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交響曲第2番 「三法印」 R. E. ジェイガー

更新日:5月27日

Symphony No. 2 " The Seal of the Three Laws " R. E. ジェイガー(Robert Edward Jager  1939- )

Ⅰ. Shogyo-Mujo (諸行無常) Ⅱ. Shoho-Muga (諸法無我)

Ⅲ.Nehan-Jakujo (涅槃寂静)


-Introduction-

名作 「吹奏楽のための交響曲 (第1番)」 から12年あまり、東京佼成ウインドオーケストラの委嘱により、1976年にロバート・ジェイガーが世に送り出した2番目の交響曲。

立正佼成会開祖で当時の会長・庭野 日敬 70才の生誕祝典のために委嘱されたものであるため、仏教を題材とした作品となった。尚、後に同様の経緯により作曲された作品に、アルフレッド・リードの 「法華経による三つの啓示 (ロータス・スートラ) 」 がある。


■楽曲概説および作曲者

「吹奏楽のための交響曲 (第1番)」 が吹奏楽の機能というものを限りなく追求しつつも、オーソドックスかつ明快な音楽であったのに対し、「三法印」 は深遠で内省的にして、現れる変拍子の嵐に象徴される通り、より現代的な手法に傾倒した作品である。人気という面では及ばないが、内容からいえば「三法印」の方が懐が深く、充実もしている。

3つの独立した楽章から成り、演奏時間は全曲で17分弱。全体を俯瞰すると緩 (静) - 急(動)-緩 (静) 、各楽章ごとの構成も確りしており、幾つもの斬新な響きやフレーズが現れる。演奏機会は少ないが、間違いなく吹奏楽オリジナル屈指の名曲の一つである。


作曲者ロバート・ジェイガーは 「シンフォニア・ノビリッシマ」 「吹奏楽のための交響曲 (第1番)」 「第3組曲」 をはじめとする名作の数々により、当時日本の吹奏楽界でも絶大な人気を誇っていた。

その人気は1978年の全日本吹奏楽連盟の創立40周年記念事業の一環として作曲を委嘱されたほどである。その作品が同年の吹奏楽コンクール課題曲A 「ジュビラーテ」 であり、文字通り日本全国で演奏されたのだった。

そんな絶頂期のジェイガーが生み出した傑作である 「三法印」 は彼のまた新たな魅力を発揮した作品として注目された。高難度のソロも多いためか、アマチュアでの演奏機会が少ないのが惜しまれる。


■三法印とは 三法印とは 「仏教教理の特徴をあらわす三つのしるし」 である。それは

「あらゆる現象は変化してやまない」 という 諸行無常

「いかなる存在も不変の本質を有しない」 という 諸法無我

「迷妄の消えた悟りの境地は静かな安らぎである」 という 涅槃寂静

の三つであり、これに一切皆苦を加えると 「四法印」となる。 諸行無常

「ひとの生存をふくめ、この世でわれわれが目にするすべては移ろいゆくものであり、一瞬たりとも留まることがないということ」 であり、この無常説は後に、すべての存在するものは刹那に滅するものである-という刹那滅論を生むことになるとも説かれている。


諸法無我

「全てのものは、直接的・間接的にさまざまな原因(因縁)が働くことによってはじめて生じるのであり、それらの原因が失われれば直ちに滅し、そこにはなんら実体的なものがないということ」 と説くもので、これに基けば 「我々の自己として認識されるものもまた、実体のないものでしかなく、自己に対する執着 (しゅうじゃく) はむなしく、誤れるものとされる」 となり、自我の執着(我執)を含む、あらゆる執着からから解放されると強調している。


涅槃寂静 創られたものはうつろいゆく

この世にあるものひとりあらず

己なき者にやすらいあり

の流れで説明される悟りの境地であり、 「涅槃こそは静寂で、真楽である」 と説く。


 【出典・参考】

  円覚寺HP 「無我ということ」 ( 横田南嶺 ) 無我ということ | 臨済宗大本山 円覚寺 (engakuji.or.jp)


■楽曲解説

既に述べた通り本作の標題 「三法印」 は ”仏教の教えの旗幟” のことであり、他の宗教とは異なる仏教の特徴を端的に表し、 「諸行無常」 「諸法無我」 の2つを自覚することで 「涅槃寂静」の境地に達するとされる。その内容は敬虔な仏教徒にはほど遠い、普通の日本人である私にも深い理解・共感を覚えるものである。それだけ、日本人の価値観に仏教がサブリミナルに根ざしているということなのかもしれない。

具体的な内容は各楽章ごとに、立正佼成会による 「三法印」 の考え方に則って記された

門馬 直美氏の解説 (「 」 ) を引きつつ紹介していくが、仏教徒ではないアメリカ人であるジェイガーはこれら3つの真理を仏教云々というより、宗教を超えた普遍的なものとして自分なりに消化したと思われる。


Ⅰ. 諸行無常

「この世の全ての物事 (諸行) は、決して固定的なものではなく、常に変化し、生滅するものである。もし、全てのものが変化を止めたら、それは永遠の死を意味する。変化があればこそ流動があり、流動があればこそ生命があり創造もあり得る。」


この楽章は、まさに何もないところから湧き出るように静かに始まり、そして消え入るように静かに終わる。”永遠のものなどない” ”皆いつかは死ぬ” といったイメージで受け止められがちなこの ”諸行無常” という言葉であるが、逆にこの音楽は清らかで厳かでありつつ、生命感に溢れたものとなっている。

「人生や生活には喜びがあるということを打ち出し、諸行無常の真理をいわば健康的に音楽でとらえている。」

との門馬氏分析通りであろう。

神秘的な弱奏から始まり、Cor anglais のソロや即興的な楽句の応酬を伴った序奏部を終えて視界が開けると、Flute のソロが響き渡る -。

これが澄み切っていて殊のほか美しく、また伴奏も大変凝っており興味深い。


やがて Muted Trumpet の鋭い音色とともに快速な変拍子の主部に入る。

闊達な舞曲風のこの部分では、必然性の必然性のある変拍子でダイナミックさや緊張感を示すとともに、Piano のソロや Harp も効果的で、色彩感も増していく。


さまざまな変化を繰り返し見せながらも、止まることのない音楽の流れこそが、ジェイガーの捉えた ”諸行無常” を示すものだ。


終盤、ポリフォニックなコードに続いて、雄大な曲想のクライマックスとなり、金管楽器の響きがこだまするさまは実に感動的である。



Ⅱ. 諸法無我

「この世の中にある全てのものや現象は、孤立して存在するものではなく、全てが繋がりをもち、依存しあい助け合って存在している。従って我々の社会も個々の人間が孤立して実在するのではなく、多くの力が集まって作り出されるものであり、その意味から、我々は自ら生き抜いているようだが実は目に見えぬ多くのものに生かされているのである。」


この真理を表現する第2楽章は一転してパワフルで鋭利な楽句によって開始される快速でエキサイティングな音楽であり、コーダを持った3部形式から成る。

凄まじい変拍子の嵐の中、Alto Sax.、Trumpet、 Trombone、 Tuba に高度なテクニックを要するソロが次々と現れ、”中国の不思議な役人” (バルトーク) 風の旋律を中心に目まぐるしく展開する。また、Horn のソリに現れる楽句も特徴的であり、興味深い。

次々に現れるソロの中でも、中間部に現れる Tuba のソロは規模も大きく重要で、Low E ~ Hi H まで3オクターブ近くに亘る音域を使用する高度なもの。

Tuba ソロを終えると中間部は行進曲的な色彩を濃くしてくるが、その歩みは実に ”厳つい”。 音楽はいよいよエネルギーを発し続け、増幅された迫力の頂点でダ・カーポとなる。


再び楽章冒頭に戻り各ソロがきっちり繰り返されていくのだが、それは突如 Timpani の激烈な強打によって場面転換し、コーダへと突入する。


すぐさま Gong も轟いて、ここからは一層 ”個” が絡み合い、交錯し混沌し、しかしそれが最終的には一つに集約していくさまが鮮烈かつ華々しく描かれる。


文字通り手に汗握る興奮が怒涛のように押し寄せてきて、思わず魅き込まれてしまう。






練習番号 Ⓝ の2小節前、金管 ”群” の強烈なsffp のコードと木管 ”群” の犀利な16分音符のアクセントが一体となってクレシェンドし終幕へ向かう場面は、それまでの ”個”=ソロの応酬と対比を成しており、まさに 「諸法無我」 を象徴するものであろう。



Ⅲ.涅槃寂静

「心身の安全な安らぎの状態をいう。但し、停止した世界ではなくて、無量寿の創造が調和する時に味わえる快感であって、それが人間の求める安らぎである。」

静けさを湛えた楽章であるが、内面的なエネルギーが沸々と感じられる音楽で、まさに ”涅槃寂静” の境地を想像させてしまうから不思議である。ここでは美しい音楽、それも透明な美しさであって他にない個性が存在している。


幻想的な Celeste の音色に導かれて Trumpet (Cornet) が朗々と奏でるソロも、浮世離れした質量感のない美しさなのだ。


やがて穏やかなエネルギーの高まりが頂点となり、ぶ厚いサウンドのテュッティとなるが、ここでも濁りの全く感じられない、安寧で清廉な音楽となっている。

徐々に静けさは広がり、安らぎの幸福感を湛えつつ、音楽は余韻へと変わっていく。



■推奨音源

秋山 和慶cond. 東京佼成ウインドオーケストラ 市販されているものとして唯一の音源であるが、楽曲の魅力があふれたとてつもない名演であり、これだけでもう充分!

この曲を…ライヴでこのレベルの演奏に仕上げるのは相当至難ではないかと思う。


(私がこの曲を初めてライヴで聴いたのは、実兄の所属する大学吹奏楽団の定期演奏会だった。

楽譜/音源の発売から間もない、まさに ”最新曲” であったタイミングで聴いたのだが、後に聴いた幾つかの他団体のライヴ演奏と比較しても、非常に出来が良かった。アマチュアには高難度な各

                    ソロも見事であり、本当に凄かったと思う。)


-Epilogue-

佼成出版社のインディーズ録音盤に発した 「秋山和慶&東京佼成ウインドオーケストラ」 のシリーズは、間違いなく吹奏楽録音の金字塔である。クオリティが非常に高く、緊張感のある名演ばかりなのだ。

シリーズ発売当時、佼成出版社のご担当者は大変親切な方で、片田舎の中学生である私のために、個別に通信販売の便宜を図って下さった。バンドジャーナルには広告が掲載されても、当時私の田舎では入手ルートがなく夢の音源だったから…。 LPを手にした時の嬉しさは今でも忘れられない。


そのご担当者からいただいたお手紙によれば、この秋山シリーズは 「祝典のための音楽」 (G. ジェイコブ ) や 「リシルド序曲」 (G. パレ ) をはじめとするオリジナルの名曲が今後次々と録音される予定とのことであった。実際には第3作以降、クラシックアレンジや ”大作曲家の知られざる吹奏楽作品発掘” 路線に行ってしまい、それが実現しなかったのは残念。 もし当初企画通りであれば、吹奏楽界録音の穴をクオリティの高い演奏で埋める珠玉の音源集になったであろう。( もちろん、実際に録音/発売されたものも素晴らしく、意義の高いものではあるのだが...。)

企画の変更は秋山氏の意向を反映したものと推察するが、骨の髄まで吹奏楽ファンの私としては、今でも如何にも惜しくてならないのであった。



<Originally Issued on 2006.11. 8. / Revised on 2008.6.8. / Further Revised on 2024.5.25.>






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