Passacaglia for Symphonic Band 兼田 敏 Bin Kaneda (1933-2002)
-Introduction-
1978年西部(現九州)吹奏楽コンクールでの石田中(沖縄)の名演が、今も心に焼き付いて離れない。
指揮台の端に身を小さくした屋比久 勲先生の棒が、静かに降りる。これに呼応し、まるで地中から湧き出るかのような低音の旋律-。そうして始まった演奏は、最後まで緊張感と音楽の流れが途切れることのない見事なものだった。
低音から木管に引き継がれた旋律は音域の上昇とともに高揚していくが、伴奏も足取りを同じくして高揚し、テンションを高めたふくよかな音の束となって感動を誘う。要所要所で旋律・伴奏が一体となって存分に歌い上げる ”屋比久節”は、他の演奏で聴かれることのない素晴らしい個性。
終結部のグランディオーソは、充分にテンポを落とし、高らかな旋律と重厚な低音のカウンター、そして運命的なものを感じさせるスネアのリズムをたっぷりと聴かせ、感動的なことこの上ない。このグランディオーソの直前のクレッシェンドも、全合奏が一体となってまるで炭火の遠赤外線で熱せられるように刻々とエネルギーに充ちていく。これも ”屋比久節” の面目躍如である。
-このグランディオーソの終結部は、何度聴いてもいつも胸がきゅーっと締め付けられるような感動を覚えてしまう。
※ この石田中の演奏は全日本吹奏楽コンクール実況録音で聴くことができるが、CBSソニー盤はミキシングが
異常で論外であり、ブレーンのダウンロードショップの音源がお薦めであった。(残念乍ら同ショップは閉店)
但し、テンポの速い部分は全国大会の方が精度が上っているものの、演奏全体の出来は西部大会の方が素晴
らしいと思われ、この点少し残念。しかし全国大会の演奏でも、私のコメントの意味=石田中の名演のほど
は充分判っていただけることだろう。
■楽曲概説
「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」は、本邦吹奏楽界の重鎮として活躍した
兼田 敏が1971年に作曲した音楽之友社創立30周年記念委嘱作品。※
早くも翌1972年の全日本吹奏楽コンクールで浜松工業高が演奏し金賞を受賞、瞬く間に脚光を浴びた。以来現在に至るまで作曲者の代表作として広く演奏され、愛されている名作である。
※ 初演よりも先に、フルスコアがバンドジャーナルの附録として配布されたという…大らかな時代である
素朴だが深遠な美しさのある旋律、簡潔で明快な構成にして無理や無駄のないスコアリング、変化に富みながらもダイナミックなクライマックスへ帰結していく統一感… 6分強の時間に音楽がぎゅうっと凝縮しており、文字通り本邦吹奏楽オリジナル曲の頂点の一つと云って良い。
パッサカリアは古くからある舞曲だが、のちに低音楽器によって繰り返し奏される主題を持つ、緩やかな3拍子の変奏曲を指すものとなった。同性格の楽曲としてシャコンヌ(Chaconne)が挙げられる。変化しないベースラインに対し和音が変化するか否か (変化するのがパッサカリア)、或いは主題が低音に常置されるか否か (常置されるのがシャコンヌ)で区別するなどの説があるが、両者の厳密な区別は曖昧である。
作曲者・兼田 敏自身のコメントは-
「曲は低音で始まる主題が繰り返され、その上に変奏された音楽が様々に展開される古典の『パッサカリア』の形態をとっています。また、古典の作品では舞踊曲の形を残して、緩やかなテンポの3拍子、8小節のテーマが繰り返されますが、この曲の場合は10小節、途中から拍子、テンポも変わり18回繰り返されます。
この曲は直ぐ出版され多くのバンドに取り上げられる幸運に恵まれました。
そのスコアには『中学校や高等学校のバンドで可能な演奏技術で、音楽の楽しみや喜びが味わえるようなものを書きたいと思いました。』と作曲当時の気持ちが書いてあります。
この年の春、東京から岐阜に住まいを移し、見る物、聴くものいろいろと珍しく、新鮮な空気に感激していたことを思い出します。」
※ 兼田 敏は指揮者・汐澤 安彦と「パッサカリアの演奏をめぐって」という題目で対談し、これがバンドジャー
ナル誌(1973年4月号)に掲載された。作曲間もない時期でもあり、兼田 敏の作曲意図を窺い知ることのでき る貴重な資料である。 【資料】パッサカリアの演奏をめぐって
■楽曲解説
「パッサカリア」の形態に則り、低音楽器による密やかな旋律提示に始まる。
この旋律が発展し木管楽器によって、穏やかだが徐々に、且つ確実に高揚して、まずは実に ”内省的な” クライマックスを迎えるのだ。この前半部を聴くと、この曲は現代的で西洋音楽の手法で書かれているけれども、ごく日本的な精神性も内包しているのだと感じられて已まない。
すると突如Allegroに転じ、パーカッション・ソリに導かれてHornに雄雄しい変奏が現れる。
これをTrumpetが追いかけるのに始まって、この部分では各声部が快活に応答する立体的な音楽となる。賑やかで活発な曲想となって透明感のある ”兼田サウンド” を響きわたらせた後は、テンポ・ダイミクスともに静まってAndanteへと流れ込む。
ここでは Alto Sax. のソロがとても美しく、またこれに絡む Euphonium のロマンティックなオブリガートが印象的である。Oboe ソロでさらに甘美さを増すこの幻想的な音風景は、やがて名残惜しげに遠く消えていく。
再び急な場面展開でAllegro capriccioso。三連符ではらはらと落ちていく木管楽器の楽句から、発想記号通り諧謔味に満ちた楽想となる。
ベルトーンに続く鮮烈な Timpani ソロ-このソロは非常に難しい!果たして聴くもののハートを持っていってしまう ”一陣の風” となり得るや…!?
暗鬱な Sax. ソリのブリッジを経て、今度はワルツ風の典雅な音楽。
短いが非常にチャーミングな部分で、私は大好き!St. Bass のピチカートとルバートで存分に歌う Clarinet が、ちょっと憎らしいほどに洒落ている。
そして曲はフィナーレへと向かう。
Sax.に始まり次々と受け継がれる主題とその変奏は、フーガ風に編み上げられて徐々に厚みを増し、さながら巨大な構築物となっていく。堂々たる低音の4分音符の足取りは緊迫のアラルガンドとなり、深く強く熱を帯びながら最大のクライマックス=Grandiosoを迎える。
高らかに、伸びやかに奏される主題旋律と、劇的な低音のカウンター。
バックに聴こえる Snare Drum のリズムが ”終末” の暗示を充満させ、これが劇的さを幾層倍にも拡大しているのが凄い!
(この Snare Drum のリズムはテヌートで奏されないと、劇的効果が生まれてこない。)
最終2小節の全合奏による吹き伸ばしで締め括られるが、作曲者は敢えてフェルマータを付していない。感傷的になり過ぎぬエンディングで全曲を終う意図であろう。
■推奨音源
「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」は確りとした構成かつ明解なスコアの秀作であるが、ともすれば淡々と演奏されがちな曲でもある。
前述の石田中の演奏こそは、この曲が備えている劇的性を浮き彫りにしたものであり、その真価を改めて世に轟かせたのである。プレイヤーに中学生としての限界はあるが、表現面で高次元へ殻を突き破ったその演奏は、存分に「歌」を聴かせ、グランディオーソをドラマティックに演出して、この曲の世界を更に拡げたのだ。
プロフェッショナルなバンドの録音では以下を推奨する。
汐澤 安彦cond. 東京アンサンブルアカデミー
録音もサウンドも古いが、この曲の素顔を見ることのできる実直な演奏である。
前述の通り汐澤 安彦は作曲者兼田 敏とこの曲のアナリーゼを巡って対談しているが、そこで二人の意見はすり合い相互理解が完了した様子が窺える。その汐澤指揮のこの演奏は作曲意図を充分に反映したものとも云えるだろう。
【その他の所有音源】
金 洪才cond.東京佼成ウインドオーケストラ
山下 一史cond.東京佼成ウインドオーケストラ
木村 吉宏cond.大阪市音楽団
秋山 和慶cond.大阪市音楽団(Live)
牟田 久壽cond.警視庁音楽隊(Live)
下野 竜也cond.九州管楽合奏団(Live)
新田 ユリcond.大阪市音楽団
屋比久 勲cond.なにわオーケストラル・ウインズ(Live)
渡邊 一正cond. シエナウインドオーケストラ(Live)
-Epilogue-
九州出身の私は、西部 (現九州) 吹奏楽コンクールでの屋比久 勲先生の演奏にとても大きな影響を受けている。私の音楽演奏に対する好みの根本は、相当な部分が中高生の頃に聴いた屋比久先生率いる石田中の演奏によって形成されたとも云えるだろう。
中学生時に Trumpet を吹いた以外に吹奏楽に触れておられず、専門の音楽教育も受けておられなかったという屋比久先生がまさにイチから音楽指導を始められたことは有名だが、だからこそというべきか、個性的でいてかつ極めて音楽的な演奏を次々と生み出しておられた。本稿に採り上げた1978年の「パッサカリア」はその最たるものである。
真和志中時代の「トッカータとフーガ」「英雄行進曲」、石田中で採り上げた「リシルド序曲」などのレパートリーからすると、吹奏楽の演奏としてまずはギャルド吹奏楽団の演奏が念頭におありだったのかなと感じられる。私が中高生の頃はコンクールにて沖縄勢の活躍が目覚ましく「沖縄サウンド」と称された魅力的なサウンドが高い評価を得ていたが、それは即ち屋比久先生が志向され創ってこられたものだと思う。
名演は数々あるのだが、屋比久先生のとても素敵な音楽が端的に表出された課題曲の演奏も、心に残って忘れることができない。1978年の「砂丘の曙」は行進曲だがまさに ”歌いまくり”。この年、西部(現九州)大会中学校の部で唯一の課題曲D…「歌重視」のその演奏は強い個性を放ちつつ、間違いなく納得できる魅力があった。
1979年の「幼い日の想い出」のイントロダクション。-冒頭の一音の次からはデモ演奏とは全く違い、息を潜めるような弱奏から1小節を2拍にとり速いテンポで一気に、放射状にクレシェンドして駆け抜けていった。何という独創的な、そして音楽として説得力のある演奏だろうか!
1980年の「北海の大漁歌」では中間部を締めくくる Flute ソロに伴奏の Clarinet がまさに一体の音の束となってクレッシェンドする、その美しく高揚する感情の表現にも息を呑んだ。
1982年の「アイヌの輪舞」は Horn によるイントロの旋律をデモ演奏にあった上行ではなく下行と捉えて強調し、実にゴージャスな全合奏のサウンドに収束させていた。 既にそこだけで聴く者を惹き込んでしまうのだった。
「パッサカリア」ももちろんそうなのだが、屋比久先生が私に下さったもの…それは「音楽の感動」に他ならない。
「感動」こそは音楽の最大価値であり、それこそが音楽に求められることなのだ。しかし残念ながら「感動」にはそう頻繁に出会えることもないようにも感じられる。
その貴重な「音楽の感動」を、屋比久先生はどれほど下さったことだろうか!そのおかげで私は音楽の愉しみを知り、それゆえに生きていられるのである。
屋比久 勲先生は惜しまれつつ 2019.2.13. にご逝去された-。
屋比久先生、本当に有難うございました。今は安らかに天上におられることを心から願い、ご冥福をお祈り致します。
先生のお創りになった音楽の感動は、永遠のものです。
<Originally Issued on 2006.8.18. / Revised on 2022.8.30. / Further Revised on 2023.11.2.>
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