Toccata und Fuge in d-Moll (Toccata and Fugue in D minor) BWV565
J. S. バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750) -Introduction-
戦後1956年に再開したのち、現在に至るまで日本の吹奏楽界最大のイベントであり関心事であり続けている「全日本吹奏楽コンクール」-その長い歴史の中では、コンクールゆえのさまざまな制約があるにもかかわらず、忘れ難い名演が幾つも生まれてきた。
その数ある名演・好演の中で最高のものを敢えて ”1つだけ” 挙げよ、と言われたら私は
片寄 哲夫cond. 出雲一中の「トッカータとフーガ ニ短調」 (1967年) を推したい。 私にとって「トッカータとフーガ ニ短調」と云えば真っ先にこの演奏が思い浮かぶのである。
順位制だった当時、優勝奪還に燃える今津中とライバル豊島十中が熾烈に鎬を削る中、優勝をかっさらったのは出雲一中だった。その演奏は文字通り ”奇跡的” なものである。 当時の人数制限により編成は40名。編曲もそして原色バリバリのサウンドも、もはや今風ではないかもしれないが、この演奏が発する強靭な音楽の感動はいったい何ものか!各楽器の堂々たる音色とテクニックが半世紀以上前の中学生によって示されているさまを見よ!
「バッハが現代音楽になっとった」とも評されたある意味バッハらしくない演奏だが、鬼気迫る揃い方といい、確信に満ち満ちた音楽の足取りといい、まさに 「喰らいついた」 その神懸りな演奏に圧倒されてしまう。一体君たち何百回、いや何千回練習したんや...と。
※この出雲一中「トッカータとフーガ ニ短調」の演奏は「全日本吹奏楽コンクール名演集」LPにて広く知られ、最新のものでは2016年 発売の CD 「日本の吹奏楽1956-1972」 にて聴くことができる。(上画像参照)
カットの影響もあり、複数声部が絡み合うこの曲の奥行きを存分に表現するという点では今一つかもしれないが、この曲の旋律性を鮮烈に浮き彫りにしており、結果として極めてドラマティックな音楽となって感涙を誘う。中でもトッカータそしてコーダではそれが極限まで表現されており、ああ-こんなに泣かせる旋律だったんだよなあ…と気付かされるのだ。
かつてイーストマンウインドアンサンブルの名指揮者ドナルド・ハンスバーガーは 「バッハの音楽にティンパニー以外の打楽器が入るなんて考えられない」 と述べており、この演奏などその意味では論外かもしれないが、青年時代にあった作曲者の作品であり、現代のメンタリティに置き換えればこのような熱情に溢れた演奏もあり得るとも言えよう。
前述のようにカットも大胆、”荒ぶる” 感じすらもある演奏だが、永遠に記憶に残る快演であることは間違いないのである。
※尚、本稿においては本作品の「偽作説」は一切無視している。
■楽曲概説 ✔大作曲家バッハの人気オルガン曲
作曲者 ヨハン・セバスティアン・バッハ は「音楽の父」と称される、誰もがその名を知る歴史的な大作曲家である。 オルガン奏者としても名高く、既に1703年(18才)にはその妙技が高く評価され、アルンシュタットの新教会に破格の待遇でオルガニストとして採用されている。
1708-1717年にはヴァイマルへ移り、1714年にはヴァイマル宮廷の楽士長兼宮廷オルガニストに就任、300曲近くにも及ぶ膨大なバッハの全オルガン曲の半数近くがこのヴァイマル時代の作と言われる。 教会/世俗カンタータやミサ曲をはじめとする宗教曲のほか、オルガン/クラヴィ-ア/リュートのための器楽曲、室内楽曲や協奏曲・管弦楽組曲に至るまで極めて多数の ”音楽遺産” たる傑作を遺した。最晩年にも「ゴルトベルク変奏曲」「音楽の捧げもの」「フーガの技法(未完)」といった傑作を書き続けたことは驚異的である。 私個人は何と言っても6曲の 「ブランデンブルク協奏曲」 が大好きなのだが、バッハの遺した多岐に亘る作品は現在でも幅広い音楽愛好家それぞれに、大きく深く訴求し続けている。
「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」 はバッハのオルガン曲として、或いはバッハの全作品中でも最も人口に膾炙した楽曲とされている。ヴァイマル時代あるいはそれ以前のアルンシュタット時代の作と推定されており、いずれにしても若きバッハの手に成るものであることは間違いないようである。
✔ストコフスキーによる管弦楽編曲の登場
「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」 はさまざまな形態に編曲がなされ愛好されているものであるが、本来この曲が持つ奏者の感覚や解釈に拠る即興的な(オルガン)独奏曲としての性格を超えて大編成の合奏曲としても成立するようになったのは、やはり レオポルド・ストコフスキー ( Leopold Stokowski 1882-1977) の編んだ管弦楽版の存在が大きい。
スコアのコピーライトからすると、ストコフスキーによる管弦楽版が出版されたのは1952年のようだが、それ以前にストコフスキーは1940年のディズニー映画 「ファンタジア」 にてこの管弦楽版を自らの指揮で披露している。クラシック音楽とフルカラーアニメーションを融合させた傑作 「ファンタジア」 の冒頭を飾る楽曲こそが、フィラデルフィア管弦楽団による 「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」 なのである。
この管弦楽編曲が起点となって、のちに吹奏楽でも 「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」 が愛好され演奏され続けることへも繋がっていったと考えて良いであろう。
※レオポルド・ストコフスキー
フィラデルフィア管弦楽団をアメリカを代表するオーケストラに育て上げた名指揮者にして、バッハのオルガン作品やムソルグスキー「展覧会の絵」などの管弦楽編曲でも高名。現在多くのオーケストラが採用する弦楽器群の配置もストコフスキーが改革し、それが定着したもの。
指揮する楽曲においては楽譜を自由に改編、その演奏は豪華で多彩な感覚美を持ち独特の音楽的効果が特色とされた。「自由な解釈で現代の管弦楽演奏に独自の境地を開いた」と称される。
(左画像:ストコフスキーの管弦楽編曲によるバッハ作品集CD)
【出典・参考】新音楽辞典 人名 (音楽之友社)
■楽曲解説
前述の通りまだ若きバッハの作品と推定され、18世紀初頭にバッハが傾倒していた北ドイツオルガン楽派を代表するディートリヒ・ブクステフーデ ( Dieterich Buxtehude 1637-1707 ) の影響が強いと評される。
「一見自由奔放ともいえる烈しい感情の起伏や、形式にこだわらない自由な構成のうちには、青年バッハの若々しい力とたくましい個性が躍如としている。」 -角倉 一朗
「トッカータとフーガ」 という題名ではあるが、楽曲としては ”フーガを内包したトッカータと解すべき"ともいわれるように、この曲のフーガは確かに中間部に ”織り込まれた” 印象である。
一度聴いたら耳から離れない痛烈な楽句に始まるAdagioの序奏部-
おそらくベートーヴェンの「運命」冒頭と並んで、そのファン以外にも世界中で認知されたクラシック音楽のパッセージであることは間違いない。それほどまでにインパクトのある開始である。ベルトーンで音が重なり、オルガンならではの重厚荘重なサウンドで仕舞われるこの序奏部からして音楽的な魅力が漲っている。
その余韻から Prestissimo に移りまさにトッカータの典型である楽句が展開する。
※トッカータ (Toccata) 鍵盤楽器の即興演奏から発生したもので、分厚い和音と急速な走句を駆使し、即興につきものの自由奔放さを特徴とする。分厚
い和音とそれに織り交ぜられた音階的パッセージだけから成るものから始まったが、16世紀には即興的な部分とフーガ的な部分
が交互に現れるなど、より組織的なトッカータが生まれている。この ”組織的な” トッカ-タがブクステフーデを中心した北ドイ
ツオルガン楽派によって発展し、バッハによるトッカータ作品にも繋がっていった。
テンポを落とし、運命を悟らせるが如く決然とした低音のパッセージが語られF-E-Fの動きで締め括られてフーガに入るのであるが、その傑出した劇的さはまさに心を震わすものである。
フーガに入って快速な16分音符のパッセージが次々と折り重なり、また新たなパッセージが現れて応答し…と展開していくのであるが、細かな音符による楽句であるにもかかわらず、どれもこれも思わず口ずさみたくなってしまうメロディアスさを持っていることにハッとさせられる。考えてみれば冒頭 Adagio に続く Prestissimo のパッセージからして確りメロディアスなのだ。
メカニックな組成にありながら、終始印象的な ”旋律” に溢れていることが、この曲が聴くものを惹きつけて已まない理由であり、管弦楽や吹奏楽にアダプトされ得る奥行を備えている理由であると思う。
※フーガ (Fuge/Fugue)
主題が各声部あるいは各楽器に定期的で規律的な模倣反復を行いつつ、特定な調的法則を守って成る楽曲、と定義される。
あらゆる対位法的技法を含んで展開するが、調的には一つの調を基盤にしてそれの近親調が元の原調を修飾しながら、大き
な調的終止形が形成される。原調を強く印象づける保続音は主として低音に置かれ、そこに旋律の拡大・縮小・転回・逆行
などの技法を配合させ、各声部 (少なくとも2声部以上) が独立し相互に対位的に並流しつつ進行させるもので、対位法的要
素が最も純粋に発揮された楽曲である。
フーガが終結に向かって一層輝きを増し、華々しく締めくくられると即興的な楽句が戻ってきて最も劇的な楽句が再現される。重厚にして豪放磊落なサウンドに続いて、フーガに入る直前の低音のパッセージがさらに降りてゆき、最低音 E をどーんと轟かせるのである。ここを締めくくる A-G-F-E の旋律の動きが、これもまた劇的な余韻を醸している。
Presto に始まるコーダも瑞々しくキラキラした生気にあふれ、終結に向かう。最後はまた劇的を極め、力感のある足取りで全曲を閉じる。
-その瞬間には時代や流行を超越した、普遍的な音楽の感動が間違いなく存在するということを体感できるであろう。
【出典・参考】 名曲解説全集 角倉 一朗執筆 (音楽之友社) 新音楽辞典 楽語 (音楽之友社)
■吹奏楽編曲と推奨音源
オルガン原曲の演奏は相当な数があるが、私は偶然出会った現代の名オルガニスト、ベルナール・フォクルール (Bernard Foccroulle 1953-) の演奏が気に入り、愛聴しているのでこれをお奨めしておく。
「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」 は古くから吹奏楽にも編曲され、今なお愛奏されているがその発端となり、歴史的な名演として輝いているのは何と言ってもギャルド・レビュブリケーヌ吹奏楽団の演奏である。
フランソワ・ジュリアン・ブランcond.
ギャルド・レビュブリケーヌ吹奏楽団
超絶テクニックを擁する大編成吹奏楽団による1967年の録音。まさに ”オルガン・サウンド” の芳醇にして豊潤、豪華絢爛な演奏は圧倒的で、吹奏楽における究極の名演の一つに数えられる。ブラン楽長 (在任1945-1969) 自らの編曲によるこの演奏は他のバンドでは再現不能とされる一方で、吹奏楽界はこれに憧れ、恋焦がれた。我が国吹奏楽界往年の名指導者も多くがそうであったことが窺える。
吹奏楽版として一般的にはゴールドマンバンドのアレンジャーであったエリック・ライゼン (Erik Leidzén) による編曲が出版され広く演奏されている他、ドナルド・ハンスバーガー、マーク・ハインズレー、ポール・デュポン、アーサー・プレヴォスト、藤田玄播、後藤洋などの多くの吹奏楽編曲版があり録音もされている。また吹奏楽コンクールでのスペシャルアレンジ (吹奏楽コンクール自由曲としては全国大会だけでも47回も演奏されている) を含めれば更に多数の編曲版が存在しているだろう。
佐渡 裕cond. シエナ・ウインド・オーケストラ
森田 一浩 編曲
森田 一浩先生が伊奈学園総合高校の委嘱により編曲したもの。
品格を保ちつつも極めてカラフルな 「トッカータとフーガ」 であるという印象。終結部の華麗なアレンジはさすが、の一言。
-Epilogue-
森田 一浩先生がこの「トッカータとフーガ ニ短調」 のアレンジに着手された頃、ちょうど私の所属する楽団は森田先生に客演指揮をお願いしていた。
ある日の練習終了後の宴会で、森田先生に「どのようなアレンジにされるんですか?」 とお尋ねしたところ、 「うーん、…この曲に秘められた…色気というか、艶というか、そういうものを引き出したいなあと思うんだよねえ。」 (「色気」じゃなくって、もっと直截な表現だったかも?) と仰っておられたのを記憶している。
同じ 「トッカータとフーガ ニ短調」 でもさまざまな姿がある。ぜひその ”さまざま” を愉しみたい一曲である。
<Originally Issued on 2006.6.13. / Completely Revised on 2024.12.11.>
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