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序曲「ルイ・ブラス」

更新日:5月17日

Ruy Blas - Overture to the Stage Work op. 95

F. メンデルスゾーン Felix Mendelssohn-Bartholdy  (1809-1847)


-Introduction-

8才まで重病を繰返し小1の年には大半を通学できずに過ごした病弱の影響か、はたまた子供にとって好きなモノを心のままに好きと言えない (=好きであることを認めない) 親のプレッシャーのせいか…小学校までの私は何一つ本気で好きなものがない、”燃えない” 子供だった。それが中学に進み、吹奏楽と出会い音楽にのめりこんだ-。

そんな私は (ピアノとかではなく) Tromboneを通じて音楽と初めて真剣に向き合い、必要な音楽教育 (ほとんど独学だったが) を受けた。そして今では実にさまざまなジャンルに及ぶ大好きな音楽たちとも、「吹奏楽」を起点に出会いその幅を広げていった。

-そして、大好きなこの序曲「ルイ・ブラス」との出会いも、中学生の時に聴き忘れ得ぬ吹奏楽の名演だったのである。


■作品の背景

✔作曲経緯

ドイツロマン派の大作曲家、フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディが戯曲「リュイ・ブラース」※ のライプチヒ慈善興業にあたり、その上演に先立ち演奏するため1839年に作曲した序曲である。

 

 ※本楽曲の本邦表記は「ルイ・ブラス」が一般的。

一方、ユゴーの戯曲の名称としては「リュイ・ブラース」の方が一般的

 である。 本稿ではそれぞれ一般的な表記を使用し、敢えて統一しないこと

 とした。

 


「リュイ・ブラース」は「レ・ミゼラブル」をはじめとする名作の数々で知られるフランスの文豪 ヴィクトル・ユゴー(Victor-Marie Hugo 1802-1885:左画像)が1838年に著したものだが、実を云うとメンデルスゾーンはこの戯曲が全く気に入らず「恥ずべき作品」「まったくけがらわしく」「まったくくだらない」と母宛の書簡に書き残しているとのこと。(メンデルスゾーンは音楽に関しても辛辣な批評家であった側面を持っていたと伝わっている。)

 



従ってメンデルスゾーンはこの作曲受諾に難色を示したようなのだが、それに対して委嘱者の劇場年金基金側が 「そのような序曲の作曲には確かに時間がかかりますからね…。」という趣旨の理解を伝えたことが、メンデルスゾーンにはカチンときたらしい。

それにあからさまに対抗して、僅か数日のうちにメンデルスゾーンは序曲「ルイ・ブラス」を書き上げてしまったという。


✔戯曲「リュイ・ブラース」

戯曲「リュイ・ブラース」の内容は概ね以下のようなものである。

舞台は16世紀のスペイン。王妃の侍女に”お手付き”したことを咎められ、王妃に追放されることとなったドン・サリュスト侯爵は逆恨みし、王妃を不倫の罪に陥れようと心に誓う。折しも時の王は専ら趣味の狩猟に明け暮れており、政治も王妃も省みることなく、スペインが危機的な状況にあった時代である。

 

そこにドン・サリュストの従兄弟で永く出奔していた放蕩な浪費家、ドン・セザールがやってくる。侯爵は丁度良いとばかりにドン・セザールへ金銭的援助を申出、その代わり王妃に近づき誑し込むようにと持ちかける。

放蕩だが義侠心には厚いドン・セザールがこれを拒否すると、ドン・サリュストは人さらいに命じてドン・セザールを海外に連れ去らせ、代わりに使用人の平民リュイ・ブラースを呼ぶ。そして予て王妃に思慕の情を抱くリュイ・ブラースに対し、貴族 ”ドン・セザール” を名乗って宮中に入るよう命じるのだった。リュイ・ブラースは当惑しつつも王妃への想いを胸に、ドン・サリュストの指示するまま仕官することとなった。


ところがリュイ・ブラースは秘められていた政治的手腕によって宮中でめきめきと頭角を現し、スペインの窮状を救うべく次々と改革を断行していく。今やリュイ・ブラースは宰相ともいうべき地位に登りつめていたが、そこには彼の手腕を評価し、また好意も寄せている王妃の後ろ楯があったことは云うまでもない。まさにリュイ・ブラースは人生の絶頂に居た。 

しかし-そこにドン・サリュストが舞い戻ってくる!

リュイ・ブラースの行った粛清により追放された貴族がドン・サリュストに泣きついたのだ。幾ら誠意と大義を以って務めてきたとはいえ、名前も身分も偽って王妃に近づいたことに変わりはない。謀の仕掛け人にしてその全てを知るドン・サリュストの前では、リュイ・ブラースも蒼白な顔で命令に従うしかなかった。

 

本物のドン・セザールが戻ってきてしまったことによる混乱 もあって行違いも生じ、後日の深夜、思慕を募らせた王妃はドン・サリュストも潜む屋敷にリュイ・ブラースを訪ねて来てしまう。王妃とリュイ・ブラースは決してやましい関係ではなかったが、これでは嫌疑は拭えないとドン・サリュストは迫り、リュイ・ブラースと王妃に国外へ逃避行するよう仕向ける。金銭的に不自由しないよう援助もつけるし、何よりお前は愛する王妃を自らのものにできるのだ-と。今まさにドン・サリュストの復讐は完成しようとしていた。

 

しかし、既にリュイ・ブラースの覚悟は決まっていた。

リュイ・ブラースは王妃を守るため剣を抜きドン・サリュストを殺し、自らも用意してあった毒をあおる。遠ざかる意識の中でリュイ・ブラースは王妃に名や身分を偽ったことの謝罪と、偽りのない王妃への愛を伝える。王妃に許され、遂に王妃から本当の名を呼んでもらえたリュイ・ブラースの最期の声が響き、物語は終幕となる。

…「もったいのうございます!」  


 ※この部分では、お互いが相手の言うことを取違え、”本来かみ合うはずのない対話がなぜか変にかみ合ってし

  まうというユーモラスな場面が続く。(お笑いコンビ「アンジャッシュ」がよくやるあのネタだ。^^)

  作者ユゴー自身、異なるタイプの観客がそれぞれ戯曲に対して抱く期待の全てをこの「リュイ・ブラース」

  に盛り込もうとしたと序文で述べており、まさに「恋あり、冒険あり、陰謀あり、ユーモアあり、しかも

  リュイ・ブラスの男らしい悲恋が中心となった」(三島由紀夫 評)作品となっている。

 

リュイ・ブラースの王妃への愛は、もともと美しく高貴な「一人の女性」に向けられた一般的な恋、情愛と云うべきものだった。しかし徐々にそれを超えて「スペイン王妃」という国家的存在に対する敬愛とそれを守ろうとする想いへと昇華し、リュイ・ブラースは正々堂々と私利私欲のないその愛に殉じた-と総括できるだろう。

 

三島 由紀夫は「『リュイ・ブラス』の上演は、私の永いあひだの夢であつた。」とのコメントを発し本作を激賞している(三島は池田 弘太郎の翻訳に脚色も加えるなどもしており、よほど気に入っていた)が、それはこの戯曲に示された美意識が三島のそれと合致したからであろう。

逆に一方でメンデルスゾーンが嫌気したのも、まさにこのあたりだったかもしれない。

 

尚、小澤 征爾が1959年にフランスのブザンソンで開催された国際指揮者コンクールに優勝し、世界的指揮者への歩みを開始したのは有名だが、その一次予選の課題曲こそが、この序曲「ルイ・ブラス」であった。

はからずや、ブザンソンはヴィクトル・ユゴー生誕の地でもあるのである。


【出典・参考】

 「リュイ・ブラース」-ヴィクトル・ユゴー文学館

 第十巻 杉山 正樹 訳 (潮出版社)

 「メンデルスゾーン 大作曲家」 ハンス・クリスト

  フ・ヴォルフス 著 尾山 真弓 訳  (音楽之友社)

 「リュイ・ブラスの上演について」 

  三島由紀夫全集34  (新潮社)


■楽曲解説

憂いを帯びながらも威厳と崇高さを感じさせ、品格と輝きを放つファンファーレ風のコラールによる Lento で曲は開始される。

 

和音構成やオーケストレーションを都度変えてニュアンスを変化させつつ5回に亘り現れるこの ”ファンファーレ風コラール” は、いずれも管楽器と Timpani のみで奏されるのが特徴的。

 

これに弦楽器がアレグロ・モルトで軽やかに応答し序奏部が形成されている。





3度目の”ファンファーレ風コラール”に続き、いよいよ本格的に Allegro molto の軽快な第1主題が現れ、緊迫感を湛えつつも活気のある音楽が展開していく。


再び ”ファンファーレ風コラール” が現れると長調へ転じ、リズミックな伴奏を従えた第2主題が Clarinetの低音+Fagotto+Cello によってしなやかに、そして抒情的に奏される。

この朗々たる旋律が大変魅力的である。


これに一層快活な第3主題が続き、徐々に力強く奏されていく。


更にこれら3つの旋律を用いた展開部・再現部が続くが、ここでは活力漲るシンコペーションの鮮烈さがとても印象的である。

そして最後の ”ファンファーレ風コラール” を挟み、いよいよ輝かしい終結部へと突き進んでいく。第2主題から第3主題に移りゆく中で、音楽は明快な高揚を発し劇的な光に満ちたクライマックスを形成、堂々たる矜持を示しつつ華々しく全曲を締めくくる。


♪♪♪

 

前述の作曲経緯からすれば、メンデルスゾーンには戯曲の内容を描写的に描こうという意図はほぼなかったと思われる。従ってこの曲の場合「この部分は (戯曲中の具体的な)○○の場面」とか「このパッセージはあの登場人物を表す」といったアプローチはナンセンスだ。

全曲から感じられる最大の印象はやはり”輝かしさ”-ロベルト・シューマンが 「およそメンデルスゾーンらしくない」と評したという "輝かしさ” が、この曲を支配しているのである。

その ”輝かしさ” とは如何なる性格のものか- それは決然たる矜持の美しさというものに由ると私は感じている。


■推奨音源

この序曲「ルイ・ブラス」の演奏においては、何といっても冒頭をはじめ5回現れる管楽器による ”ファンファーレ風コラール” が重要と思われる。ここではサウンドの説得力も必要だがそれだけでなく、4小節間が完全に一つの歌として、抑揚と決して途切れぬ音楽の流れを以って演奏されなければならない。-プロのオーケストラを聴き比べても、これが満足できる水準のものは少ないのだ。

冒頭の ”ファンファーレ風コラール” に続く弦楽器のフレーズも、適切な抑揚をつけながらごく自然な音楽の流れを失わず上向していくのは難しい。わざとらしい、或いはややヒステリックにすら聴こえる演奏までもあるのである。

またオーソドックスな手法を用い品格を保ちながら、明確で躊躇のない高揚感をメンデルスゾーンはセットしており、これを余すことなく表現することが求められていよう。

 

以上の観点から、以下音源をお奨めしたい。

ウォルター・ウェラーcond.

ロイヤル・スコッティッシュ管弦楽団

管楽器のコラールは確りと大きなフレーズとして捉えられ、説得力のある ”歌” となっている一方、これと鮮やかなコントラストを成す快速部分の生命感は特筆もの。

輝かしいクライマックスへの設計も秀逸、お見事!





シャルル・デュトワcond. モントリオール交響楽団

管楽器のコラールが示すサウンドの密度の高さ、なめらかさと芳醇な味わいは他の追随を許さない…まさに BRAVO !

全体の構成感にも優れた秀演。







フランチェスコ・ダヴァロスcond.

フィルハーモニア管弦楽団

こちらも管楽器のコラールは途切れることのない雄大な歌を聴かせてくれる。

全編に亘りスケールが大きくのびのびとして縦横無尽、特に堂々としたクライマックスに輝きが満ちた好演。






【その他の所有音源】

 クラウディオ・アバドcond. ロンドン交響楽団

 エルネスト・アンセルメ cond. スイス・ロマンド管弦楽団

 ネヴィル・マリナー cond. アカデミー室内管弦楽団

 クラウス・フロール cond. バンベルク交響楽団

 クルト・マズア cond. ライプチヒ・ゲヴァンドハウス管弦楽団

 アンドレ・プレヴィン cond. ロンドン交響楽団

 レナード・バーンスタイン cond. ニューヨーク・フィルハーモニック

 フェルディナント・ライトナー cond. ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 アレクサンドル・ガウクcond. ソヴィエト国立交響楽団

 ピエール・モントゥー cond. スタンダード交響楽団

 ニコライ・マルコ cond. フィルハーモニア管弦楽団

 オリヴァー・ドホナーニ cond. スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団

 ニコライ・マルコ cond. フィラデルフィア管弦楽団

 ディミトリ・メトロポウロスcond. ニューヨーク・フィルハーモニック

 モーシェ・アツモン cond. ニューフィルハーモニア管弦楽団

 カール・エリアスベルク cond. レニングラード・フィルハーモニー交響楽団

 ジョン・ネルソン cond. パリ管弦楽団

 アンドリュー・リットン cond. ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団

 トーマス・ビーチャム cond. ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

 ルドルフ・ケンペ cond. ロンドン交響楽団

 ハンス・ゼンダー cond. 南西ドイツ放送交響楽団


-Epilogue-

私がこの序曲「ルイ・ブラス」と出会ったのは1979年の全日本吹奏楽コンクールに於ける阪急百貨店吹奏楽団の演奏であった。

この年の阪急百貨店吹奏楽団は課題曲 「朝をたたえて」 の突き抜けた秀演があまりにも高名。その理屈抜きに楽しく、爽やかで素晴らしい演奏が、しかもコンクールという制約のある場面で堂々と提示されていることが、当時中学3年生だった私を包む息苦しい霧を晴らしてくれたのだ。吹奏楽の楽しさを私に再認識させてくれたあの「朝をたたえて」は、私のその後の音楽観自体にも決定的な影響を与えたのである。

そして自由曲・序曲「ルイ・ブラス」も実に素晴らしかった!第2主題が始まり、阪急百貨店の誇る卓越した Euphonium の魅惑の音色と豊かな歌が流れ出すや、そのあまりの見事さはこの上ない感動をもたらした。

もちろん ”吹奏楽の魔術師” 鈴木 竹男氏が創り上げた楽曲全編に亘る訴求力も申し分ない。


殊にコンクールという場面で、この年の阪急百貨店の演奏ほど音楽的な魅力を感じさせるものに出会えることはそうそうない。

繰返しになるが、当時文字通り全身全霊を込めて臨んだコンクールにて大きな蹉跌を受け、絶望に近い感覚を覚えていた中学3年の私に、吹奏楽のそして音楽の決して離れ難い魅力を改めて認識させてくれたのが、まさにこの演奏だったのだ。

序曲「ルイ・ブラス」は初めて聴いたあの瞬間から、私にとって生涯忘れ得ぬ一曲となったのである。

 

尚、同年バンドジャーナル誌のインタビューで、鈴木 竹男氏はコンクールでの演奏が「ミスなくソツなくおもしろくなく」という傾向にあることへの憂慮を表明している。

これは全くその通り且つ現在でも当て嵌まる指摘だと思う。

(バンドジャーナル1980年1月号記事)

加えて昨今の状況から私が危惧するのは、そういった「ミスなくソツなくおもしろくなく」の演奏が「おもしろくなく」とキチンと捉えられているのだろうか?という点である。

コンクールにて評価を受けたとはいえ実態は魅力の乏しい演奏を「良い演奏、良い音楽である」と鵜呑みにし、盲信/妄信することに陥ってはいないだろうか、と。


-そのようなことは絶対にあってはならぬのである。

 


<Originally Issued on 2014.4.4. / Revised on 2023.11.13.>

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