Rhapsodic Episode C. カーター Charles Carter (1926-1996 )
-Introduction-
「クラシック系」の音楽であるはずの吹奏楽だが、演奏される楽曲は時代とともに激しく移り変わっている。管弦楽を中心としたクラシック音楽のトランスクリプション / アレンジは楽曲の評価そのものが一旦別ジャンルで完了しているので一旦置いてくとして、吹奏楽オリジナル曲の流行り廃りは相当なものである。
楽器の改善や練習手法の広汎な伝播により吹奏楽は底辺のレベルアップが進み、技術的により上の楽曲が好まれるようになったことはあるが、それ以上に音楽として「流行り廃り」が相当激しく、ポピュラー音楽のそれに近いという感覚すらある。
新たなレパートリーが生まれてくることは大変喜ばしいし、生まれて来なくてはいけない。その動きを支援することもしなくてはいけない。しかし一方で、かつて人気のあった楽曲がその魅力を失ったはずもない-と思う。もちろん全てにそこまでの価値があるとは云えないが、魅力ある楽曲は愛され続け、演奏楽曲の「選択肢」であり続けるべきと強く願う。決して「旧い」という形式的な概念に惑わされることなく…。
「ラプソディック・エピソード」もまさにそうした作品の一つである。
■作曲者
チャールズ・カーターは1950-1970年代を中心に、技術的には易しくしかし確りとした構成とサウンド、魅力的な旋律とモダンなリズムとを備えた愛すべき作品を多数吹奏楽界に提供した作曲家である。
イーストマン音楽学校を卒業して間もなくは当時の流行音楽であるダンスバンドのアレンジを手掛けていたとのことで、カーターの作品にポップス的なフレーバーやリズムのセンスが感じられるのは、その経験も反映されているのだろうと思われる。
その後1951年にはマーチングバンドのアレンジを手掛けるようになり※、翌1952年に初めて吹奏楽作品を作曲して以降は、一貫して吹奏楽向けの作品を送り出し続けた。
「管楽器のためのソナタ」「管楽器のための序曲」「序奏とカプリス」「交響的序曲」「クイーンシティ組曲」など日本でも人気を博した楽曲は多い。カーター作品の魅力は何といっても美しく品のある-清楚で可憐なイメージの、まさに ”西洋的な” 旋律だろう。これは極めて得難い魅力なのである。
※強力豪放なサウンドでカーターの作風からは意外感のある「プリズム (Prism)」という楽曲があるが、これなど
はまさにマーチングバンドをイメージした作品と思われる。カーターの経歴に鑑みれば、こうした作品もまた遺
されていることにも納得である。
■楽曲概説
「ラプソディック・エピソード」は1971年に作曲されると翌年直ちにCBSソニーの「ダイナミック・バンド・コンサート(吹奏楽コンクール自由曲集)」シリーズの皮切りとなる第1集に収録され、あっという間に大人気曲となったカーターの代表作である。邦訳標題としては「狂詩的挿話」がある。
急-緩-急のオーソドックスな吹奏楽の序曲形式の作品だが、シンコペーションを利かせた序奏部からしてサウンドやリズムにモダンさがある。ポップスさながらにフィルインを決める打楽器も聴かれ、若々しく溌剌とした曲想が当時の吹奏楽オリジナル曲としては大変新鮮な印象だった。
演奏時間6分強の手頃なサイズに、そうした快活さと同時に美しく抒情的な旋律や楽句を詰め込み、コントラストにも富んだその魅力はなかなかのもの。
「ラプソディック -」という標題を冠しているが、特定の民謡を基にしたという記録や解説は見当たらず、この題名は “民謡風の旋律による小楽曲” あたりを意味するものと捉えればよいであろう。
■楽曲解説
冒頭 (Allegro♩=160) はテュッテイで奏されるシンコペーションの鮮烈な楽句によるオープニング。
これに打楽器ソリが応答し一旦静まるが、密やかながらもリズミックな音楽となって序奏部を形成している。
打楽器のダイナミックなフィルインに導かれて主部に入り、Trumpet ( + Flute, Oboe, Alto Sax. )によって快活な旋律がマルカートで奏される。
浮き立つような伴奏のリズムの魅力は絶品、そして前述のようにこの主部ではフィルインをキメる打楽器群が大活躍である。優れた音色でキレの良い Timpani が聴きたいところであり、また全編に亘り Cymbal も重要な役割を果たす。まさにセットドラムの Cymbal をイメージさせる部分もあり、細かいダイナミクスの変化やアクセントのメリハリなど、奏者として実に聴かせどころが多くやり甲斐のある曲であろう。
旋律が反復されると Clarinet + Horn による対旋律がこれを追うのだが、なかなか斬新で音楽をよりふくよかなものとしている。
ここまでの快活な音楽に続いて、今度は心憎くもすぅっと力が抜けたたおやかな楽想が現れる。各楽器の綾なす、なめらかな応答が実に心地良い。
これがスケールを拡大し厚いサウンドに包んで主部を再現し、ブリッジを挟み抒情的な中間部Moderato(♩=72)へと入る。ここでは美しくノスタルジックな旋律が存分に歌われるのだが、バックハーモニーを務める Trombone がモダンな響きで対位的に動くのもとても新鮮で印象的だ。
音楽は緩やかな起伏を繰り返し、やがて中間部の旋律が放射上に高揚してついには朗々と歌う Trumpet にリードされ、感動的なクライマックスを迎える。
ダイナミックなカーター・サウンドの余韻が静まってテンポを戻し、可愛らしいスタッカートのモチーフ提示に打楽器が応答するブリッジへ。ブリッジを締めくくるべく (練習番号Kの2小節前) シンコペーションを刻みながらクレッシェンドし爽快に花開くクラッシュシンバルがとても素敵!
ほどなくカーター得意のカノンとなって楽曲に奥行きを与え、たっぷりとリタルダンドした高揚の後、ダル・セーニョして快活な主部の再現へ。
音域を上げた Coda に突入すると音楽はエキサイティングさを増し、最後は Maestoso となって音価を拡大したモチーフが堂々たるユニゾンで奏され、全合奏のサウンドがクレシェンドして壮麗に曲を閉じる。
所謂 “小楽曲” であるが、カーターのさまざまな創意工夫とひらめきが随所に織り込まれている-それが感じられて已まないのだ。末永くもっと多く演奏されてしかるべき佳曲である。
■推奨音源
山田 一雄cond. 東京吹奏楽団
楽曲の各部分をそれぞれに相応しく表現、明快なコントラストを描くエネルギッシュな秀演。主部の旋律は文字通りの “Trumpet のマルカート” で奏され、打楽器群も細やかなダイナミックスの変化で活き活きと奏されるなどをはじめとして、全編を通じ明確に積極的な「表現」が感じられる。
テンポや場面の切換え、リタルダンドやクレシェンド、デクレシェンドの設計にも全く迷いがなく、楽曲を確りと捉えた演奏となっている。
汐澤 安彦 (飯吉 靖彦) cond.
フィルハーモニア・ウインド・アンサンブル
自然な音響の録音であり、確りと設計されたゆえのスムーズな音楽の流れが印象に残る。主部に挿入された “嫋やかな楽想” において、各楽器の応答する楽句が実に滑らかに繋がっていくさまなどはとても音楽的。中間部においてはTrumpetが実によく歌い、感動的なクライマックスを形成している。
後半ややバテ気味な部分はあるが、テンポや場面の切換えも澱みない好演。
【その他の所有音源】
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
丸谷 明夫comd. なにわオーケストラル・ウインズ (Live)
-Epilogue-
「ラプソディック・エピソード」 のような曲は “安易に” 演奏されがちだと思う。
…そんなに「難しく」も「深く」もないし、指定テンポで正確に揃え、音程合わせて、ほらちゃんと楽譜通りに演奏してるデショ?…となってはいまいか。この曲の魅力を伝えようという「表現」が置き去りになってはいないか?
既に述べた通り、カーターはさまざまな魅力を詰め込んでこの曲を送り出したというのに?愛すべきこの曲が ”愛されている” ことの伝わってくる演奏を聴きたいものだ。
この曲に限らず、そしてプロ・アマ問わず、最近耳にする吹奏楽の演奏は一言で云って「表現不足」に起因する「つまらない・面白くない・感動しない」ものが本当に多い。もちろん「楽曲自体の問題」もあるのだが、多くは「演りよう」次第だと思う。
曲中どんな楽想が現れても変化なく一本調子だったり、ダイナミックレンジが狭小だったり、場面やテンポの転換が成り行き任せだったり逆に実にわざとらしかったり、ましてや「ニュアンス」なんてとてもとても…。
スケールの小さな演奏と感じられるのも、積極的な表現に乏しいことが起因していると思う。テクニックは「表現」するために磨いているはずなのに…。
まず楽曲ごとに異なる「魅力」を的確に捉えているだろうか?そしてそれを表現するための設計と、これを実現する努力とをギリギリまでやっているだろうか?「こういう風に演奏しなきゃ許されない」というこだわりは?
そして上品に個性を込めることで、更に演奏の魅力を高めようとしているだろうか?
楽曲をどのように「表現」するか- それが伝わる演奏と出会って感動したい…!それが私の常にして切なる願いだ。
「表現しようとしない」 アマチュアの演奏なんてプロと比べてただ下手なだけ、何の価値もない!-演奏者の端くれとしてはそう自戒している。
<Originally Issued on 2015.2.4. / Revised on 2022.8.18. / Further Revised on 2023.11.27.>
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