Lamentation of Archangel Michael for Symphonic Band
藤田 玄播 Genba Fujita (1937-2013)
-Introduction-

聖書の中では、天使は二つの性格であらわされています。ひとつは神の啓示をもたらす天使、もうひとつは神の勢力として悪と闘う天使です。
前者は処女マリアに神の子の懐胎を伝える天使ガブリエルに代表されます。後者は天使長ミカエルであり、悪と闘う有様が『ヨハネ黙示録』に描かれています。その中の数節は次のようなものです。
-さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは竜と戦った。それで竜とその使いたちは応戦したが、勝つことはできなかった。天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。こうして、この巨大な竜、すなわち悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。-(略)
私はこの物語を自由なファンタジーをもってひとつの曲にまとめ上げたものです。
-作曲者 / 藤田 玄播による解説
※上画像:”Archangel Michael Battle with a Dragon” - Church of Saints Simon and Helena (Minsk, Belarus)
■作曲者

国立音大ブラスオルケスターのために書かれた管弦楽曲編曲の数々や、全日本吹奏楽コンクール課題曲「若人の心」「幼い日の想い出」などにより高名な藤田 玄播は、日本吹奏楽指導者協会会長を務めたほかバンドジャーナル誌への寄稿なども通じ、永きに亘り本邦吹奏楽界を指導し牽引した人物である。何よりその優れた作・編曲作品による貢献は測り知れず、2013年1月に突然の訃報が届いた際には、多くの吹奏楽ファンがその逝去を悼んだ。
「天使ミカエルの嘆き」(1978年)は、そうした藤田作品の中でも頂点にある作品の一つであり、邦人吹奏楽オリジナル曲の中でも屈指の名作と評価できよう。藤田 玄播の作品には本作をはじめ「バルナバの生涯」「切支丹の時代」「ゲッセマネの祈り」といったキリスト教に関する作品が多いが、それはプロテスタントの牧師を父に持ち、その薫陶を受けて音楽的にも教会音楽やオルガン曲に慣れ親しんで育った環境に由るとされている。
【出典・参考】
「藤田玄播の世界」(大阪 泰久)-バンドジャーナル別冊「ザ・シンフォニックバンド」Vol.2(1989年)
■大天使ミカエル
✔聖書のエピソード

本楽曲の描く「ミカエル」とは、キリスト教における神の使いである天使の長=”大天使” である。ガブリエル、ラファエルとともに聖書聖典に名前が登場する天使であり、外典に登場するウリエルを加えて四大天使と称され、敬愛されている。
”ミカエル” の名は「神の如きものは誰か」という問い掛けに由来するといい、ミカエルのエピソードは旧約聖書および同外典にも多く見られる。
そして「天使ミカエルの嘆き」の題材となった 「ヨハネの黙示録」 (新約聖書) のエピソードは、大天使ミカエルをめぐるエピソードの中でも最大のものである。
左画像:
” Saint Michael Fighting a Dragon in the Shape of a Dinosaur”
by Liber Floridus (15世紀)
それから、天上で戦いが起こった。ミカエルと彼の天使たちとが竜と戦うためであった。竜とその使いたちも戦った。しかし、竜は勝つことができず、彼らの居場所も、もはや天上には見いだせなかった。この巨大な竜は投げ落とされた。この太古の蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者、全世界を惑わす者、この者が地上に投げ落とされ、また彼の天使たちも、彼もろとも投げ落とされた。
-「ヨハネの黙示録」第12章 ”女と子供と竜の幻” (小河 陽 訳)より
※詳細は以下も参照されたい
・「ヨハネの黙示録」 第12章 ”女と子供と竜の幻” 全訳文
・ 「ヨハネの黙示録」以外に登場するミカエルとそのエピソード
【出典・参考】

「ヨハネの黙示録」 小河 陽 著 (岩波書店)
堅実で客観性がある名著。さまざまに語られる「ヨハネの黙示録」だが、本書は理知的な翻訳・解釈書と思う。
「ヨハネの黙示録」を題材とした美術作品の画像を多数収録しているのも有難い。

「パウロの名による書簡 公同書簡 ヨハネの黙示録」
新訳聖書翻訳委員会 編
保坂 高殿・小林 稔・小河 陽 訳 (岩波書店)
「ダニエル書 エズラ記 ネヘミヤ記」
村岡 崇光 訳 (岩波書店)

「『天使』がわかる 」
森瀬 繚 著 (ソフトバンク文庫)
「 旧約聖書外典 (下) 」
関根 正雄 編 (講談社文芸文庫)
✔モン・サン・ミッシェル ( Mont Saint-Michel ) と大天使ミカエル

フランス西海岸のサン・マロ湾上に浮かぶ小島とそこにそびえる修道院であるモンサンミッシェルは、カトリックの巡礼地として知られ、また1979年にはユネスコ世界遺産に登録され観光名所としても世界的に名高い存在である。
このモンサンミッシェルこそは、708年にアヴランシュ司教オベールが夢の中で大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受け、礼拝堂を建立したのがその起源とされている (「モンサンミッシェル」=「聖ミカエルの山」の意) のである。
モンサンミッシェルには14世紀に始まったフランスとイギリスの百年戦争では要塞として使われた修道院をはじめ、多くの教会が残されている。中世を代表する巡礼地であったこの海の修道院には、18世紀にフランス革命により閉鎖され監獄として使われた歴史もある。
何世紀にわたって増改築が繰り返された聖堂は、ノルマンディー・ロマネスクをはじめ、ゴシックなど、中世のさまざまな建築様式が採用されたユニークな建造物である。
特に13世紀に建てられた北面の建物は “驚異” と呼ばれ、狭い立地条件をたくみに活かし、低層階(一般巡礼者を迎え入れる場所)・中層階(いくつもの礼拝堂や貴賓客や騎士をもてなす部屋)・最上階(修道士が生活する場)の3層に分かれており、最上階にある修道士が瞑想する回廊は優美なゴシック様式を今に伝えると評される。

そしてその建立にまつわる伝説ゆえに、モンサンミッシェルは長剣を振りかざす大天使ミカエルの黄金に輝く像(高さ4.2m)を尖塔の上に頂く。この像の作者はエマニュエル
・フレミエで、1897年に設置されたものである。
【参考・出典】
JTB HP: モン-サン-ミシェルとその湾の魅力・地図・行き方【JTB】
HIS首都圏版HP:モンサンミッシェル - フランス 世界遺産の旅【HIS】 (his-j.com)
■楽曲解説

楽曲は自由な形式の幻想曲として書かれており、息を殺す如き静かな緊張感を伴う幻想的なAdagio-嘆きの序奏に始まる。
背景に微かな打楽器の動きや Flute のフラッターを従えつつファンタジックな響きの中からまず Euphonium によって、全曲を支配する旋律が提示される。

これに続く微分音的に微妙にズレた音程でぶつかり合って始まる Clarinet の吹きのばしが醸すものは、やはりこの世のものではない感じである。
ややテンポを早め、Andante にて不安げに歌い出す木管楽器の旋律は徐々に高揚し、

遂には打楽器を伴って激情のコントラストを描くが、ほどなく金管低音の奏でる厳かなコードに導かれて鎮まり、序奏部を終息する。
本楽曲の持つ精神的な深みを示唆する印象的な冒頭部である。
曲はいよいよ戦いの場面へ-。
密やかな木管のトリルと、グリッサンドで昇降する Timpani のロールとで始まる Moderatoへと突入する。

ここからは非常に現代的な感覚のエッジの効いた音楽となっており、急激なクレシェンドに続き金管群のファンファーレが奏され、激烈な不協和音が轟く。

ドラの一撃に続いて Horn が咆哮し、ここぞとばかりTrombone のグリッサンドが煽ると、Trumpet と Xylophone の激しく細かい動きにベースラインのシンコペーションも交錯して、まさに暴れ狂う竜と阿鼻叫喚の情景を描くのだ。

その竜に、まさに鉄槌が下る-
大天使ミカエルの颯爽たる登場である。Trumpet+Trombone が奏する Brassy なコードは儼乎として邪悪と対峙するミカエルの雄姿を思い描かせる。

このフレーズによってスピード感とエネルギーを増し、一層鮮烈となってクライマックスへ向っていく。

かくしてミカエルは竜の軍団を圧倒し、遂に竜は投げ落とされる!
分厚いコードが鳴り響き、続いて落ちていく竜を表現する Trombone の gliss-down が轟くと、トムトムの激しいリズムと Trumpet がうねりに加わり、Trombone の壮絶なペダルトーン・グリッサンドの入り混じる錯綜の中、ポリリズムとなって ”嘆き” のテーマが朗々と奏されるさまは非常に劇的だ。
Trombone の gliss-up が口火となって引き出された4分音符2つの応答が次々と谺し、最後は痛烈な不協和音のクレシェンドに集約して、壮絶な戦いの描写は締めくくられる。
戦いが終わり訪れた静寂と、そこに射す清らかな光-
Oboe ソロを中心とした美しいアンサンブルはそんなイメージを紡ぎ、ほどなく生命感のある Horn の伴奏にのって華麗な Trumpet ソロが現れて高揚へと導く。

その頂点で、神聖にして雄大な美しい歌が存分に歌われる。
それはあたかも平和を取り戻した天上界の目映い輝きが眼前に現れたかのようだ。その清廉で暖かい音楽が包み込むような感動と安寧を与えてくれる。

舞曲的な律動感を加えた経過句を挟み、より輝きを増した金管群の16分音符を従え一層華やかにこの歌は繰返されるが、やがてふと ”嘆き” のテーマが薄墨のような Clarinet の低音で聴こえてくる。
天上の歓喜とは対照的に、邪悪の権化が落ちてきた地上の不吉を暗示するものか。続いてHorn や Oboe によって奏される哀歌も…。

この暗鬱な雰囲気は、遠くからファンファーレが近づいてきて輝きに満ちたその全容を現し、一旦打払われてしまう。メンデルスゾーンの結婚行進曲を彷彿とさせるこのファンファーレは、神への賛美とミカエルの勝利に対する賞賛を込め、神と天使たちがそのおられる場所へと昇っていく様子を表すものだろう。

しかし、それはあくまで邪悪な竜が排除された「天上」のことに過ぎない。鎮まった音楽は密やかに、そして深みと不気味さを備えた幻想的な表情となり、Trombone が淡々と”嘆き”のテーマを奏し終局へ向かう。
-ミカエルの脳裏には、あの竜が落ちて行った「地上」のこれからのことが過ぎっただろうか。
真摯な祈りをイメージさせつつ、どこか呆然とした不協和音の響きの中、音楽は静かに消えてゆく。
■推奨音源
この楽曲は…例えば ”戦い” の場面は如何に正確であったとしても、淡々と演奏したら全くつまらない。楽曲の魅力を発揮するにはスリリングさや混沌とした情景をどうしたら劇的に表現できるか、突き詰めなければならないのである。
同じプロフェッショナルな楽団の演奏でも聴き比べてみれば、この部分だけをとっても音楽としての説得力に歴然とした差が生じていると感じられる。

秋山 和慶cond.
東京佼成ウインドオーケストラ
の演奏は大変素晴らしい。構成感に優れメリハリの効いた好演であり、楽曲の魅力が充満している。
尚、前半を締めくくる練習番号 6 の2小節前 (116小節目)の Timpani は原曲にはない、指揮者による演出。
相応の効果を発揮しているのは事実と思う。
【その他の所有音源】
フレデリック・フェネルcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
原田 元吉cond. ヤマハ吹奏楽団 (浜松)
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
汐澤 安彦cond. 東京吹奏楽団
丸谷 明夫cond. なにわオーケストラル・ウインズ (Live)
渡邊 和正cond. シエナウインドオーケストラ (Live)
大井 剛史cond. 東京佼成ウインドオーケストラ (Live)
-Epilogue-
さて「天使ミカエルの嘆き」の演奏をめぐっては、私にとって忘れることのできないものがある。私の大学時代である1985年に遡った、関東吹奏楽コンクールでの埼玉県立和光高校の演奏である。
有力校の高校生離れした上手さに舌を巻いていたところ、同高校の出演順となった。
課題曲のマーチは四苦八苦 -懸命に牽引しようとするスネアドラムが可哀相なほど流れが悪い。アクセントでf を奏するたびにぬかるみに嵌ったように重くなるのだ。※
※同校メンバーの方から寄せられたコメントによれば、通常より速過ぎるテンポで始まり動揺してしまったとのこと
残念だが、周りのレベルからすれば銅賞か… このバンドが「天ミカ」みたいな難しい曲をやるのかぁ-と思った瞬間だった。
自由曲「天使ミカエルの嘆き」が始まらんとして指揮者の棒が上がる。バンドの雰囲気がガラリと変わった。 (それがハッキリ判った!)
課題曲とは別のバンドがそこに現れ、序奏部から Euphonium の歌へ緊張の張りつめた音楽が流れ出すそこには、尋常ならざる凄味がある。そして現代的な手法で荒れ狂う Moderatoに入ると、テンションは充分ながらややストイックな演奏に感じられる。もう少し奔放でもいいのに…という思いが頭をよぎったその時だ。
”ミカエルの登場”の場面=練習番号3’ で最後列のブラス群が、それまで譜面台に向けていたベルを一斉に ”カッ” と上に挙げ、鮮烈なコードを響き渡らせる!
そうか!これがやりたかったんだ、こう表現したかったんだ!
-全て納得がいって、その音楽的な説得力に後ろ髪が逆立つ。この上なく感動的な音楽がそこにはあった。
そして緊張を切らさぬ表現豊かな演奏は、弱奏の消えゆく最後の一音まで続いた。「天使ミカエルの嘆き」を語り尽くした演奏はまさに BRAVO!である。
バンドのレベルとしてはごく標準的だったと思うが、そんな彼らのこの曲に懸ける思い、執念が楽曲の内面にまで肉薄し、奇跡的な感動の秀演を生んでいたのである。
コンクールの結果は ”支部大会銀賞” だったけれど、私にとって1985年度関東吹奏楽コンクール高校の部において一番感動した演奏は、間違いなくこの「天使ミカエルの嘆き」だった。
”これほどの感動を、俺らアマチュアでも生み出し得る!”
あの演奏は感動だけでなく、そんな勇気も与えてくれたのである。
<Originally Issued on 2013.7.1. / Revised on 2022.5.19. / Further Revised on 2024.1.6.>
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