫の名前がJasper、ねずみの名前はJinxであったことから、バーベラは「『トムとジェリー』

  の第1作ではないが、その直系の先祖である」 とした。尚、「トムとジェリー」の名は、シリーズ化にあた

  りアニメーター仲間から候補を募り、その中からクジ引きで決定したものと伝わっている。

 

「トムとジェリー」 の魅力は、何と云っても ”W主演” のトムとジェリーによる ”追いかけっこ” ”カマしあい” にあるわけだが、”相手をやっつける” そのやり口の多様さ、思いがけなさ、手の込み方に感心させられるし、”やられた” 側のリアクションの面白さがまた凄い。今や伝統的なものとなっている笑いのツボ、パターンというものが全て詰まっているのだ。そこにアヒルの子やカナリア、トムの仲間(或いはライバル)の猫、子ねずみニブルス(タフィ)や個性的なジェリーの親戚たち、スパイク&タイクのブルドッグ親子など、これまた痛烈なキャラが絡んで、まさにギャグの坩堝と化している。

その一方でキャラクターは造形的に可愛らしく、色彩は美しく、実に滑らかでスピーディーに動き回る”画”の素晴らしさ…。この高品質をもって、立板に水の如く笑いを繰り出すのだから、圧倒されるの一言だ。

一本ごとに当時の流行や話題も取入れ、時には舞台を海外や中世へと移し、またさまざまなヒット映画や名作アニメのパロディーも満載。-文字通り“全て”を動員し「笑い」に向って突き進む作品となっているのである。


【出典・参考】

「 定本 アニメーションのギャグ世界 」 森 卓也 著 (アスペクト)

”トムとジェリー”をはじめとするアニメーションの魅力を語り尽くした名著で、ハンナ

&バーベラによる ”トムとジェリー黄金期” の全作品解説も収録。

尚、本著にて森氏が語られた ”トムとジェリー” に関するよりディープな考察、ならび

に大の”トムとジェリー”ファンである私の想いは別稿資料 「トム とジェリーの世界」

 を参照されたい。



✔「トムとジェリー」の音楽、 その ”凄さ”

そして「トムとジェリー」には魅力的な音楽が溢れていることを忘れてはならない。

「トムとジェリー」は台詞に頼らず、本質的に映像と音楽 (及び効果音) だけで構成されていると云って良いのだが、それほどに音楽の果たす役割が大きく、またその音楽の ”豊かさ” が印象的な作品だ。


その音楽を支えた人物こそが、スコット・ブラドリー(Scott Bradley 1891-1977)であった。

 



ディズニーのアニメ作品に顕著なように、映像と音楽 / SEを完全に同調させることを 「ミッキーマウシング」 というが、ディズニーはこれを 「白雪姫」 (1937年)で極めたとされる。

但しこれは音楽のリズムが先にあり、キャラクターがそこへ乗って動く形で音楽と動作が一対一対応しているものである。 

これに対し 「トムとジェリー」 では、キャラクターは自由気ままに動いていて、それに対してドラマチックな音がどんどん当てられていく- 即ち定型リズムのないあらゆる動作に、音を全部ぴったり当てていくという、完全に過シンクロな 「ミッキーマウシング」 となっている。これを確立し完成させたのが、まさに 「トムとジェリー」 の音楽を担当したブラドリーなのである。

 

 ※ブラドリーの回想談と当時の制作現場

  ブラドリーはMGMに入社間もない頃、既成の音楽をあてはめたがる監督に対し「いやいや、そういうあり

  ものの音楽じゃなくて、新しく作りましょうよ。」と主張し、交渉することを随分やったそうである。

  当時MGMはこうした7分ほどのカートゥーン (漫画映画) を2週間ごとに公開していた。即ちブラドリーは

  少なくとも2週間ごとに、”映像にマッチした” ”さまざまな音楽ジャンルの” ”さまざまな楽器編成による” 多

  彩な7分に亘るフル・スコアを書いていたことになる。シンセサイザーもなく録音機器も現在に比べれば未

  発達だった時代に、楽団の演奏や歌手の歌を用いてキャラクターの動きに合わせた音楽を次々と作っていく

  -想像するだけで気の遠くなりそうな作業だ。これをブラドリーは一人でやっていたと…。

  しかもアニメーターの都合によっては 「実際の作編曲は3日で」 なんてこともあったらしい。さらには録音・

  編集作業はもちろん、試写段階で監督からの要望に対応することも待っており、それらを一作ごとに相当な

  労力をかけてやっていたに違いない。まさにとてつもない ”消耗” である。

  ブラドリーはやはり「天才(バケモノ)」だったのだ。

 

当時最大の流行音楽にして自身の得意分野であるジャズを基調としながらも、ブラドリーはリストやヨハン・シュトラウスII世などの耳馴染みあるクラシック音楽、ガーシュウィンやグローフェによる現代アメリカのクラシック音楽、フォスターの歌曲や世界各地の民謡に童謡、「オズの魔法使い」をはじめとするMGMミュージカル映画のナンバーなど、さまざまな楽曲を「トムとジェリー」のために巧みかつ楽しくアレンジしている。

扱うジャンルやオーケストレーションの多彩さは、ブラドリーの幅広い音楽的造詣を感じさせずにはおかない。

そして画面の動きの一つ一つを表現するにも効果音頼みではなく、あくまで音楽で表現しているものが大半で 「冗談音楽」 としても洗練されており、楽曲は高い完成度を誇っている。


ブラドリーによる「トムとジェリー」の”音楽だけ” を抜き出したサウンドトラック (左画像) を聴いてみると、それが歴然としている。音楽を聴いて映像が瞬時に浮かんでくるのは当然として、めまぐるしく転換する楽曲であるにもかかわらず、それ自体がまとまりのある音楽となっていることに驚かされるのだ。

加えて、演奏もみな達者でノリノリ!

考えてみれば、このような娯楽の象徴たる漫画映画なんぞを視聴し笑っている時に、同時にこれほどアレンジも演奏もハイセンスかつトップクラスの音楽が終始楽しめるというのは奇跡的である。

これほど豊かで、贅沢なこともないではないか!


【出典・参考】

「アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界」菊地 成孔・大谷 能生 編(文藝春秋)

滋賀県立大学の細馬 宏道教授による、スコット・ブラドリーの手法解説を収録。

詳細は別稿資料「スコット・ブラドリーの仕事 アニメ劇伴の世界」を参照されたい。








■楽曲解説

「カートゥーン」は前述の通り、ブラドリーの創出した

 ”宝石箱” の如き漫画映画音楽へのオマージュを、吹奏楽で表現する作品である。

 

従って必然的に、曲はMGMのロゴの中でライオンが吠えるあのオープニング・クレジット (「トムとジェリー」の場合にはライオンの代わりにトムが吠える(笑) バージョンもある)

のゴージャスなイメージそのままに、生き生きとそして華やかに開始される。

 





これから底抜けに愉快な漫画映画が、ちょっぴり贅沢にも映画館の大スクリーンに映し出され楽しめる- そのウキウキわくわくと心躍る気分が演出されるオープニングとなっている。


その快活な音楽は Bass Ciarinet のドスの効いた楽句で場面転換。ひそやかで素早い木管楽器の動きと、プランジャーをかませた Trombone やトボケた Timpani の gliss-up などによるユーモラスな曲想が

交互にそして対比的に現れるが、ここでは食べ物をこそこそと、しかし嬉々として物色するねずみ=ジェリーの姿を想起させる。


そこににじり寄る猫=トムの影-

特大のサプライズ (ジェリーの慄きと盛大な悲鳴!) とともに ”お約束” の追い駆けっこの始まりだ。


これが一息つくと、一転してイージーで小洒落たジャズ、トムをうまく撒いて ”得意気に気取ったウォーキング” するジェリーをイメージさせる場面となる。


続くジャジーなコードの中からおどけた Mured Trombone のソロが現れると、

再びスピード感に満ちた追い駆けっこが始まる。ここではアクメ・サイレンやフレクサトーン (オプション)などをセンスよく使用し、上手に賑やかす演奏が望まれよう。


続いてトムが物陰から様子を窺いジェリーに忍び寄るあたり、作曲者ハートは打楽器やFlute のフラッターを巧みに使って、実に想像力豊かな音楽を構成している。


やがて暖炉の火かき棒を振り回し、ジェリーを追いかけ回すトム!

緊迫を増す音楽で場面はどんどんヒートアップするが、結局ジェリーに壁の穴へ逃げ込まれてトムは壁に大激突!

トムはペチャンコになってヒラヒラと…。

このイメージを表現する Trombone の情けな~い gliss-down が最高!


そしてまたまた ”お約束”、ペチャンコのトムはむくむくと復活し、また飽くことなくジェリーを追い回す-。こういう場面が 「トムとジェリー」 には頻繁にでてくるが、131-132小節にかけてはこのイメージがよく伝わってくる。

 

追い駆けっこが金管のファンファーレ風楽句で終結すると、賑やかでユニークなパーカッション・ソリ (16小節) に突入だ。カウベル・アクメサイレン・ダックコールといった効果音打楽器が大活躍、さらにサンバのリズムとなってアゴゴベルやサンバホイッスルも登場するなどユーモアに溢れる。

殊にダックコールは「トムとジェリー」の名脇役であるアヒルの子を思い描かせるもので、実に微笑ましい。


最後は ”美女の溜息のように” との指示がある(!)スワニーホイッスル(スライドホイッスルの一種)で締めくくられて緩やかなブリッジとなり、艶っぽいAlto Sax.のソロに導かれてメロウな中間部へと流れ込む。


 ※「カートゥーン」には効果音を含めて、非常に多彩な打楽器が使用されている。この曲を”それらしく”演奏する

  にはそうした打楽器の奏させ方を含め、細部に至るまで神経を行き届かさなければならないし、バランスの

  とり難い部分もあるようで、そうした意味では難曲である。



中間部はリリカルでロマンチックな大人のムードに支配されており、前半の旋律がジャズ・バラードに装いを変えて優美に奏される。

Trumpet ソロに Clarinet ソロが続いて描かれる情景は、気の利いた都会のオーセンティック・バーのひと時といったところだろうか。ガーシュウィンを彷彿とさせる、上品でお洒落なアメリカ的音楽となっている。


このうっとりとした雰囲気を ”いささか騒々しい” Trombone セクションのグリッサンド・ソリが打ち破り、再び快活さとユーモアに満ちた楽想へと戻っていく。


徐々にビート、フレーズ、ダイナミクスを拡げサウンドも厚さを増していき、ほぼフルテュッティでファンファーレ風の楽句が奏されると、これに続いて拡大された旋律と Trumpet

(+木管高音) の奏する3連符とが交錯し、鮮烈でダイナミックなクライマックス!


 高いスピード感をそのままに、スケールの大きな音楽が展開されるさまには感動を覚えずにいられない。

 






興奮を鎮めノスタルジックな Oboe ソロを挟むがたちまち急速なコーダに突入、放射状に高揚するや中低音が逞しく旋律のモチーフを奏して一気に終幕へ疾駆、鮮やかに曲を閉じる。


■作曲者

作曲者 ポール・ハートがイギリス軍ならびに同軍楽隊の祭典「ロイヤル・トーナメント」のためにこの「カートゥーン」を書いたのが1990年、その初演は「ロイヤル・トーナメント1993」に於いてであった。

映像関連音楽の分野で高名なハートが、この曲にやはりブラドリーへのオマージュも込めたであろうことは想像に難くない。

 ハートはその後も「サーカス・リング」「シルヴァー・スクリーン」「スカイライダー」などのモダンでユニークな吹奏楽曲を送り出し、注目を集めている。

 

■推奨音源

吹奏楽の編成と機能を活かして愉しく魅力的な作品に仕上がっていると思うが、実演の頻度がそう高くない。それは場面の鮮やかな切り換えやコントラストの見せ方に加え、打楽器による細やかな演出も施しまさに ”演じ切った” 演奏でないとこの曲の良さが充分には伝わらないということもあるだろう。

その意味で好演は少ないが、ぜひ下記音源をお奨めしたいと思う。


ユージン・コーポロンcond.

ノーステキサス音楽大学ウインド・シンフォニー

イマジネーション溢れる好演、テンポ設定も適切で、発揮されたスピード感が小気味良い。

中間部前のパーカッション・ソリなども、ちゃんとそれらしくサマになっている。演奏者がこの曲の描く (非常にアメリカ的な) 情景を確りとイメージできており、適切な演出が成されたことの証左であり、さすがはアメリカのバンドと評すべきか。

オプションで投入された打楽器も効果的だし、最後から2小節目で Timpani にスコアにないアクセントを奏させたのもバッチリはまって、見事にこの曲を ”演じきった” と云えよう。

 

【その他の所有音源】

 ジオフリー・ブランドcond. シティ・オブ・ロンドン・ウインドアンサンブル

 ジオフリー・ブランドcond. アメリカ海軍軍楽隊 (Live)

 ケネス・ブルームクエストcond. 武蔵野音楽大学ウィンドアンサンブル

 スチュワート・スターリングcond. イギリス空軍合同音楽隊 (Live)

 ケリー・ブレッドソーcond. アメリカ空軍ハートランド・オブ・アメリカ・バンド

 

 -Epilogue-

テクニカルにも決して簡単でなく、繰り返しになるが「演じ切る」必要があるため、極めて親しみやすい曲想にもかかわらず演奏機会が少ないのだと思われるが、実に素敵な楽曲である。

表現力のあるプロフェッショナルな楽団に 「これぞ、旧き良きアメリカのショービジネス音楽でしょ!」といわんばかり演奏を聴かせてほしい。

それによってこの曲の「表現」に挑むバンドが多く現れて、演奏者も聴衆も理屈抜きに楽しい音楽の時間を共に楽しめたら…と期待してしまう。

この曲にはそんなことを思い描かせる魅力があるのだ。

 

 

  <Originally Issued on 2006.10.9. / Overall Revised on 2013.6.13. / Further Revised on 2023.11.13.>

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