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吹奏楽のための木挽歌

更新日:11月4日

Kobiki-Uta for Band

Ⅰ.テーマ Ⅱ.盆踊り Ⅲ.朝のうた Ⅳ.フィナーレ

                  小山 清茂   Kiyoshige Koyama  (1914-2009 )


-Introduction-

1980年度の全日本吹奏楽コンクール課題曲Aは小山 清茂作曲の「吹奏楽のための花祭り」であった。この当時は参考演奏がカセットテープで頒布されており、各曲演奏の前には作曲者自身の語る「解説」が収録されていた。これは作曲家の方々の肉声が聞ける貴重なものなのだが、他の方々と違って小山 清茂はここで「解説」「演奏における注意点」らしいことには全く触れていない。

” (バンドごとに) みんな違う音の方が、私はとてもおもしろいと思うんですね。譜面には注意を書き込みましたけれど、必ずしもそれを四角四面にお取りにならないで、柔軟性をもった解釈をしていただきたいと思います。これが私の虫のいいお願いです。”

-という願いを述べるのみなのである。

大変個性的だったと伝わる小山 清茂だが、その朴訥としてなお人懐っこい印象のある語り口とともに、ここでもやはり個性的な人物であることを窺わせていた。 ■作曲者

西洋音楽の表現力や華麗さに魅せられながらも、日本人の根底にある”民族の音”を最重要視した小山 清茂。その作品にはデフォルメを抑え、素の日本旋律の魅力を伝えようとするスタンスが貫かれている。


題材たる日本の旋律を、あくまできっちり西洋音楽の手法で描き出す-。この対照的な二つが見事に融合した小山独特の世界は、今なお斬新である。

 


小山 清茂が生まれ育ったのは長野県旧更科郡信里村で、航空写真で見るとまさに山村である。西洋音楽に触れる機会はなく、長野師範学校に進学してから音楽に目覚めたのだという。卒業後小学校教師をしながら安部幸明と手紙を遣り取りして和声の手ほどきを受けたのを始まりとして、ほどなく1941年に上京して豊島区の小学校教師をしながら、安部幸明に本格的に師事している。

(後に吹奏楽部が高名となる)豊島第十中学校に勤務した経験もあり、その時期である1946年に「管弦楽のための信濃囃子」で第14回毎日音楽コンクール1位入選を果たす。

 

小山の日本民謡に対する強い愛着と、そのペンタトニックなメロディに対する和声へのこだわりには並々ならぬものがある。

「テレビやラジオ流されている民謡は安っぽく今様に変形されている。バンドで吹いている民謡などは、メロディーだけ借りてきてまったく西洋風のハーモニーが無神経についている。何とかして本物らしく和声づけした民謡の譜面をぜひ津々浦々まで広めたい。」 この小山の思い入れをより具体的に表したものに、自作「吹奏楽の太神楽」についての解説がある。そこでは小山が所謂 ”田舎節” である陽旋法に加えて ”派生的陽旋” による和声を試案しこれを用いることで、より「本物」の日本民謡に迫ろうとしたことが示されている。

 

小山 清茂が吹奏楽と接点を持ったのは American Wind Symphony Orchestra から委嘱を受け、「イングリッシュ・ホルンと吹奏楽のための音楽」(1969年)を作曲したのが初めてだが、吹奏楽というもの (だけではなく管弦楽においても同様だが) を想起した時、Flute, Oboe, Fagotto は元々日本的な響きを有しているのに対し、Clarinet や Saxophone は日本的な響きから遠く、ましてや金管楽器は「バタ臭い」音色で日本的響きはおよそ期待できない、との課題を感じていた。

しかし小山は日本民謡なり近世邦楽に材を求めて作編曲を行う場合に、日本的な響きの楽器に限定してこれを行えば 「甚だ四畳半的な”響きとなり、民族遺産の形骸だけしか再現できないだろう」 との判断を下している。

そしてそうした懐古趣味を脱し、寧ろ日本的な響きからは遠い ”バタ臭い楽器” を駆使し、同化し、わがものとするとの決意を示している。 「バタの匂いをサシミの匂いに変えることこそ、我々の義務と考えるべきではないか。」

 ※バタ=バター、「バタ臭い」とは「いかにも西洋風の」という意味

この言葉に象徴されるスタンス、覚悟こそが、小山作品の醍醐味である ”日本の旋律と西洋音楽の手法の見事な融合” を生み、他の作曲家にはない独特の傑作に結実していったと云えるであろう。


【参考・出典】

「作曲家 小山清茂氏を訪ねる」 村方 千之 (バンドジャーナル所載インタビュー記事)

「吹奏楽のための太神楽の和声について」 小山 清茂 (バンドジャーナル特集:アナリーゼと演奏の接点) 「吹奏楽に期待する」 小山 清茂 (バンドジャーナル特集:作曲家からの吹奏楽への発言)


■大木 隆明 cond. 前橋商業高校 の名演

小山 清茂と吹奏楽の関わりに於いて、忘れてはならないのが大木 隆明先生の率いた前橋商業高校吹奏楽部の存在である。1974年から1980年まで7年連続で吹奏楽コンクール全国大会に出場し、内1978年から3年連続で金賞を受賞。

「能面」「木挽歌」「鄙歌第2番」と小山作品を採り上げての全国大会金賞は強烈な印象を遺した。

特に1980年は課題曲「花祭り」とともに12分間の ”小山ワールド” を提示するという、まさに大木=前橋商の集大成であった。 同校の活躍により小山作品は吹奏楽界に広く浸透したのである。

 

中でも「木挽歌」は1974年と1979年の2度採り上げているが、大木先生の手に成るその編曲は独特の「吹奏楽版」であり、小山ワールドを表現する納得感の高い個性を備えている。

1974年は「テーマ」においてコーラスをバックに Euphonium に歌わせるという独特のものであったし、フィナーレ冒頭にも櫓太鼓(枠打ち)を入れるなどこだわり抜いた演奏であった。

 

そして迎えた1979年再演の「木挽歌」は吹奏楽コンクール史上、屈指の名演となった。

まず冒頭「テーマ」を歌い上げる Cor anglais のソロが最高に素晴らしい!

ここでのオーケストレーションにおいては小山が指定した Cello や Tenor Sax. を超えて、音色面でもニュアンスでもまさに Cor anglais こそが最適解 だと思わされる、 それほどの名演である。

 

最初から最後まで小山作品を表現し尽くした演奏となっているのだが、圧巻はなんといってもフィナーレにおいて主題が歌い上げられるさまであろう。 269小節目から始まる最後の主題再現が287小節に迎えるその終末までもの間を大きな大きな「歌」と捉えられ、決して途切れることのない息の長いフレーズの堂々たる音楽の流れとなって、ひたすら放射状に高揚し続け歌い尽くされていくのだ-。

ここは感動的過ぎて、もう涙をこらえることなんてできない!

 

ここまで歌い上げてこそ、その余韻から湧き起こり名残惜しく消えていく Bass Clarinet

ソロで静かに締めくくられるエンデイングが生きるのだ。これほど情念を込めて ”歌い上げた” 演奏、表現は、管弦楽版/吹奏楽版を通して類を見ない。「木挽歌」という作品の真価を発揮した、文字通り奇跡的な名演なのである。


■楽曲概説

「吹奏楽のための木挽歌」は九州・佐賀県の民謡をもとに純化構成された旋律と、その変奏曲である。1957年に「管弦楽のための木挽歌」として作曲され、作曲者自身の手により1970年に吹奏楽版が作られた。

日本のオーケストラの海外公演のプログラムの常連曲であり、また永く小学校の音楽観賞教材にもなっていた、小山 清茂の代表作であり最高傑作である。


尚、1971年に発売されたLP (山田 一雄 cond. NHK交響楽団員による演奏)では管弦楽原曲及び1974年出版の吹奏楽版から半音下げた版が使用されていることで知られる。

この録音は1970年12月11日及び16日に普門館で行われたものだが、直前の初演 (1970年11月20日 山田一雄cond.東京佼成吹奏楽団 於:普門館 )でもこの半音下げた版が使用されたのかも明らかになっていない。

なぜこの版が作られたのか、なぜこの版で録音が行われたのか、謎である。


下掲の通りバンドジャーナル所載の「国内レコーディングニュース」記事 (1971年・抜粋)で、このLP録音の様子が報じられている。


■旋律と素材となった民謡

そもそも「木挽歌」なる曲を書く動機というのは、その前の年あたりにNHKの委嘱で、劇作家の故三好十郎氏と組んで、音楽劇「破れわらじ」というのを作った。その時の音楽に手を加えて完成したものである。

〽ヤーレー破れわらじと コラおいらの仲は

 すぐに切れそうで 切れやせぬ

という唄が主題歌のように歌われたもので、音楽之友社版のパート譜にある、

〽ヤーレー山で暮らせば コラ木の根が枕

 木の根外せば 石枕

と同一の節回わしで歌われる。

なお、この「破れわらじ」という番組の制作意図は、「民謡の発生をさぐる」ということであった。したがって、「木挽歌」なる曲の組み立ても、この民謡がどのようにして生まれ、どのように成長、発展して行ったか、また、民謡の生命力がいかにたくましいかということを歌い上げたものである。                        -小山 清茂自身による解説より


2019年、日本フィルハーモニー交響楽団は小山 清茂の遺した記述をもとに「管弦楽のための木挽歌」旋律のモデルとなった民謡の調査を行い、佐賀市出身の三好十郎が小山に紹介した佐賀民謡を福富町(現・白石町)の「木挽歌」 と特定した。

佐賀県立図書館がインターネットで公開している佐賀民謡の中に、音楽劇「破れわらじ」の音楽と節回しがほぼ同じものが見つかったものである。

 ※佐賀県立図書館データベース「佐賀の民謡」:https://www.sagalibdb.jp/minyo/

  「11. 木挽歌 労作歌(樵に関するもの) 福富町福富下分 」

この福富町「木挽歌」の歌詞は

〽ヤーレ 山で切る木は沢山あれど 思い切る木はざらにない

〽ヤーレ 婆々しゃんのしょんべんまり 雀が笑うた 雀四十九は皺だらけ

〽ヤーレ 山で赤いのは つつじに椿 明けて白いのは 梅の花

というもの。

小山はこの素朴を極めた民謡を耳にして作曲の契機とし、それが音楽的に整えられて「管弦楽のための木挽歌」の主題旋律になったものと推定されている。


【参考・出典】

「小山清茂作曲『管弦楽のための木挽歌』旋律のモデル 佐賀の民謡」 (佐賀新聞2019年8月19日付朝刊)

「佐賀県の民謡」 (佐賀県教育委員会)

■管弦楽原曲と吹奏楽版の相違点

小山は前述した1970年の吹奏楽作品集録音の際に、「吹奏楽への期待」を表明している。

曰く-

・日本民謡を無形文化財と祀り上げ「保存」したところで末期的な哀愁の響きを感じるばかり

・それよりも吹奏楽などに編曲して現代の青少年にも日本民謡への親近感を持たせておき、

 後に本物を知ってもらうことでその良さを納得してもらうのが得策

・そこに民族芸能にとって起死回生の活路を発見したように思う


また、当時吹奏楽が既に相当普及していたにもかかわらず、そこでは日本作品(オリジナル曲)が量質ともに乏しく外国作品ばかりが演奏されている状況を「珍妙不可思議」と嘆いてもいた。そんな小山は「吹奏楽のための木挽歌」を創るにあたり、”とにかく管弦楽原曲を忠実にトランスクリプションする”といったことにこだわるのではなく、吹奏楽作品として「木挽歌」という音楽が表現されるように考えていたように感じられる。

【参考・出典】

 「吹奏楽に期待する」 小山 清茂 (バンドジャーナル特集:作曲家からの吹奏楽への発言)

「吹奏楽版」における管弦楽原曲との相違について、主なものを挙げると以下である。

Ⅰ. テーマ

 ・冒頭、のこぎりで木を挽く様子を表す部分は、「擦って音を出す」弦楽器の代替として「錆

  びた鉄板を紙やすりで擦る」という大胆なアイディアを投入

 ・主題提示のソロ ( 原曲:Cello ) は Tenor Sax. のアカペラとし、原曲にあるバックの低弦

  による和音は全カット、この低弦の和音カットは第1曲全編で貫かれ、最後も原曲にある

  和音フェルマータはなしでドラの響きのみにより締め括られる

 ・小山のいう ”バタ臭い” 楽器の象徴である Sax. の音色を主題提示に使うという、極めて

意欲的な改編もされている

  (尚、このソロはないものの、管弦楽原曲においても Tenor Sax. が使用されていることは

  特徴的であり、付記しておく)


Ⅱ. 盆踊り

 ・打楽器に「当たり鉦(チャンチキ)」を加え、華やかさ賑やかさを増した

 ・最後の櫓太鼓の音は”鳴らしっ放し”とするよう明確に表記


Ⅲ. 朝の歌

 ・冒頭から伴奏は3つの動きで構成されているのだが、この内 Violin, Viola, Harp にて奏さ

  れる

   のリズムはカット、音量と勢いを増したクライマックス(練習番号6より)では原曲にない

   木魚 ( Muyu ムーユイ) がこのリズムを奏するが、原曲では絶え間なく鳴っているこ

   のリズムの大半がカットされている

   (おそらく管楽器でこれを奏するとごちゃごちゃと混濁した感じになると危惧したもの

   とも思われるが、この伴奏は非常に重要なリズムなのでぜひ活かしたいところであり、

現在の吹奏楽なら鍵盤/打楽器の活用含め再考が可能とも思われる)


   ※Muyu に関する小山清茂自身の解説

     「小型の木魚で、四個ぐらいセットになったのを使ってほ

     しい。およそ汁椀ぐらいの大きさから、もう少し小さいも

     のまで並べてあって、高低四段階の音が出るようになっ

     ている。」

Ⅳ. フィナーレ 

  ・冒頭 Piano が奏する和音(C 6 9)はカット、これ以外にも原曲に比べ Piano はカットさ

   れている部分多し

・最後の主題再現部(練習番号7)冒頭の Harp はカット

   (非常に効果的でありぜひ吹奏楽でも入れたいところ、現在の吹奏楽においては Harp

は Piano と併せぜひ活用を再考したい)

  ・全曲を締め括る Bass Clarinet ソロはアカペラとし、原曲にあるバックの弦楽器による

   和音は全カット(これは冒頭の主題提示に呼応するものであり、統一感がある)


■楽曲解説

既に述べてきた通り、佐賀県民謡をもとに作られた主題とその変奏曲であり4つの曲から成る。各曲を作曲者・小山 清茂のコメント(「 」 仮名使い、送り仮名等は原文ママ ) とともに、見ていこう。


Ⅰ. テーマ

「深山幽谷で杣人(きこり)が大鋸で大木を切り倒している。怠屈まぎれに即興の歌を歌っている。やがて遠くから梵鐘が聞こえて、日も暮れる。」

非常に現代的な和音の響きがこだまして鋸で木を挽く様子の描写から始まる。


「鋸の擬音的な箇所「ギーコ」であるが、私のスコアには、サンド・ペーパーで錆びた金属板を擦るよう指定してある。これは、ほかに名案があれば試していただきたいと思う。

また「ギー」から「コ」にかけて、クレッシェンドしてはどうか、という質問をたびたび受けるのだが、これは指揮者の裁量にまかせたい。作曲者自身としては、クレッシェンドは考えていない。」


3度繰返された擬音に続き、いよいよ主題が提示される。小山は吹奏楽版を作るにあたり、それを Tenor Sax. の独奏 に委ねた。


「テナー・サックスが独奏する旋律は、一応この通りに吹けば良いのであるが、できあがった場合には多少の揺れがあっても良いのであり、むしろ指揮者は独奏者の気の向くままに任せるべきであろう。」

管弦楽原曲では Cello、吹奏楽版では Tenor Sax. が作曲者から指名された楽器であるが、叙上の性質から歌心のあるヴィルトゥーゾであれば、究極どの楽器が担当しても良いであろう。私が聴いた中では Euphonium、 Cor anglais、 Clarinet で演奏された例があるが、いずれもそれぞれに味のあるものであった。


この朗々たる歌が終わると再び鋸で挽く擬音が5度繰返され、遠くから日暮れを告げる梵鐘(ドラ)の響きで曲を閉じる。


※この「木挽歌」に登場する伐採用

ののこぎりとは 山鋸 (やまの

こ) のことである。

チェーンソーが登場する昭和30

年代までは斧と鋸で木を切り倒

していた。木の高さ、枝張り、地

形などから切り倒す向きを決め、

倒す方に斧で三角の切り込みを

入れ、次に反対側から斧や鋸を入

れ切り倒す。鋸で切るときは木の

重みで鋸が動かなくなるのを防ぐため、矢を打ち込んでいた。

切り倒したら鉈などで枝を落とし、必要に応じてタマギリといって寸法に合わせて切り分けるのである。

【出典】熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト


Ⅱ. 盆踊り

「仕事を済ませたキコリが村里に帰ってこの唄を歌うと、その素晴らしい節回わしは村中に広まって、ついに盆踊りになった。」

旧暦の7月15日を中心に行われる先祖供養の儀式である「お盆」(正式には盂蘭盆会[うらぼんえ])は、先祖の霊があの世から帰ってきて家族と共にひとときを過ごし、再びあの世に帰っていく-という日本古来の祖霊信仰と仏教が結びついてできた行事であるが、そこで踊られるのが「盆踊り」である。

 

起源は約1,000年前からとも言われる盆踊りは、祖霊・精霊を慰め、死者の世界にふたたび送り返すことを主眼とし、豊作祈願も目的として村落共同体の老若男女が盆踊り唄(うた)にのって集団で踊るもの。


手踊、扇踊などあるが、歌は音頭取りがうたい、踊り手がはやす。太鼓、それに三味線・笛が加わることもある。




日本全国、地域毎にそれぞれの成り立ちや特徴を持ち、多くは浴衣(または日本ならではの衣装)を着て踊り回り、歩くというまさに日本の代表的な「伝統文化」「民俗芸能」のひとつであり、また誰でも気軽に参加でき老若男女様々な出会いの場、地域の人々との交流という娯楽的な要素もあわせ持ち、江戸時代からは男女の出会いの場としての機能も果たすようになったとされている。

日本三大盆踊りとして「西馬音内の盆踊り(秋田)」「郡上踊り(岐阜)」「阿波踊り(徳島)」が有名であり、また沖縄の「エイサー」も盆踊りの一つである。


【参考・出典】

日本盆踊り協会HP https://bon-odori.net/bonodori/

にほんご日和「日本人でも意外に知らない?盆踊りの由来や基本、楽しみ方」 https://haa.athuman.com/media/japanese/culture/2284/

日本大百科全書 「盆踊り」


「太鼓や笛の前奏の後、オーボエのソロ譜例(1)から変奏が始まる。(ピッコロのメロディーは変奏とは関係ない)

スコアのⒶにおけるテナー・サックスのような小節(こぶし)は取れて、もっと単純で、リズミカルな旋律となり、盆踊りの音頭はさらにテナー・サックスからフルート、クラリネット次にトロンボーンへと受け継がれていく。

そして、節回わしも少しずつ変わって行くが、これは歌い手が変わったり、歌の文句も変わるためと見たい。つまり民謡の形成途上にあるわけで、旋律が固定していないのである。」


この「盆踊り」ではリズミカルさが重視されること、そして受け継がれていく”変奏”において各フレーズの演奏がそれぞれに個性的であるべきと作曲者は示唆している。

中でも、太鼓のお囃子によるブレイクに続いて登場する Trombone ソロは、この楽器得意のグリッサンドを駆使しており個性発揮の最たるもの。

ここでは酒をひっかけて、ちょっといい気分になったお調子者が櫓の上に上って来て唄い出す-そんな愉快な情景をイメージさせるであろう。


「次に、譜例(2)のようなギクシャクとしたところがあるが、男と女の愉快なやりとりで、明瞭に聞かせたいところである。一見難しそうに見えるが、よく練習して楽しい雰囲気を出したいものである。」



このように「盆踊り」の譜例に小山 清茂は歌詞をつけたものを提示し解説を施している。元となった音楽劇によるものとも推定されるが、各フレーズにおいてイメージされる情景や音楽のニュアンスが伝わってくるではないか。この部分はあっけらかんとした婀娜な男女のやりとりを表しているのだ。

「最後にもう一度、譜例(3)のような愉快なところがあるが、各声部は完全四度の間隔になっていることに注意したい。」


そして「盆踊り」は、櫓太鼓のソロで締め括られる。

これに関しても小山 清茂は非常に強い思い入れを感じさせるコメントを遺している。そして「盆踊り」というものは、民謡の真髄が示されるまさに ”ライヴ” であったはず、とも主張し ているのである。


「この後の櫓太鼓のソロは、盆踊りの締めくくりとなるたいせつな音で、「ドコドン」と明瞭に響くように。もちろんインテンポではない。

田舎の盆踊りは、こんなにも楽しいものであった。私の郷里信州の盆踊りを想い起こして書いたのだが、いま都会で見る盆踊りは、レコードをかけて踊るので、この曲のような雰囲気とはほど遠い。」

盆踊りの情景描写のみならず、”唄い手” の個性が生み出す日本民謡のライヴ感を表現したい楽章なのである。


Ⅲ. 朝のうた

「キコリの歌った唄は、村里で盆踊りになったばかりか、都会にまで流行し、そば屋の出前持ちが、自転車に乗って口笛吹いていく。むろん主題の変形である」

Flute ソロに始まる旋律は非常に瑞々しく、従えたリズムは闊達にしてスケールの大きさも感じられる音楽である。

それゆえに、緑豊かな深山と渓谷の朝の情景を想像していたら、実は蕎麦屋の出前持ちが配達がてらご機嫌に口笛でお気に入りの民謡を奏でる情景だった。なるほど、この変奏を口笛で吹いてみると実に陽気な気分になる。

-しかしながら、きこりの分け入る雄大な山々とそこにおける朝の爽快な空気を思い浮かべたとしても、あながち間違いでもないであろう。

「冒頭から⑥までのクラリネットは、スラーをつけないで、メロディーを吹くというよりは、和音が上下している感じになってほしい。音量はあまり必要ではないので、各パート一本ずつにしてもよいであろう。Pf+Glocken+Vib.で、朝の爽やかな感じを出し、それを伴奏としてフルートのソロが旋律を奏する。しだいに楽器が増え⑦では旋律が完全五度の間隔を持って奏される。これは上声と下声が均等に響くようにしてほしい。つまり完全五度という音響が鳴り進むということにしたいものである。

⑩の辺から、しだいに音量が弱くなるが、テンポは変えないで、さらっと終わりたい。」「Ⓒの部分(=朝のうた)は、全体的に爽快な気分が欲しい。ことに、冒頭の数小節は、きちっと合わせることが困難かもしれないが、ここがうまく行くかどうかで「朝のうた」が「雨降りのうた」に変わらないとも限らない」


5/4拍子のリズミックで実に凝った伴奏に、流麗な旋律を軽やかに載せてみせる ”爽やか” な音楽であるこの楽章が、色彩感的にも「木挽歌」に効果的なアクセントを与えているのは見逃せない。


Ⅳ. フィナーレ

「民謡の持つ生命力のたくましさを称えた楽章。」

この小山 清茂コメント通り、手法も駆使して民謡主題の魅力を語り尽くす最終楽章。

華やかで多彩なオーケストレーションによりエネルギッシュでエキサイティング、鮮烈に展開する主題の変奏の後に、また改めて力強さと雄大さを極めて主題が再現される。その堂々たるさまに、聴く者は圧倒的な感動に包まれる。 Bass Clarinet の深遠なるソロで静謐に全曲を終うのが、また実に渋い!


「冒頭のトランペットは一番奏者と三番奏者との継ぎ目が分らないのが望ましい。つまり、一人で六小節を吹いたように聞こえるのが理想で、しかもスネア・ドラムとぴったり合ってもらいたい。このトランペットの継ぎ目には、かならず他の楽器が鳴るようになっているので、かなり救われるはずではあるが、しかし訓練を要するところであろう。」

Suspended Cymbal の一撃とともに、Trumpet+Snare Drum の16分音符に始まる「フィナーレ」冒頭の鮮烈さは格別である。(この16分音符に櫓太鼓の枠打ちを加えた演奏があるが、それはそれで趣のあるものである。)


これに8分音符の打込みが加わり緊張感を高め、それがピークとなって Horn+Trombone によって勇壮に旋律(主題の変形)が提示される。


「①から④までは、主題の変形がくりかえされ、④でティンパニーのソロとなるが、これも主題の変形である。ここはティンパニーの見せ場だが、正確に調整された音高で、不変のリズムを保ってほしい。とかく「ここ一番」と力むためか、テンポが駆け出すことがあるようだ。

五小節目から、響き線を外した小太鼓が加わり、七小節目から大太鼓が、九小節目からは吊るしたシンバルが加わるが、これらはみな補助として加わったまでで、どこまでもティンパニーのソロである。」

作曲者から明確に見せ場を与えられた Timpani の好演が期待されるところ(ここで、セッティングされた最低音から最高音へ飛ぶ際にひらりと一回転して見せる奏者もいる)であることは間違いないが、盛り立て役とされている Timpani 以外の打楽器も含めてまさに一丸となったアンサンブルの打楽器ソリが、極めて大きなインパクトとなっている。


「⑤から、低音部と高音部の追っかけ合いがあるが、これは、低音も高音も対等にffでやってほしい。」


「⑦複縦線の前は、テンポを全く変えることなく、ぷつっと切る。そして♩=72のテンポで正確に2拍数えて休むことがたいせつ。それから後は、滔々と流れる大河のごとく主題が奏されるのだが、メロディー以外の楽器をたいせつにしてもらいたい。そうすることにより、メロディーがいっそう輝かしさを増すのである。」



「⑧からはきわめて壮大な雰囲気が要求されるわけだが、特にゴングはりっぱな響きがほしい。バンドが二倍の大きさになったような感じになるかならないかは、いつにかかってゴングのりっぱさいかんにかかっているのである。」


低音部と高音部の掛け合いによるエキサイティングな変奏が、Trombone の痛烈なグリッサンドを合図に終わりに向かい、2拍の G.P. の後に主題の壮大な再現部となる。

これは更にスケールを拡大し Grandioso となり、轟きわたるドラの響きとともに全合奏にて謳い上げられていくのである。

ここではテンポは確立しつつも拍子感を感じさせない、超越した演奏を望みたい。


息の長い旋律はあくなき高揚を続け、その頂点で最大のドラの一撃が響きわたり、その鎮まりの向こうから Bass Clarinet の最後の歌が聴こえて来て、全曲を閉じる。

「そのゴングのいんいんたる余韻いまだ消えやらぬ中からバスクラの幽玄な歌がきこえることとなる。しんみりした独白を聞かせてもらいたい。」



【資料】楽曲研究「吹奏楽のための木挽歌」小山清茂


■推奨音源

◆管弦楽原曲

沼尻 竜典cond. 東京都交響楽団

新しい録音で整った演奏でありながら、求められる情緒も備えた好演。「盆踊り」 Trombone ソロ も ”音の張り” と(酒を一杯ひっかけた感じの) ”いい調子” のバランスが非常に良い好演。








【その他の所有音源】

岩城 宏之cond. NHK交響楽団 [1977]

岩城 宏之cond. NHK交響楽団 [1961 Live]

  外山 雄三cond. 読売日本交響楽団

 

◆吹奏楽版

小田野 宏之cond. 東京佼成ウィンドオーケストラ

アクの強い表現は抑えめではあるが、よく整った演奏。

「盆踊り」 Trombone ソロは管弦楽原曲を含め、最も“酔っ払い”っぽい表現の演奏であり、印象に残る。

 

 

 


 

 

 

【その他の所有音源】

 山田 一雄cond. NHK交響楽団員による吹奏楽団  ※音楽之友社版とは別バージョンの吹奏楽版

秋山 和慶cond. 洗足音楽大学 ”Senzoku Special Wind World” (Live) 木村 吉弘cond. 広島ウインドオーケストラ

 秋山 和慶cond. Osaka Shion Wind Orchestra (Live)

  船山 紘良cond. 陸上自衛隊中央音楽隊

  汐澤 安彦cond, 東京吹奏楽団 (Live)

 

-Epilogue-

この作品は日本の誇る大傑作に間違いないが、民謡をフィーチャーしたこの作品の個性の濃さと、演奏レベルの高さとを両立した、もう一段高次元な「決定的」名演の登場をぜひ期待したいところである。

 

この作品は各楽器のソロも聴きどころであり、吹奏楽コンクールでのアマチュアの演奏を含め、実に素晴らしいソロと出会うことがある。

私の例で云えば高校生の時に大分県吹奏楽コンクールで耳にした中学生の Clarinet および Bass Clarinet のソロに驚いたのが最初であった。極めてレベルの低かった当時の大分県でも、こんな優れた音と歌心のある中学生プレイヤーがいるのかとただただ驚愕した。

(あの子たちはその後、そして今も音楽を楽しんでいるのだろうか…。)


そして Trombone 奏者の端くれとして、私はこの「木挽歌」=盆踊りの Trombone ソロにこだわらないわけには行かない。

このソロは良い音・良い音程で堂々と奏するだけでは全然サマにならない。 所有音源を聴いても、気弱だったり真面目だったりおとなしかったりという印象の、何とも ”つまらない” ソロも結構あるのだ。その一方でクセが強すぎたり、グリッサンドがねちっこ過ぎたりでしっくりこない 「個性派」 ソロもある。このソロの描く ”歌い手” に 「ちょいと酒で気分良くなっちゃってるヤツ」 のイメージがあることは、絶対的だと思うが、さあどう演奏するか-。


理想の演奏を思い描くのも、そういうソロを聴かせてくれることに期待するのも、自分なりに練習するのも、どれもとても楽しい。一度は演奏してみたいソロなのである。



 <Originally Issued on 2006.12.20. / Overall Revised on 2023.8.14. / Further Revised on 2023.11.3. >












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