Overture for Symphonic Band 兼田 敏 Bin Kaneda (1935-2002 )
-Introduction-
私にとって京都勤務の日々は洵に良き想い出である。そしてとりわけ、その最終日に招かれた宴席は忘れ得ぬものだ。
幕開けは、本格的な会食の前に夕暮れの嵐山/保津川へ小舟を浮かべ軽くお酒をいただくという趣向であった。紅葉の季節にあって、全く以って京都らしい風情の遊びである。
黄昏ゆく舟上の風景の中、芸妓さんが和笛を奏でてくれた。けして達人という域のものではなかったが、素敵だった。こうした宴席にごく自然に歌舞音曲が取り入れられている京都文化の深さには感じ入るほかない。
…と、ほどなく曲がりなりにも楽器をやっているということから「お前なら音が出るんじゃないか。吹いてみろ。」と周りから声がかかり、和笛を拝借して吹いては見たが…当然僅かに音がするばかり(お粗末)。
そんな私だが、自在に吹けたらこの状況で何を吹くかなぁと考えた頭に真っ先に浮かんだのは -この「シンフォニックバンドのための序曲」冒頭の Oboe ソロの旋律だった。
※夕暮れ前から日付が変わっても続いたこの宴席は、嵐山の高名な料亭に始まって祇園の品格あるクラブに場
所を移し、さらに高台寺へと足を延ばすという、まさに京都流の宴を堪能するもの。ましてやこの日は、予
て懇意にしていただいている相手方との宴席であり極めて愉しいものであった。
京都での宴席は (常にそうであるが) 、情趣に溢れた歌舞はもちろん、芸妓さん・舞妓さん方の姿や所作・会
話からも普段接することのない雅な文化が伝わってくるのであって、超一流の京料理をいただきつつ杯を重
ねる、という愉しみのみにとどまることのない「異空間体験」。
この日が私にとって京都勤務最後の夜であることを知った芸妓さん・舞妓さん方は、料理にあしらわれた紅
葉の柿の葉に箸袋を貼り付けて寄書きを即座に作り、私に贈ってくれた。本当に一介の若輩に過ぎない私に
までこうした心配りがあるのは、芸妓さん・舞妓さん方が文字通り「一期一会」の精神に貫かれている証で
あろう。
(自分が「一介の若輩」であることを常に自覚の上で接するよう努めてきた私への褒美であったのかも知れぬ。)
■楽曲概説
「パッサカリア」「哀歌」「交響的瞬間」「シンフォニック・ヴァリエイション」「日本民謡組曲」「交響的音頭」「バラード」…数多くの名作を遺した吹奏楽界の巨匠・兼田 敏 の初期の大傑作。近時演奏機会が少なくなっているが、本邦吹奏楽に燦然と輝くレパートリーであることは疑いない。
1970年にヤマハ吹奏楽団浜松の委嘱により作曲、同団は翌1971年の全日本吹奏楽コンクールで本作を採上げ見事金賞を受賞した。
これを出版したのは米国 Ludwig 社(現 Ludwig Masters Publications)である。当時の同社社長が初演を聴いて気に入り、すぐさま出版をオファーしたエピソードは有名だが、Ludwig 社は他にも兼田作品を出版している。既に当時から、兼田 敏の楽曲は先駆けて洋の東西を超えた高い評価を得ていたのだ。
「この序曲は2つの断章から成る-即ち Andante と Allegro である。Allegro の主題は四国にある村の秋祭りから着想されたもの。作曲者は幼少の頃、海に恵まれたこの四国の地で、2年ほどを過ごしている。」 -フルスコア所載のプログラム・ノートより
特に日本的素材は用いていないにもかかわらず日本的な抒情が随所に感じられる Andanteと、それに続く活気に満ちた Allegro が繰り返される構成(緩-急-緩-急-コーダ)の楽曲である。
律動感に心躍らされる Allegro を含めて、打楽器の使用が Timpani、Suspended Cymbal、Glocken のみであることには驚かされる。敢えてこれだけ打楽器を限定した上で、リズムの特徴やダイナミクスの変化を現出したところに作曲者の手腕の高さが感じられるし、またそれ故に一見地味とも思えるこの曲が個性的で、聴く者を惹きつけて已まないものになっていると感じられるのだ。
■楽曲解説
3/4拍子 Andante Cantabile(♩=66)の情感のこもった導入部に始まる。
ふくよかなバックハーモニーから Clarinet の歌で序奏が始まり、これに素朴な Cup Muted の Trombone と清冽な Glocken の煌めきとが呼応する。
澄み切った清流と鹿威しの情景がイメージされるのではあるまいか。
-そうした日本的な印象を与えながら西洋的なモダンさも感じる。素朴なのに、とても上品で田舎臭さなど全くない、実に不思議な序奏部である。
この序奏を従え、Oboe が歌いだす。
何と日本的な美意識に満ちた、そして抒情溢れる旋律であろうか。まさに和装美人を彷彿とさせる名旋律である。この情緒と上品な美しさが紅葉に満ちた京都の黄昏の雰囲気に相応しい-私はそう感じたのだ。
途中 Poco piu mosso 9/8 拍子の “祭りのざわめき”(©秋山 紀夫)のような部分が現れて心を戦ぎ、一層情緒を深める。ここでも Glocken の落ち着いた煌めきが効果的であり、またFagotto をはじめ各楽器の音色を巧みに組み合わせて魅力を掘下げている。
ここでは絶妙なテンポの変化-”うつろい” こそを見せてほしいのであり、ニュアンスを欠いた機械的なテンポの変化では興ざめである。
ほどなく透明感のある木管アンサンブルで落ち着きを取戻し、序奏が呼び返されるのだが、ここで加えられた Fagotto によるオブリガートがまた抒情を極める心憎さなのである
2/2拍子に転じ Trumpet+Trombone が新たな旋律を、ファンファーレ風にそして伸びやかに奏してブリッジに入る。
徐々にダイナミクスを上げ、シンコペーションのリズムを効かせてアッチェレランドした緊張感の頂点は G.P.! 本楽曲ではたびたびこうした ”間” を効果的に使用し、日本的な美意識を発揮しているのも見逃せない。
続く Allegro con brio では、まずブリッジで提示された旋律が快活に奏され、次に変拍子的な第2の旋律が現れるが、ここでは Clarinet の音色が活かされ、魅力を放っている。
ここからはいずれも民謡風のこの2つの旋律が掛け合いながら進行するのだが、まさに ”祭り” の活気が充満していることが感じられよう。また旋律のバックで中低音が打込むビート (決して画一的でなく、微妙な変化を内包する) とコードも絶妙である。
この特徴的な打込みのリズムと、保続音的に刻まれる4分音符の緊迫感とをバックで入れ替えながら、スピード感のある音楽を展開していき、遂には舞うようにダイナミックなシンコペーションで高揚し鳴動するのだ。その息をつかせぬ見事さに感じ入ってしまう。
熱狂を一旦醒まして3/2拍子のブリッジとなり、金管中低音の柔らかな響きに導かれたAndante Cantabile の再現を経て Allegro con brio の快活な音楽に戻り、祭りの熱狂はいよいよクライマックスに向っていく。
再現された Andante では玲瓏な Flute で歌い出される。これを初めとして、続く Allegro を含め単に同じことを繰返すのではなく、オーケストレーションを入れ替え楽曲全体の色彩を一層豊かなものとしているのがまた凄い!
最終盤では中低音と Timpani の打込みを配してクライマックスを予感させる周到さであり
その仕掛けから到達したクライマックスでは旋律を Horn が奏し、Horn 独特の緊張感のある音色が効いて音楽のテンションを更に嵩ぶらせるのである。
そして豪快なバンドサウンドが鳴り響いて一瞬の G.P. を経るや、後半最初に現れたファンファーレ風旋律が拡大され堂々と奏されるコーダに突入、最後は全合奏による浮き上がるような Gsus4 のモダンな響きに、和太鼓風の Timpani 連打が轟いて鮮烈に締めくくられる。
■推奨音源
汐澤 安彦cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル
この演奏では、9/8拍子の“祭りのざわめき”の雰囲気が見事に表現されている。単にテンポが上がるということだけでない「ニュアンス」の表現は他の録音には見られないものである。さらにAllegroは速めのテンポによりダイナミックに演奏、楽曲の有する2つの要素の対比を明快に描いた好演。
LP音源であり、残念ながら現在もCD化はされていない。
ユージン・コーポロンcond.
ノーステキサス・ウインドシンフォニー
楽曲の内容を指揮者/奏者が理解・共感していることが感じられる好演。
日本固有のものを使用せずに日本的情緒を表現しようとしたこの作品が、アメリカのバンドによってこれほどまでに現出されたことに感動した。明確・極端な対比より移ろう感じにウエイトがあるように感じられるのは、彼らなりの日本的情緒の解釈か。
【その他の所有音源】
山下 一史cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
原田 元吉cond. ヤマハ吹奏楽団浜松
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
Ludwig Masters 社デモ音源(演奏者不詳)
-Epilogue-
また別のエピソードがある。
この曲をコンクールの自由曲に選んだある大学、残念なことにこのバンドには Oboe がなかった。-しかし Sax. パートに名手がいる! Oboe から Soprano Sax. にソロを置き換えて演奏に臨んだ。僅かに及ばず全国大会出場はならなかったが見事支部大会金賞受賞、審査員の講評には
「この曲には、Oboe よりも Soprano Sax. の音色が合いますね。」 (!) とあったそうだ。
作曲者は考え抜いて作品を生み出す。Oboe の音色に歌わせるのが相応しいとの意図だ。
しかし恵まれない状況というものはある。代替で演奏せざるを得ない状況において一心に演奏しかかる評価をしてもらえるなら、プレイヤー冥利に尽きるではないか!
演奏者たるもの、常にそうした気概で臨みたいものだ。
<Originally Issued on 2006.6.10. / Overall Revised on 2015.5.14./ Further Revised on 2023.12.31.>
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