top of page
hassey-ikka8

中世のフレスコ画

更新日:11月19日

Medieval Fresco  J.J.モリセイ  John Jacob Morrissey  (1906-1993 ) -Introduction-

モリセイの作品は初級バンド、小編成バンドでも演奏可能で、演奏効果のある楽曲というイメージである。華やかなファンファーレとどこか愛嬌のあるユーモラスな楽句、そしてそれとは対照的に哀愁を滲ませた旋律がその特徴であり、どれも ”モリセイ・スタイル” ともいうべき共通の曲想を持っている。



左画像:

Legend of St. Francis, Exorcism of the Demons at Arezzo

Assisi Basilica, by Giotto di Bondone, (1297-1299)



■作曲者

ジョン・モリセイ はコロンビア大学で音楽教育の学位を修め、同大学で5年間教鞭を執った後、1938年から1968年に亘ってチュレーン大学(モリセイの出身地=ルイジアナ州ニューオリンズ)で大学バンドや管弦楽団の指揮者も務め、一貫して音楽教育の現場にいた。本稿でとり上げる「中世のフレスコ画」(1967年)はまさに代表作だが、「式典のための音楽」「百年祭組曲」「皇帝への頌歌」といった彼の作品は、1960~70年代に吹奏楽を始めた世代にとって必須のレパートリーではなかったか。ラテン音楽への造詣も深くこれをフィーチャーした「ヴィヴァ!メキシコ」や「カリビアン・ファンタジー」そしてアレンジ作品として「ジャングルドラム (レクオーナ)」などの楽曲も多く、またさまざまな楽器のソロ/ソリによる小品も多数作曲している。大変愛らしい「おもちゃの兵隊の行進(イエッセル)」も忘れることができない。

  ※おそらく実際には「モリセイ」という発音は不適切で、「モリッシー」あたりが適当と思うが、永くこの    表記が定着しているため、本稿でも「モリセイ」を採用している。


モリセイは作曲家生活20周年の節目に次のようなコメントを寄せている。

「今日では、アメリカの吹奏楽団のために作品を書くこと以上に有意義なことは思いつかない。吹奏楽に参加することで音楽を知り、音楽的な成長を得る-この国ではそうした学生たちが、小学校から中学・高校、そして大学に至るまで非常にたくさんいるのだから。

自分自身の経験を通じ、私は吹奏楽が柔軟性に富み、また質感と音色の多様さが無限な演奏形態だということを発見している。更に言えば、吹奏楽がその無類のポテンシャルを発揮したときには、多様に異なる好みを持つ聴衆に対し、直接的かつ強力にアピールできると信じている。

吹奏楽はアメリカの作曲家にとって、聴衆に雄弁で力強く語りかける機会を提供しているのだ。しかもそのアピールは、アメリカのみならず世界中の聴衆に対してのものなのである。」   【出典】チュレーン大学HP モリセイに関する過去記事 (現在は削除)


モリセイは単純明快にしてよく鳴り、ごく若い世代でも容易に理解し演奏できることを念頭に楽曲を書いていた作曲家だけれども、「吹奏楽」という音楽ジャンルがもつ意義や役割は的確に認識していたし、「吹奏楽」に明確な期待を持っていたのだった。しかもそれは現在にも通ずる、実に普遍的で共感できるものだと思う。

コメントから感じられるモリセイの信念は強い。彼は作曲においても一貫したスタンスで、吹奏楽を通じて音楽に接する幅広い年代の人たちのために作品を提供し続けたのだ。


モリセイの遺した作品の中でも「コンチェルト・グロッソ」「フレンチクウォーター組曲」「カリビアン・ファンタジー」といった所謂 “モリセイ・スタイル” とはちょっと違った曲想の楽曲を聴くと、彼は「敢えて“モリセイ・スタイル” をやっていた」のだろうと推定させられる。

”ファンファーレ” を好んでフィーチャーするのも、「吹奏楽はこうでなくちゃ!」という信念によるものと思えてならない。

  ※チュレーン大学HPのアーカイブにはモリセイの自作自演による、未知の楽曲の音源が多く収録されている


■中世の「フレスコ画」

「中世のフレスコ画」という楽曲は必ずしも描写的な音楽ではないが、モリセイが自身の目にした壁画からインスピレーションを得たことは事実だろう。

                                     スクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画

フレスコ画とは、砂と石灰を混ぜて作ったモルタルで壁を塗り、その上に水だけで溶いた顔料で描画したもの。濡れた石灰の上に水溶きの顔料を載せてやることで、顔料を覆った石灰水は空気中の二酸化炭素と反応して透明な結晶となる-これを利用して顔料をこの結晶に閉じ込め、その美しさを保ち続けさせる手法である。

独特の画面の表情を持ち、石灰が作る結晶の中に顔料の一粒一粒が閉じ込められるため、色が大変美しく耐久性にも優れており、数千年単位の長期間に亘り美しさを保てるものである。

【出典】フレスコ画の歴史と技法/壁画 LABO GRAZIE HP  http://www.hekigalabo.com/fresco_1.html


中世におけるフレスコ画の代表的なものとしては、ジョット・ディ・ボンドーネ (Giotto di Bondone)作による「フランチェスコ伝」(聖フランチェスコ大聖堂/13世紀末)や「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」(イタリア北部パドヴァ/14世紀:下画像) が挙げられよう。

これ以外にもフレスコ画はキリスト教などの宗教画が非常に多い。


■楽曲解説

「中世のフレスコ画」は3つの部分から成っている。曲自体が3枚のフレスコ画といった感じだろうか。華々しいファンファーレで幕を開けるのが、まさにモリセイらしい!

続く緩やかでノスタルジックな旋律がこれもモリセイの真骨頂である。


これを挟んで再びファンファーレが吹き鳴らされ、第一部を閉じる。

Flute のたおやかな旋律に始まる第二部は、さらにノスタルジックな楽想となる。


さらに憂いを含めて存分に歌いあげると、やがて全曲を支配しているファンファーレのモチーフが遠くから聴こえ、音楽は一旦静まっていく。

 

再び Trumpet に華々しいファンファーレが戻ってきてブレイク、いよいよ中世の舞曲風の第三部に入る。


Piccolo の音色とシンプルなドラムのリズムが活かされて中世の雰囲気を強め、徐々に音楽は活気を増してゆき、Trumpet が鮮やかに彩る堂々たるエンディングを迎える。


■推奨音源

音源はたった一つしか存在しないが、推奨に足る好演である。(出版社E.B.Marks社HPのデモ音源もこれである)

兼田 敏cond. 東京佼成吹奏楽団

古い録音だが確りとした曲作りで、この曲の良さをストレートに伝えてくれる。今聴くと、とにかく懐かしい…。

 

 









-Epilogue-

現在、モリセイの遺した楽曲の多くは音源も乏しく、日本国内版含め多く販売されていた以前の状況に比して楽譜を入手することも困難になっている。私の世代にとっては中高生の頃にコンクールでもしばしば耳にしたし、吹奏楽祭での演奏や合同練習会の練習曲としても慣れ親しんだ、愛すべきレパートリーなのでとても淋しい。

思えばハロルド・ワルタースやポール・ヨーダー、フランク・コフィールドにジョセフ・オリヴァドーティの作品なども、多くが同様の状態である。僅かな光明としてモリセイ作品については主要な作品がオン・デマンド出版され、その内の幾つかにはデモ音源も用意されていたのだが、それも現在ではなくなってしまった。

せめてオン・デマンド出版対応をもっと実施してもらえないものか…。


所詮ノスタルジーに過ぎないのかもしれないが、我々を楽しませてくれた往年の名作を完全に埋もれさせてしまうのは、どうにも惜しい気がしてならないのだ。



      <Originally Issued on 2009.7.29. / Revised on 2022.8.1. / Further Revised on 2024.11.19.>

閲覧数:83回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page