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ザノーニ(ザノニ)

更新日:5月17日

Zanoni op. 40 P.クレストン Paul Creston (1906-1985)


-Introduction-

エキゾチックなサウンドと、巧みで個性的なリズムの使用- そうした作風で根強いファンを持つアメリカの作曲家ポール・クレストンが吹奏楽界に遺した傑作。1947年に作曲されたこの「ザノーニ」は「プレリュードとダンス」「セレブレーション序曲(式典序曲)」「アルトサクソフォン協奏曲」と併せ、クレストン吹奏楽四大名作と呼んで差支えないであろう。


作中の随所に現れる独特の楽句とその ”音響” は思わず息を飲むような驚きを与えずにはいない。また印象的な個性をもつリズムパターンが執拗に繰返されるその凄味もまた固有のものであり、そうしたクレストンの音楽に私も強く惹きつけられるのだ。


 ※この曲の日本語表記は永らく「ザノニ」とされていた。しかしながら本稿では後述する私の推定に基き、

  本標題の元と見ている小説の一般的邦題に合わせ、敢えて「ザノーニ」と表記することとした。


■「ザノーニ」とは何か

✔標題に意味はない?

「『ザノーニ』という標題を掲げてはいるものの、この作品は標題が示唆するものが一切ない抽象的な音詩である。標題がブルワー=リットン卿の著した物語或いはその主人公と同じなのは、純粋に偶然の一致である。」

-クレストンのコメントは、斯様ににべもない。確かにクレストンの作品に標題音楽はほとんど見当たらないのだ。しかし、ならば「ザノーニ」という標題は何に由来するのか?クレストンはわざわざ「関係ない」と言及した一方で、では何に?について一切コメントしていない。この言葉の持つ語感が何となく気に入ったとでも云うのだろうか?手を尽くして調べ得た限り(少なくとも1947年の作曲当時に於いて)「ザノーニ」という言葉はクレストンも触れているブルワー=リットン作の小説の題名以外にほぼ使用されることのないものである。

これに鑑みれば次の三つが推定し得るところではあるまいか。

 

1. クレストンの念頭にはやはり小説「ザノーニ」があって、そこからこの曲は生まれた。

 クレストンのコメントは「標題に囚われることなく、純粋に音楽として作品を捉えてほし

 い」という趣旨が色濃く表れたもの、ということではないか?

 楽曲の各部分について-例えば「トランペットのソロはザノーニとヴィオーラの愛を表現

 しているのですか?」といった類の、この楽曲をあたかも同小説の情景描写的な作品であ

 るかのように解釈をしようとする向きに接し、それをすっかり嫌気したのかもしれない。

2. 「ザノーニ」は後述の通り”小説として”大変興味深いものであるが、錬金術・魔術をはじ

 めとするオカルティズムや、秘密結社=薔薇十字団との関係が深い。小説「ザノーニ」に

 インスパイアされて曲を書いたのは事実としても、クレストンとしてはそうしたものとは

 一定の距離を置いている旨、表明したかったということか?

3. 本作はミシガン大学の吹奏楽曲委嘱シリーズの1曲なのだが、例えば委嘱者側が完成した

 この曲の印象から小説「ザノーニ」を想起して、標題を付した。或いは小説「ザノーニ」

 を題材にした楽曲を委嘱されたが、実際には必ずしも内容が委嘱趣旨とリンクしない楽曲

 が完成してしまった。


✔小説「ザノーニ」

情景描写的音楽では全くないとしても、前述の推定に基きこの楽曲と ”無関係” とは到底思えない小説「ザノーニ」について、やはり触れておくことにしたい。

①概説 (富山 太佳夫による解説より)

「『ザノーニ』(1843年)は、ひとことで言うならば、壮大なメロドラマ的小説ということになるだろうか。それは「カルディアに始まり、のちの薔薇十字会へと流れてゆくすべての輝かしい友愛団の奥義」をふまえた神秘的な作品であるとともに、フランス革命の時代の史実をふまえた歴史小説でもある。

それは神秘主義の教説と歴史とを二つの極として、その間でくりひろげられてゆく愛と死の物語である。あるいは比喩を変えて、ナポリ、ヴェネチア、イタリアの山奥の城、ギリシャの島、恐怖政治下のパリ、そしてロンドンをつなぐ空間を横糸とし、西洋の長い歴史を縦糸として、そこに神秘の糸をまじえて織りあげられた愛と知と陰謀の絢爛たる絵巻きと言ってもよいだろう。」


②「ザノーニ」のあらすじ

美しく信心深いナポリの歌姫ヴィオーラには、その芸術家としての成功と女性としての安寧を庇護する不思議な存在があった。それが超人ザノーニである。秀麗の美男にして富裕なザノーニは神出鬼没、舞台にあるヴィオーラには客席から魔法のように力を与え、また彼女に危機が迫れば察知してこれを救う。ザノーニこそは、耐えうる者の稀な修行を経て永遠の若さと超能力を手にした幻視者であった。未来を見透かし、遠く離れた場所の情景や会話を幻視し、いかなる病魔からも救い出す秘薬を操る彼はまさに驚異の存在である。

 

ヴィオーラのザノーニに対する尊敬はやがて思慕へ、そして愛情へと変わる。ザノーニのヴィオーラに対する庇護者の想いもまた、愛情へと変化していった。しかし時空を超えて存在する超人ザノーニと、永遠たり得ないヴィオーラとは本来交わり得ない運命にある。ましてやヴィオーラとの愛に身を投じた瞬間から、彼女を庇護する超能力はザノーニから喪失されていくのだ。激しい葛藤の末、ザノーニは師メイナーの忠告も振り切り、ヴィオーラとの愛を選択する。

 

二人は愛らしい子供にも恵まれ、ひととき幸せな時間を過ごす中で、ザノーニは自身の超能力が完全に消失する前にヴィオーラと子供とを自分と同じ境地に引き上げようと試みた。しかし、信心深さゆえ迷信に惑うヴィオーラにそれはできず、ザノーニへの深い愛情とはうらはらに、彼の不思議さに対する畏れと疑いとをどうしても拭いきれない。

 

そして幻視者への修行に挫折したグリンドンの言葉を信じて迷信に塗れたヴィオーラはザノーニを恐怖し、子供を守りたい一心から愛情を押殺しパリへと出奔してしまう。

折しもフランス革命におけるロベスピエールの恐怖政治下である。その嵐に巻き込まれたヴィオーラは、幼子とともに死刑囚として投獄されてしまった。ほぼ超能力を失ってしまっているザノーニは、生身の人間として妻子の救出に向かうが、もはやそれを実現するにはヴィオーラの身代わりに自らの命を賭するほかなかった。

それでも断頭台に向かうザノーニは愛に生きた確信に満ち、最期の瞬間まで笑顔を失わない。

 

ザノーニが ”永遠” を棄ててまでも守りたかったヴィオーラ。

-ザノーニの最期を眼にし、これに耐えることのできなかった彼女もまた、この上なく美しい姿をとどめたまま天に召されて行ったのだった。


【詳細なあらすじ】


③作者 ブルワー=リットン

「ザノーニ」の作者エドワード・ブルワー=リットン(Edward Bulwer-Lytton 1803-1873)はイギリスの小説家・政治家で「ペンは剣よりも強し」の名言を遺したことで有名。またあのリットン調査団の団長は孫にあたる。「ザノーニ」の各章冒頭にはさまざまな小説や戯曲からの引用がアフォリズムの如く掲げられており、作者の幅広い教養が強く感じられる。

作品としては「屋敷と呪いの脳髄(幽霊屋敷)」もあるが、何といっても「ポンペイ最後の日」が汎く知られているだろう。



※ポンペイ最後の日(1834年)

紀元79年にベスヴィオ火山の噴火により壊滅した南イタリアの古代都市ポンペイを舞台とし、これもまた愛と陰謀の物語に魔術の要素を絡めた物語である。原著は長編小説とのことだが邦訳は専ら少年少女向け文学となっている。登場人物は善と悪とで明確に分かれ、劇的で判りやすいストーリーの傑作であるが、圧巻は盲目の美少女ニディアのキャラクターとその生き様の描写であろう。

ニディアは三角関係の妬けつくような愛憎にかられ葛藤に苦しみながらも、決してダークサイドに転落することなく、自らの純愛は密やかな自決によって貫く。その ”善” が、あまりにも潔くもの哀しいのである。

( 岡田好恵 訳/講談社青い鳥文庫)


④小説「ザノーニ」の魅力について

一説によれば自身が薔薇十字会の会員であったともいわれるブルワー=リットンは「ザノーニ」において神秘的なもの、オカルト的なものをふんだんに織り込んだ。このような ”ゴシック小説” は恐怖の仕掛けと幻想性が売りものの大衆文学と受け取られがちとされるが、もちろんそうした側面に「ザノーニ」の真の魅力があるわけではない。

「超越した知性を持ったザノーニが人間の不安定な心情に共感し、それに同体化してゆくこと、更にはヴィオーラに対するまさに”人間的な”愛のためにその超能力を棄ててしまうこと、そして遂には愛のために自らの命をも犠牲にするということを超人たるザノーニに実践させることで、現代の人間をも貫く強烈な愛のイデオロギーを提示している」(富山 多佳夫 評) さまが、読者に劇的な共感を与えているのに相違ないのだ。

しかも、それが激動の史実とオカルティズムの交錯する、刺激的な舞台で演じられているわけで、ブルワー=リットンの構想力と表現力には脱帽するほかない。そして、悲劇極まる中に不思議な穏やかさを湛えているラストシーンは、まさに本小説のテーマを総括し象徴するものであろう。


【出典・参考】

「ザノーニ」Ⅰ・Ⅱ 

 富山多佳夫・村田靖子 訳

 (図書刊行会)

 

「薔薇十字団」

 クリストファー・マッキントッシュ 著

 吉村正和 訳 (平凡社)




■楽曲解説

私見に拠り長々と小説「ザノーニ」について述べさせていただいたが、前掲の通り、作曲者クレストン自身はあくまで本作品とは ”無関係” としている。従って楽曲の詳細についてはあくまで標題音楽としての要素を排し、クレストンのコメント ( 「」 ) を引きながら紹介することとしたい。

「この作品は大きな三部形式(A-B-A) に成っており、荘厳な序奏の後に ”A” セクションが始まる。」

Slow and majestic (4/4拍子、♩=48) と記された通り雄大で荘厳な序奏に始まる。堰き止められた水が溢れだすかの如くTrumpet (+Alto Sax., Horn ) によって力強く奏される骨太な旋律と、これに呼応する中低音のカウンターのエキゾチックな響きが初手から痛烈なインパクトを与えている。

 

ミステリアスな Flute ソロで静まった後、序奏部は再び繰り返され今度は Clarinet の即興的なソロに続き Oboe の敬虔な響きで締めくくられる。


「そしてテューバによって繰返し演奏される低音の旋律=グラウンド・ベース※1 の上に流麗なコルネット・ソロが現れるのである。このグラウンド・ベースはほどなく音域を上げ、ハーモナイズされて奏されていくが、後に楽曲のテクスチュアに於ける中心的な位置を占めることとなっていく。」

ややテンポを上げ(♩=60)抒情的な Trumpet (Cornet) ソロへ。


美しくも哀切な旋律が、反復される低音部 (=グラウンド・ベース) の伴奏の上で流麗に奏され、幻想的な曲想となる。旋律が清冽な Flute + Oboe に移ると、今度はあたかも澄み切った清流が淵で緩むような安寧が訪れるのだ。

続いてグラウンド・ベースを優美に奏する Clarinet に導かれ、Euphonium の暖かで大らかなソロが現れるのだが、ここではまさに優しく抱擁されている感覚に包まれるだろう。


「短調のクライマックスを経て、短いブリッジが ”B” セクション(Moderately fast)へと導く。ここでは 3/8 拍子のフィギュレーション※2 による伴奏とともに 2/4 拍子の旋律が歌われる。3/8 拍子✕ 4 と 4/8 (または 2/4) ✕ 3 がオーバーラップする ”定期的な細分化の重複” ※3 が用いられている。」

穏やかな旋律が継承される一方で、グラウンド・ベースは Trumpet のスタッカートの楽句に移り、アジテートな雰囲気を徐々に濃くして高揚し、強力な低音群と高音楽器の附点のある3連符のリズムのコントラストとが緊迫のクライマックスを形成していく。


全合奏の ff の残響から突然静まるブリッジを経て、ポリリズムの Moderately fast (♩=104) へ入るが、この部分こそクレストンの真骨頂である。

息の長いフレーズで伸びやかに奏される2/4拍子の旋律と対照的に、小節を跨いで刻まれていくリズムは密やかだが実にヴィヴィッドであり、静かにしかし確実な興奮を誘う。拡大と縮小を繰返したこの展開部は、金管中低音に始まる拡大した旋律がほどなく鮮やかな金管の全合奏となって頂点を迎え、木管セクションの下降楽句によるブリッジを挟んで怒濤の終結部へとなだれ込むのだ。


「”A” セクションへと戻ると、あのグラウンド・ベースがハーモナイズされ且つ拡大され、強大にまた威厳をもって現れるのである。」

slightly slower の終結部は重厚で弛みない歩みを示す Timpani と、Trombone + Euphonium+Tuba の奏するハーモナイズされたグラウンド・ベースとが推進していく。


執拗に反復され続けるこのグラウンド・ベースに、あの Trumpet (Cornet) ソロで奏された抒情的な旋律がクロスオーバーしてきて、終幕に向かって放射状に高揚しながらひたすらに突き進むのだ。

音量とともに音楽はスケールと決然とした強靭さとをじわじわと拡大し、遂には打楽器群が激しく畳み掛けてこの上なくドラマティックな、感動のエンディングへと到達するのである。

全編を通じ深みのある ”黒” の色合いが感じられ、また濃厚でパワフルなサウンドと随所に現れる各楽器のソロを配したソリステッィクな楽想とが対比しつつ一体となって迫るさまは、まさに見るものを圧倒する美しい織物のよう。独特の個性が魅力を放つ傑作であることは間違いない。


※1 グラウンド・ベース : ground bass

=バッソ・オスティナート(執拗なバス)。同一音型を同一音高で連続反復する最低音部を指す。その際、上声部は独自の運動を展開することによって、下部構造の固定化というこのバスの静止状態と対照をなすのが普通である。13世紀から既にみられる手法で、古典派ロマン派から現代の作品に至るまで用いられている。

判りやすい例としてよく「ゴジラのテーマ」が挙げられる。

 

※2 フィギュレーション : figuration

音階や分散和音などの音型を用いて旋律や和声を修飾すること

 

※3 ”定期的な細分化の重複”: regular-subdivision-overlapping

クレストンは作曲技法におけるリズムの権威書「リズムの原理」を著し、さまざまな楽曲に使用されたリズム手法を分析・整理しているが、ここで使用された手法はこのように名付けている。そしてこれをはじめとして、さまざまな手法を自作に使用しているのである。


【出典・参考】

LPレコード  ”The Authenticated Composers Series : Paul Creston”(後掲)

所載のクレストン自身による解説

 

「新音楽辞典」 (音楽之友社)

 

「リズムの原理」 ポール・クレストン 著 / 中川 弘一郎 訳(音楽之友社)




■全日本吹奏楽コンクールでの演奏をきっかけに

1972年の全日本吹奏楽コンクールでは関西学院大学が本作を演奏し、見事金賞を受賞した。これによって「ザノーニ」は広く知られることとなった。楽曲の勘所を押さえダイナミックかつドラマティックに演出したなかなか見事な好演である。

「ザノーニ」という楽曲の音源として、本邦ではこの演奏の Live 録音しかない状態が続いた。ところが残念なことに、このコンクールでの演奏は極めて重要な前半の Trumpet (Cornet) ソロがカットされているため、楽曲の全容は永年に亘り謎のままであったのである。

私も「ザノーニ」のスコアを初めて入手した際にその事実を知り、全曲録音の登場/入手をずっと渇望していたのであった。


■推奨音源

ロバート・レヴィーcond.

ローレンス大学ウインドアンサンブル

作曲者クレストンの監修のもと録音されたLPで、楽曲の素顔の魅力を端的に伝えている。

メリハリの効いた表現が大変素晴らしく、Trumpet (Cornet) や Euphoniumのソロも好演。

掲載されたプログラム・ノートも大変貴重であり、クレストンの吹奏楽曲に関する資料として価値の高いアルバムであるが・・・

CD化はされていない!



大井 剛史cond. 東京佼成ウインドオーケストラ

待望の本邦プロフェッショナルバンドによる録音が登場。

貴重なノーカット録音が漸く優れた音質にて成されたものであり、大変喜ばしい。

 

 

 



 


-Epilogue-

近時クレストンの作品では「プレリュードとダンス」の録音が増えてきており洵に喜ばしいが、この「ザノーニ」においてもいよいよ活発に演奏されることを望みたい。

ぜひ全般に亘りクレストン作品の再評価がなされ、さまざまなバンドで広く演奏されるよう願うとともに、それによって優れた演奏の録音が多く登場することを期待し、胸をふくらませている。



      <Originally Issued on 2015.2.25. / Revised on 2022.5.5. / Further Revised on 2023.11.15.>



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