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キューバ序曲

hassey-ikka8

更新日:2024年11月28日

Cuban Overture    G.ガーシュウィン George Gershwin (1898-1937 ) -Introduction- ガーシュウィンが大好きだ。

ボーダレスに ”いい音楽” を求めている私は、それを体現し自己完結させた作曲家であるガーシュウィンの作品に、強い魅力を感じる。それこそ「パリのアメリカ人」などは、今でも演奏してみたい曲の最右翼である。

ガーシュウィンの伝記映画「アメリカ交響楽」(1945年)も学生時代に名画座で観た。

その中に演奏のワンシーンが挿入されていた聴きなれない曲-それが「キューバ序曲」との出遇いであった。ラテンパーカッションが活躍しているその映像に惹かれ、早速音源を入手したのは言うまでもない。しかし、当時は何故か ”ピン” とこなかったのだ。

”忘れていた”私にこの曲を思い出させたのは、やはり吹奏楽。1995年全日本吹奏楽コンクール、就実高校の演奏である。惜しくも銀賞であったが、その底抜けに楽しい、活気に満ちた演奏は音楽の喜びが溢れていた。「キューバ序曲」の魅力を充分に伝えてくれる、記憶に残る好演であり、これによって私は「キューバ序曲」に惚れ直し、再び音源探求...そして実演 (吹奏楽版だが) へと向かっていったのである。

■楽曲概説

✔ガーシュインと「キューバ序曲」

20世紀アメリカ最大の作曲家 ジョージ・ガーシュウィン。1919年の「スワニー(Swanny)」を皮切りに、現在でも愛唱・愛奏される数々のヒット・ナンバーを世に送り出し、時代の寵児となっていた彼が「ラプソディ・イン・ブルー (Rhapsody in Blue)」でクラシック界に衝撃を与えたのが1924年。

その後も1920年代のうちにミュージカル・ナンバーの名作を生み出す傍らで、「ピアノ協奏曲ヘ調 ( Piano Concerto in F, 1925年) 」 「パリのアメリカ人 (An American in Paris, 1928年) 」 と次々に斬新なクラシック音楽を創り出していった。


夭折したガーシュウィンが遺したクラシック楽曲は多くはない。そのいずれもが従来のクラシックの枠組みを超越した作品ばかりなのだが、中でも「キューバ序曲」(1932年) はひときわ異彩を放っている。1932年2月にキューバのハバナで休暇を過ごしたガーシュウィンが、現地の楽器 (クラベス、ボンゴ、ギロ、マラカス) を持帰り、これらをフィーチャーした作品である。


初演時 (1932年8月) の題名は「ルンバ(Rumba) 」というものであったが、同年11月の再演時に「キューバ序曲」と改題されている。

「この作品において、私はキューバのリズムと私自身が創作した旋律的な素材とを融合しようと努めた。その結果が、キューバ舞曲を体現する交響的序曲となったわけである。」                   

                        -ガーシュウィンによるプログラム・ノートより


この「キューバ序曲」の誕生に関しては、大きく2つの背景があることを認識しておくべきであろう。


✔交響的クラシック作品の完成度向上へ

第一に、「キューバ序曲」はガーシュウィンが交響的クラシック作品のジャンルにおいて、完成度を大きく向上させようと試みた作品であるということ。

既に音楽家として大きな成功を収めていたガーシュウィンであったが、賞賛してくれる批評家でさえ、自分の管弦楽作品にある幾つかのぶざまな構造には満足していない-。そのことを彼自身がハッキリ認識していた。

1928年の渡欧の際に、モーリス・ラヴェルに師事しようとしたエピソードなどは、それが端的に現れたものである。


一方でガーシュウィンは、バッハの「フーガの技法」やシューベルト、ベートーヴェン、ブラームスの作品の研究を進めていたし、さらに彼の研究は親しくしていたベルクやシェーンベルクの前衛作品にまで及んでいた。永らく”異端児”であったはずのガーシュウィンのクラシック音楽に対する深い造詣は、いつのまにか友人たちを驚かせるほどになっていたという。

そんなガーシュウィンは「キューバ序曲」を作曲した1932年、遂にジョセフ・シリンガー ( Joseph Schillinger )という作曲理論家に師事するのであった。

※ジョセフ・シリンガー

スクリャービンの弟子であったロシア系ユダヤ人。

バークリー音楽院の前身となった”シリンガー・ハウス”の創始者であり、後にジャズ界を席捲する ”バークリー・メソッド” は、彼の考案した ”シリンガー・システム” を元にしている。

グレン・ミラーやベニー・グッドマンもシリンガーに教えを受けており、また電子楽器テルミンの開発に関係し、そのレパートリー提供を手掛けたことでも知られる。




シリンガーは「私こそが (作曲に行き詰った) ガーシュウィンの危機を救った。」と主張していたとのことだが、そこまでのことであったかどうかは、後年の研究でも意見が分かれているらしい。

しかしながら少なくとも、「キューバ序曲」に転調の妙や新しいハーモニー、対位法上の新しいアイディア、流麗さというものが盛り込まれたのは、シリンガーに師事したことで生じた ”変化” であるとされている。

それまで、作曲にあたってはまず2台のピアノのためのスコアを作成し、音を鳴らしながらオーケストレーションを進めたとか、実際にオーケストラでの試奏を重ねたといわれるガーシュウィン。


シリンガーがガーシュウィンに影響したものは何だったのか?残念ながら「キューバ序曲」の作曲に関して具体的な研究を施した文献は、見つけることができなかった。

コード進行法的な作曲理論なのか、或いは所謂 ”4度の和音” の使用といったことなのか。”横” の構築という視点が、対位法を中心とした ”縦” の構築を中心とするといわれる伝統的なクラシックのアプローチの呪縛から、彼を解放したということなのか-。シリンガー理論が、ガーシュウィンに ”たちこめた霧を晴らす” ような啓示を与えたことは間違いないと思われるのだが・・・。



事実として(その人気のほどは別としても)、「キューバ序曲」はガーシュウィンの音楽的な成熟において、大きな飛躍を示した作品と位置づけられているのである。


  ※ガーシュウィンの自筆譜表紙 (上画像)

   ここに記載された標題は原題の ”Rumba”。絵心があったことでも知られるガーシュウィンはラテン・パー

   カッションのイラストも遺している。

【参考・出典】

 「ガーシュウィン (大作曲家)」

 Hanspeter Krellmann / 渋谷 和邦訳 音楽之友社


  「キューバ序曲オーケストラ・スコア」所載の解説

  ”キューバ序曲のバックグラウンド”  Alfred Publishing



✔ラテン音楽とクラシック音楽との融合 第二に「キューバ序曲」は、当時最先端の流行音楽にして異質な音楽文化の象徴であった ”キューバ音楽” と、クラシック音楽とが初めて融合した作品であるということ。

「 ”ルンバ” というと、たいていの人は『南京豆売り』かその類の音楽を期待する。この曲はそうした音楽をうんと性格的に仕上げるアイディアの下に作られた。」

                               -ガーシュウィンのコメント

ラテンのスタンダード・ナンバーとして有名な「南京豆売り」 ( El Manicero / The Peanut Vender )が発表されたのは1928年


ドン・アスピアズ楽団(Don Azpiazu / 左画像)がニューヨークで録音したレコードは、1930年11月に発売されるやミリオンセラーを記録し、全米で大ヒットとなった。しかもその人気はアメリカだけに止まらず、ヨーロッパやアジアへと広がって全世界的なものとなったのである。



「キューバ序曲」が作曲されたのはまさにその直後・・・。そして確かに、「キューバ序曲」には「南京豆売り」を髣髴とさせる楽句とリズムがちりばめられている!


折りしも禁酒法(1920-1933年)の時代であり、ガーシュウィンが1932年に休暇をキューバで過ごそうと思い至ったのは、酒を楽しむことのできるリゾートとしての魅力もきっと誘因ではあっただろう。しかし、当時世界を席巻していた異文化の流行音楽と、それを生みだしたキューバそのものこそがガーシュウィンの最大の興味であったことは、想像に難くない。

「ラプソディー・イン・ブルー」で (本人はそもそもジャズだのクラシックだのという区別などなかったかもしれないが) ジャズとクラシックとを融合したと評されたガーシュウィンが、今度は「キューバ序曲」でラテン(キューバ音楽)とクラシックの融合に挑んだともいえる。

自ら生み出したオリジナルの主題を、最先端の流行であるキューバのリズムと色彩にのせたシンフォニックな音楽-

”ラテンとクラシックの融合” がこれもまた後付の称号だったとしても、ガーシュウィンの心を躍らせた純粋な音楽的興味が、「キューバ序曲」からは感じられはしないだろうか?


これほどまでにガーシュウィンの音楽的興味をかき立てたキューバ音楽。そして、それを生み出したキューバそのものについても触れておきたい。


■キューバ

キューバはアメリカ南東端/フロリダ半島のさらに南、カリブ海に浮かぶ国である。 (日本の)本州の半分ほどのこの島国は、15世紀から永くスペインの植民地であった。

名産の葉巻も有名だが、何といっても19世紀に大規模なプランテーションにより、世界最大の砂糖生産地となったことで知られる。

当時奴隷としてアフリカ系人民が多く導入された経緯にあり、これが現在ムラート(スペイン系白人と黒人の混血) が人種上かなりの割合を占める所以であるとともに、後述の通りキューバ音楽の形成にも大きな影響を与えているのである。

1902年にはスペインから独立を果たすも、1959年のキューバ革命まで、事実上傀儡政権によるアメリカの支配下にあった。(ガーシュウィンの時代は、まさにこの時期にあたる。)

カストロやチェ・ゲバラに主導された同革命によって社会主義体制に移行し、現在も独自路線を歩む国家となっていることはご存知のことと思う。

欧州と中南米の中継地点として交易が栄えたキューバは、美しい海や多彩な自然、そして豊かな資源にも恵まれ、”カリブ海の真珠”と称される。植民地時代の歴史的建造物も観光客の人気を集めているようだ。


  ※外務省ホームページ「キューバ共和国」 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/cuba/


■キューバ音楽

✔そもそもが ”融合” の音楽

近年ますます高まるその人気を背景に、キューバ音楽を語る書物・サイトは多い。あれこれ目を通したが、その中でも「キューバ音楽」(八木啓代・吉田憲司著 青土社 )が最も明快かつ適切なものであろう。キューバ音楽の成立と背景が理解できるのはもちろん、”クラーベ” を採り上げた後半の「理論編」の判りやすさがまた素晴らしい。

私は「キューバ序曲」を”ラテンとクラシックの融合” と敢えて呼んだ。しかし同書を読めば、キューバ音楽自体がそもそも ”さまざまな音楽文化の融合” であることが判る。実はガーシュウィンが (というより世界が) キューバ音楽に出会った時点で、その音楽は既に濃密な ”融合” の賜物だったのである。

以下、同書を参考/引用しつつ述べていく。


キューバ音楽の源流の一つは、フランスの貴族社会で18世紀に流行したイギリスの田舎風舞曲=「コントルダンス」であった。植民地時代、宗主国のあるヨーロッパの社交界で流行した踊りは「フランス渡来の貴族的でオシャレな音楽」として、キューバに受け容れられたという。

これはキューバ現地でほどなく揺れるリズム感のあるエキゾチックさを加え、ダンサという舞曲となる。そして逆に国外に持ち出され、ヨーロッパで大流行 となるのであるが、それこそが「ハバネラ」である。ハバネラとは”ダンサ・アバネーラ” 即ちハバナ風舞曲の略だったのだ。

(コントル) ダンサはハバネラへと変貌し上流社会で流行したが、キューバの庶民階級でも管楽器を主体とした楽団で演奏された。それはより野生的なベースラインを持つ、よりリズミックな音楽である「ダンソン」となって熱狂的に流行したのである。


  ※ヨーロッパでの流行を受けて、大作曲家たちもこぞってハバネラを書いた。ビゼーの歌劇「カルメン」の

   ハバネラに至っては、実は当時キューバのイラディエルが作った「エル・アレグリート」という歌曲を、

   そのままアダプトしたものだそうだ。


一方、プランテーションに大量に導入されたアフリカ系民族の音楽=所謂黒人音楽は、多彩な打楽器を用いてリズミックさを極めたものであり、”コール&レスポンス”(ソロの問いかけにコーラスがその繰返しで応える)という特徴的な形式を持っていた。これもヨーロッパ文化(賛美歌など)の影響を受け、キューバで独自の発展を遂げる。

それがコルンビア・ワワンコ・ヤンブーの3種がある 「ルンバ」 である。


  ※ルンバ

   1930年代にアメリカはじめ世界的に流行、社交ダンスのジャンルともなった「ルンバ」は後述する「ソン」

   (含むソン・モントゥーノ) のことであり、キューバ本来の「ルンバ」とは異なるものである。

   大ヒットとなった「南京豆売り」が発売された際に、英語の ”Song” との混同を避けるため「ソン」ではな

   く「ルンバ」というジャンルとして紹介されたため、誤解と混乱が生じる結果になったとのこと。


こうして白人音楽と黒人音楽が、キューバで他文化の影響を受けて独自の変貌を遂げ、さらに融合しあったもの- それが 「ソン」である。

ソンは一般的に「メロディックな歌曲形式の前半部+ソロ歌手とコーラスの掛け合いとなる後半部」という形をとる。後半の掛け合い部分(=モントゥーノ)を強調したものが「ソン・モントゥーノ」と呼ばれる。ソンこそは最もキューバ音楽の特徴的なジャンルとされ、ダンソンと融合して「チャチャチャ」や「マンボ」誕生への布石となっていったし、その後は当然のようにジャズとも融合して、現在も愛好される音楽であり続けている。


このように、既に20世紀前半までにキューバはまさに最先端の、これまでにない流行音楽を生み出していた。それは禁酒法の時代に文字通り不夜城の繁栄を誇ったキューバの首都ハバナが求め、そして育てたものだっただろう。


「白から淡いグレーへの系譜でも、黒から濃いグレーの系譜でもなく、まさに、美しいカフェオーレ色の、生まれながらに混血のキューバ音楽の系譜である。」

                                        -「キューバ音楽」p59より

✔「キューバ序曲」への反映

「キューバ序曲」自体は急-緩-急-コーダの形式による、非常に明快な音楽だ。但し ”明快” であって ”単純” とは異なる。美しくエキゾチックな旋律、多彩な表情とラテンパーカッションの活躍する活力あるリズム、そして豊かなサウンドに富む「キューバ序曲」は大変魅力的な音楽となっているのである。


その魅力の由縁は、当然ながら 「ソン」を代表するキューバ音楽をフィーチャーしたことであり、そこには「ソン」の決定的特徴である

”クラーベ (Clave) ” のリズムが用いられている。クラーベとはわずか5個の音符で演奏されるリズムパターンで、これを刻む拍子木こそがクラベス ( Claves / 左上画像 ) というわけだ。

譜例にある通り3個の音符 (=緊張側:スリー・サイド) と2個の音符 (=弛緩側:ツー・サイド) から成るリズムパターンで、スリー・サイドから始まる ” Three-Two (3-2) ” とツー・サイドから始まる ” Two-Three (2-3) ” とがある。

「キューバ序曲」は ” Three-Two (3-2) ” である。


■楽曲解説

それではガーシュウィン自身のコメント ( 「 」 ) も引きつつ、楽曲の内容をご紹介する。

「この作品は3つの主要部分から成っている。最初の部分

( Moderato e Molto Ritmato )は主題の素材の幾つかをフィーチャーした f の序奏で推進されていく。

続いて3部から成るポリフォニックな楽句に導き出される第2主題。この最初の部分は、第2主題の断片と複合した第1主題の再現によって締めくくられる。」


木管楽器群の装飾音符を伴った鋭い楽句に続いて、堰を切ったように勢いのある音楽が一気に流れ出すオープニング。

突如として幕を空けるや、あっという間にキューバ音楽のムードが充満した華やかな音楽となる。



冒頭から独特のベース・ラインが現れ、これがリズムのみならずサウンドに関しても、この曲の個性的な印象を決定付けている。もちろん、ラテン・パーカッションが縦横無尽に活躍し、一層強烈な個性を与えているのは言うまでもない。

流麗な主題は実にエキゾチックで艶があり、リズミックな楽句と対比し或いは重なり合って、立体的な音楽に編み上げられてゆく。

そしてモチーフを絡み合わせ編み上げられた経過句に続いて、旋律が天高く駆け上がるさまは、まさに圧巻!である。


「ソロ・クラリネットのカデンツァに導かれて、哀愁に満ちた中間部となる。徐々に多調手法によるカノンを発展させていき、そのカノンの中で主題によるオスティナートをベースとしたクライマックスとなって中間部を終える。そののち急なテンポ変更により、ルンバ舞曲のリズムへと戻るのである。」

中間部は Clarinet ソロの音色に支配されている。

異国の熱帯夜がもたらすセンチメンタルなムードだろうか-。リズミックさは残しながらも、静かで幅広い音楽の与える印象の ”温度” は高い。

やがて歩みだすカノンは重厚かつ着実に足取りを進め、徐々に高まる緊張とともに壮麗なサウンドの構築物となってその威容を現し、クライマックスを形成していく。 「フィナーレは(主題と応答が重なり合って緊迫する)ストレッタ的な手法による、推進力のある楽句の展開となる。これが我々をもう一度この曲のメイン・テーマへと引き戻していく。そして楽曲の最後は、キューバ打楽器群をフィーチャーしたコーダで締めくくる。」

曲が快速さを取り戻すと、オーケストラが持つあらゆる音色を駆使した応答楽句が繰り広げられる。徐々にスピード感とテンションを上げ、前半のクライマックスの再現へ向かうのだが、そこでは高らかに、鮮やかに奏される豊潤な旋律によって一層スケールを拡大した印象を与え、コーダへとなだれ込むのである。


簡潔なコーダは、この楽曲の ”主役” であるラテン・パーカッションのリズムで放射状に高揚、最後にテュッティの強奏でもう一度特徴的なリズムが刻まれ、重厚な響きとともに全曲を締めくくる。

■推奨音源

「キューバ序曲」に関しては、音源の選択は非常に重要である。

まず、録音はかなり少ないといえる。そして楽曲の魅力を存分に発揮した演奏となると極めて限られるということをハッキリと申上げておきたい。中にはラテン・パーカッションがただうるさく感じられるだけの演奏で、この曲を単なる「色物」としか見ていないのでは?と思わされるものもある。

( とにかく触れた演奏によって、この曲の印象は大きく異なると思われるのだ。)


私の推薦盤は以下2つ。

いずれも、特徴的なベース・ラインをしっかりと聴かせ(しかも要所で Tuba の音色が効いている!)、それによってこの曲の持つ充実したサウンドを引き出していることが特筆できよう。まずこれだけでも、他の演奏とは完全に一線を画すものである。


ジェイムズ・レヴァインcond. シカゴ交響楽団 活力漲る、抜群の推進力。メリハリがあるのに全曲の構成も確りと俯瞰されており、楽曲の内容把握は深い。中間部のクラリネット・ソロが実に秀逸で、どこまでも暖かい音色と表現が楽想にピタリと合致している。

また、再現部のクライマックスで示されたテンポの ”ため” は絶妙、BRAVO!




ロリン・マゼールcond. クリーヴランド管弦楽団

これも秀演!

実に生き生きとした演奏で、感じさせる ”生命感” の力強さは屈指のものである。全曲に亘り、質感が損なわれることのないサウンドの充実ぶりも素晴らしい。

また、Horn の演奏が実に”男前!” であり聴きどころである。

楽曲中に包含された Horn の効果的な楽句が、見事に活かされているのだ。



【その他の所有音源】

 アンドレ・プレヴィンcond. ロンドン交響楽団

 リッカルド・シャイーcond. クリーヴランド管弦楽団

 シャルル・デュトワcond. モントリオール交響楽団

 ハワード・ハンソンcond. イーストマン=ロチェスター管弦楽団

 クルト・マズアcond. ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

 ズービン・メータcond. ニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団

 ウェイン・マーシャルcond. オールボルイ交響楽団

 ジェイムズ・ジャッドcond. ニュージーランド交響楽団

 ダニエル・バレンボイムcond. シカゴ交響楽団


尚、ご参考までに、

「南京豆売り」の私の愛聴盤は

Nick Morales & Su Orquestra

こちらもぜひ一聴を!

実にゴキゲンな音楽である。









-Epilogue-

「キューバ序曲」は吹奏楽編曲譜も現在では、平石 博一版・マーク・ロジャース版・真島 俊夫版の3つがあり、録音も発売されている。スコアの細部を表現し切るには難しさもあると思うが、絶対的に吹奏楽向きの楽曲ではあるし、もっと吹奏楽でも採り上げられてよいはずだ。

ともかくまずはこの素敵な作品の真の魅力を知っていただくべく、管弦楽原曲の秀演をお聴きいただければと願う。


     <Originally Issued on 2009.1.10. / Revised on 2022.11.2. / Further Revised on 2023.12.6.>

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