Stratford Suite - Four Shakespearean Scenes for Concert Band
Ⅰ. Fanfare, Flourish, Sennet (Richard III )
Ⅱ. Masque by Herne's Oak (The Merry Wives of Windsor )
Ⅲ. Ode to Rosalind (As You Like It )
Ⅳ. Elizabeth, Princess of England(Henry VIII)
H. ケーブル Howard Cable (1920-2016)
-Introduction-
魅力のある旋律にあふれ、色彩やコントラストも豊かで、感動的なクライマックスも備えている。何より、とても高い気品が感じられる。
-なのに、なぜこの作品はここまで忘れ去られてしまっているのだろうか?
■副題 ”シェイクスピアの4つの情景”

イギリスの大文豪、ウイリアム・シェイクスピア(William Shakespear 1564-1616)の作品を題材にした音楽は数知れない。
プロコフィエフやチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」や、ニコライの洒脱な「ウインザーの陽気な女房たち」がその有名どころだろう。ウォルトンにもシェイクスピア三部作をはじめとして多くの作品があり、吹奏楽においてもアルフレッド・リードに 「オセロ」 「ハムレット」 「魔法の島」 「アーデンの森のロザリンド」等の名作があるなど、洵に枚挙に暇がないほどである。
過去からシェイクスピアの文学作品は大変に愛好されてきたが、現在でも特に英語圏では絶大な尊敬を集めているという。シェイクスピアにインスパイアされた優れた音楽が、これほど多く登場していることは、まさにそれを証明するものであるだろう。
ハワード・ケーブルの「ストラットフォード組曲」も、副題に”シェイクスピアの4つの情景”とある通り、シェイクスピアの4つの作品を題材とし、1964年にシェイクスピア生誕400年を記念して作曲された吹奏楽オリジナル作品である。
表題もシェイクスピアの生まれた街=ストラットフォード・アポン・エイヴォン ( Stratford-upon-Avon ) に因んでいる。ここはイングランドのごく中心部に位置しており、現在でもシェイクスピアの時代を彷彿とさせる街並で高名である。

■作曲者

ハワード・ケーブル (Howard Cable 1920-2016)はカナダの作曲家で、かの カナディアン・ブラスにもアレンジを提供、クラシックから映像音楽まで幅広いジャンルで活躍した作曲家である。
吹奏楽曲としては他に「ニュー・ファウンドランド狂詩曲」(Newfoundland Rhapsody)「スネーク・フェンス・カントリー」 (Snake Fence Country) 「ケベック民謡幻想曲」 (Quebec Folk Fantasy) などがある。
いずれもハリー・ピンチンcond. エドモントン・ウインド・アンサンブルの演奏による録音があり聴くことができるが、「ニュー・ファウンドランド狂詩曲」 も実に透明感のあるサウンドの音楽でなかなか素晴らしい。
■楽曲解説
清廉な響きと上品な旋律、終始高貴な曲想は、さすがに名作文学を題材とした作品らしい。独特の透明感があり、ほとんど忘れ去られた楽曲となっているのは惜しい。ぜひとも再評価されて然るべきである。
Ⅰ. ファンファーレ、フローリッシュ、セネット

中世イングランドにおける内乱である薔薇戦争(1455-1485)は、リチャード3世がヘンリー7世に討たれたことで終結したが、この史実に基いた歴史劇がシェイクスピアの「リチャード3世」である。
そこには稀代の大詭弁家にして、権謀術数の限りを尽くしてイングランド国王の座を追い求めた、残忍非道な男の姿が描かれている。シェイクスピア劇の中でも、リチャード3世は屈指の悪役と位置づけられているのである。
そうした「リチャード3世」を題材とした第1楽章は、金管楽器と打楽器のみで奏される華麗な音楽である。
高い空に突き抜けるような Trumpet の跳躍に始まるファンファーレは実に気高く、壮麗極まりないもので、組曲全体の印象を端的に示すものとなっている。
これに続いてTrumpet 4本のみで奏されるリズミックなフローリッシュ。
フローリッシュとは壮麗なファンファーレを意味し、同時に国の繁栄なども暗示するものとされている。

さらにスネアのロールに導かれてスケールの大きな音楽となるセネットが続く。
セネットとは16世紀の英国エリザベス朝時代の劇(シェイクスピア劇こそはまさにその代表的なもの)において、入退場で奏されるファンファーレのことである。

「リチャード3世」劇中では、 宮殿や出陣の場面にたびたびトランペットや太鼓による奏楽が登場するのであり、この楽章が3つのファンファーレ音楽を連ねたものとなったのも頷ける。
これらが切れ目なく演奏され、簡潔にして華やかな序章を形成しているのである。
Ⅱ. ヘレネの樫の仮面

「ウインザーの陽気な女房たち」 第5幕第5場の印象による楽章で、緩やかで神秘的な序奏 (Andante misterio) と、快速な主部(Allegro con spirito) から成る。
角のある Herne the Hunter(ウインザーの森に住むという亡霊)に扮し、夜中に樫の大木の前にて色男を気取り2人の夫人を待つでっぷりとしたフォルスタッフ。
-ここから、この好色漢がいよいよ完全にやりこめられ、喜劇が愉快な大団円へと向かっていく場面である。
※左画像
"Falstaff disguised as Herne discovered at midnight
with Mrs. Ford & Mrs. Page."
by Robert Smirke (1752-1845)
序奏部は幻想的なコードの上に Horn がソロを奏し、神秘的な夜の森を示して始まる。

各セクションが応答しながら徐々に高揚して主部へ。主部は木管低音に始まる旋律が、各楽器に次々と受け継がれ、巧みな音色対比を見せてくれる。

やがて第1楽章「フローリッシュ」のモチーフも顔を出し、統一感を醸すとともに、音楽は一層リズミックとなり輝きと快活さを増していく。

全曲を通じ、セクションごとの応酬・対比が聴きものである。
Ⅲ. ロザリンドに捧げる歌
ロザリンドとは「お気に召すまま」に登場する美しきヒロイン。快活で男勝りだが、若い女性らしく夢見がちでもあるロザリンドが、彼女の恋するオーランドーに仕掛ける駆け引きを中心とした、ユーモラスな物語。”全て良し” のこの上なくハッピーな結末で、まさに絵に描いたような喜劇となっている。
この楽章は木管楽器+ String Bass +打楽器のみ※ で演奏される。
この編成が、第1楽章と明確な対照を成すことはお判りいただけるだろう。
Flute の大変優美で感傷的な旋律に始まり、これが Oboe に受け継がれる。この旋律の中でも特に3/4拍子に変わった部分の素敵さといったら…!

終始品があり、流麗で静謐な印象の音楽である。僅かに高揚しニュアンス豊かなクライマックスを迎えるが、そこの清冽優美な Oboe ソリがまた素晴らしい!

再び Flute の旋律が戻り、最後はその音色が印象的な String Bass のピチカートに続き、静かな木管群の和音で終う。
Ⅳ. 英国の王女、エリザベス

一転、Trumpet + Trombone の華やかなファンファーレで始まる終楽章は「ヘンリー8世」にインスパイアされた壮大な音楽。雄大で気品に満ちた旋律が拡大と収縮を繰り返しながらクライマックスへ向かう。
歴史劇「ヘンリー8世」はシェイクスピア作品の中でも絢爛豪華な舞台として高名であり、中でも全5幕を締めくくる ”王女エリザベスの洗礼祝い” の場面はその白眉とされている。
シェイクスピア自身がその才を開花させ隆盛を極めたのが、そのエリザベス (1世) の治世であったのだから、彼女の生誕がいとも輝かしく描かれるのは当然なのだろう。「ストラットフォード組曲」の掉尾を飾るこの楽章も、その壮麗な場面を描くものに違いない。
煌びやかなチャイムのみならず、Horn のベルトーンも効果的に使ってバンド全体が奏する鐘の音をイメージした楽句の輝きは、殊に印象的である。

その輝かしさが一旦収まり、安寧で大らかな Cantando の中間部へ。ここで Clarinet が幅広く歌う旋律が実に美しい。
やや遠く鐘の音が聴こえると、一層スケールを拡大してこの旋律が朗々と歌われていく。

そしてこの終曲冒頭のファンファーレが再現されると、Horn のベル・トーンに導かれた終結部へ。高貴な祝典のイメージとともに絢爛さとスケール感を増し、息を呑む G. P. に続いて全合奏の輝かしいコードが鳴り響いて、感動的に曲を締めくくる。
【参考・出典】

小田島 雄志 訳 / 白水社 刊
「リチャード三世」
「ウインザーの陽気な女房たち」
「お気に召すまま」
「ヘンリー八世」
■推奨音源

市岡 史郎cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル
CD音源としては唯一のもの。
全編に亘り非常に品のいい演奏であり、この曲の魅力が充分に発揮されている。
【その他の所有音源】
ハワード・ケーブルcond. ウェリントン・ウインド・シンフォニー (自作自演Live)
-Epilogue-
この作品については再評価を心から期待したい。この品の良さは吹奏楽では本当に貴重だからだ。悲しいかな、新たな録音も出ず演奏もされず、この素敵な曲に触れる機会が事実上消滅している状態であろう。
全日本吹奏楽コンクール課題曲が「課題曲」であるが故に(特に近年は多いが)、過大評価され親しまれている様子と比べ、何と皮肉なことであろうか…。洵に残念である。
本稿にて「ストラットフォード組曲」に関心を持たれたなら、ぜひ実際に聴いてみてほしいと切に願う。
<Originally Issued on 2007.6.7. / Revised on 2022.6.9. / Further Revised on 2023.11.19.>
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