Overture in C C.S.カテル Charles Simon Catel (1773-1830)
-Introduction-
私がこの 「序曲 ハ調」 を知ったのは、この曲が好きになるずっと以前である。しかしながら中高生時代の私は刺激の強い現代的手法の曲に興味をそそられていたし、或いはフランス近代曲のモダンさや豊かな色彩感に魅了されてもいたので、こうした古典の典型という楽曲の良さがまだ全然解っていなかった。そのため 「序曲 ハ調」 にも正直言って些か物足りなさを感じていたことは事実である。
しかし、1981年の全日本吹奏楽コンクール実況録音で聴いた基町高校の演奏に驚かされ、以後「序曲 ハ調」は大好きな曲になった。
この年の高校の部は極めてレベルが高く、天理「オセロ」をはじめとして福工大附属「民衆の祭りのためのコラール」、磐城「中国の不思議な役人」、嘉穂「ガイーヌ」、川本「皇帝サルタンの物語」など歴史的名演が相次いだ。
中国支部の名門である基町高校は一貫してクラシカルな作品を自由曲に採り上げてきていたが、この年は更に古風極まる 「序曲 ハ調」 で全国大会に進出、見事金賞を射止めたのだ。その選曲はもはや異彩を放っていたと云えよう。
このタイプの楽曲でコンクールに挑むのは今も当時も大変勇気が必要だと思うし、ましてや結果を残すのは難しいので洵に畏れ入るばかりである。何の衒いも通用せず。ひたすら美しい音色とサウンド、強弱のコントラストやクレッシェンド・デクレッシェンドの丁寧な変化、各フレーズのニュアンスに富んだ表現で聴かせるしかないこうした古典楽曲を隅々まで表現し切り、楽曲の魅力・愉しさというものを存分に伝えてくれた。音楽的には最も難しいチャレンジを成し遂げた演奏といって良い。
そうした同校の想いのこもった丁寧な演奏が、コンクールという特殊な場であっても、その常識や思い込みを覆した瞬間であったと思う。
■作曲者カテルと「序曲 ハ調」の誕生、再評価
✔作曲者カテル
シャルル・シモン・カテルは、ベートーヴェンと全く同時代に活躍した、古典派に属するフランスの作曲家である。
カテルは歌劇・交響曲・室内楽の他、管楽器のための作品も多数遺したことが知られているが、これは師であるゴセック(Francois Joseph Gossec 1734-1829) とともに18世紀末のフランスでフランス革命直後に創設されたパリ防衛軍軍楽隊に関与したことに関係している。同団の指揮者であったゴセックの下、弱冠17才にして同軍楽隊の副指揮者に就任していたのである。
パリ防衛軍軍楽隊は1795年に解散、ゴセックとカテルは共に同年に設立されたパリ・コンセルヴァトワールで教鞭を執ったが、カテルの和声学教本はその後永きに亘りフランスに於けるスタンダードとなったという。
✔「序曲 ハ調」の作曲経緯とその位置づけ
この 「序曲 ハ調」 もパリ防衛軍軍楽隊のための作品で、1792年に作曲されている。
当時活躍していた古典派作曲家は屋外演奏編成の楽団であるこのパリ防衛軍軍楽隊のために “吹奏楽の源流” というべき作品を書いていて、そのうち、ゴセック「古典序曲」(1795年)、メユール「序曲へ調」(1794年)、そしてこのカテル「序曲ハ調」が現在でも演奏されているものとなっている。
このパリ防衛軍軍楽隊1795年に解散したが、その源流は名門 「パリ警視庁音楽隊」 ※へと受け継がれた。パリ警視庁音楽隊の結成はあくまで1919年にパリ7区と18区の警察官ならびにアマチュア音楽家を集めた 「パリ第7区音楽ユニオン」 の設立が起源ではあるのだが、パリ警視庁音楽隊自身も、ゴセックとカテルが創立したパリ防衛軍軍楽隊を更に遡った源流として認識していたのである。
【出典・参考】世界のお巡りさんコンサート公式HP
※パリ警視庁音楽隊(The Musique des Gardiens de la Paix)
ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団とともに、伝統と実力を備えたフランスの誇る名門バンド。
特に1954-1979年に隊長を務めたデジレ・ドンディーヌ(Desire Dondeyne 1921-2015) の時代に長足の進歩を遂げ、幾多の名演を遺している。
✔発掘された「序曲 ハ調」とその再評価
その後、この 「序曲 ハ調」 は忘れ去られていたが、ゴールドマン・バンド※ の指揮者リチャード・フランコ・ゴールドマン (Richard Franko Goldman 1910-1980) によって発掘されるのである。
そしてリチャード・フランコ・ゴールドマンはその助手ロジャー・スミス (Roger Smith) とともに現代の編成に改訂し、1953年にゴールドマン・バンドにてアメリカ初演。これ以降、「序曲 ハ調」 は広く知られる作品となった。
※ゴールドマン・バンド( The Goldman Band )
エドウィン・フランコ・ゴールドマン ( Edwin Franko Goldman 1878-1956 ) によって1918年に創設されたアメリカのプロフェッショナル・バンド。そのルーツは1911年のニューヨーク・ミリタリーバンドに遡る。
創設者にして指揮者であったエドウィンの死後は、これを息子リチャードが引継ぎ、ゴールドマン・バンドは1980年まで活躍を続けた。優れた演奏で知られた同バンドだが、その最大の功績は何といっても吹奏楽界に素晴らしいレパートリーを数多く遺したことであろう。
オットリーノ・レスピーギ、モートン・グールドやポール・クレストンといった著名な作曲家たちへの委嘱作品は多く、これらがオリジナル曲の極めて重要なレパートリーとなっているとともに、エリック・ライゼン(Eric Leidzen)など名アレンジャーも擁し、クラシック曲のトランスクリプション・レパートリーも次々と開拓した。
さらに「序曲 ハ調」「古典序曲」「トロンボーン協奏曲 (リムスキー=コルサコフ)」 などの埋もれた吹奏楽レパートリーの発掘・再評価も実施。そしてもちろん、ゴールドマン親子自身は作・編曲家としても活躍し、マーチを中心に( 「木陰の散歩道」など) 素晴らしい作品を多数遺している。
吹奏楽界への貢献は、本当に測り知れない。
(リチャード・) ゴールドマンとスミスにより改訂された 「序曲 ハ調」 はモーツァルトの影響が色濃いとされるその曲想の本質に立ち返り、おそらく原曲よりもダイナミクスについてはより幅広い設定とその細やかな変化を施すとともに、室内楽的な響きやニュアンスを織り込んだ部分も作り込んでいる。更には Saxophone を活用した音色の工夫などにもよって、繊細さや典雅さも加味した、また新たな姿を現したものと推定される。
デジレ・ドンディーヌcond. パリ警視庁音楽隊による1962年の録音(左画像)があるのだが、こちらの演奏ではカテルの作曲した原典に近い楽譜を用いたと思われる。
これを聴くとゴールドマン=スミス版とは明らかにオーケストレーションが異なっている。
もっとシンプルで無骨な音楽/演奏となっていて、楽曲全体のイメージも異なっていると感じられるのである。
■楽曲解説
カテルの歌劇「セミラミス」や「レ・バヤデール」の序曲などは現在でも聴くことができるのだが、正直強く心に響く印象を与える音楽とまでは言い難い。オックスフォードオペラ大辞典には 「いくぶん貧弱で、進取の気性には富むものの創造性には欠ける」 との指摘もある。
ただし彼の最高の作品とも称されるこの 「序曲 ハ調」 は、優雅で明快な曲想で広く愛されている。18世紀終盤という時代において吹奏楽のために書かれた作品として、最も楽しいものの一つにも数えられているのである。
曲は緩徐な序奏のついたストレートなソナタ形式に成り、前述の通りモーツァルトの影響が明確であるとも評されるが、吹奏楽のレパートリーとしてこうした古典的な味わいの深い楽曲は大変貴重である。
【出典・参考】コンデンス・スコア所載の楽曲解説
Larghetto の序奏は緊迫した表情である。Cmに始まり G、 A♭とハ短調の固有三和音を全合奏で堂々と響かせていく。
これに安寧でしなやかな曲想が続き、序奏を形成している。
密やかな pp で、しかし活気を帯びて始まる Allegro Vivaceの主部は 、木管群の軽やかな第一主題の透明感が印象的。終始気品を失わない音楽である。
Oboe に現われる第二主題がまた可愛らしい!
第一主題からこの第二主題をつなぐブリッジではこの第二主題のモチーフと軽快な8分音符の対比が用いられ、木管群のスピーディな16分音符とシンコペーションの楽句でブレイクとなる。確りとした形式を辿っていく 「序曲 ハ調」 にあって、このフレーズは後半の再現部においても実に効果的に使用されている。
全合奏による典雅な前打ち・後打ちの応答を経てクライマックスへ。
Trumpet + Horn + Trombone のファンファーレ風楽句で締め括られる高揚とは音量もニュアンスも対比的な木管の落着いたフレーズにとても品がある。
3オクターブに亘るユニゾンのE音が全合奏で荘厳に鳴り響き展開部へ。2度繰返されるこの澄み切ったE音の響きは大変印象的である。
続いて第一主題の再現と更なる展開部となるが、たおやかなで繊細な室内楽的木管アンサンブルも聴かれる。この部分では特にクラシカル・サックスの優美で妙なる音色が映える。※
※リチャード・フランコ・ゴールドマン自身の演奏では、この部分でAlto Sax. が存分に歌い高い存在感を示
しており、改訂編曲において彼が重きをおいていたところであることが感じ取れる。
この可憐な楽想に続き、それとは対照的に短調の不安げで不穏なムードのモチーフの応答によって高揚し、また楽曲に変化をつけているのが素晴らしい。
その深刻なムードから再び天真爛漫な第二主題の再現へと転じ、G.P. を挟んでクライマックス部が再現されて終結部に向かう。
最後は全合奏でCの和音が華々しく連呼され、全曲を閉じる。
■推奨音源
ジョン・R・ブージェワーcond.
アメリカ海兵隊バンド
伝統ある実力派バンドの快演。
緩急のメリハリをくっきりつけた明解な演奏で、活気に溢れた音楽となっている。
充実した低音群のサウンドも抜群!
フレデリック・フェネルcond.
東京佼成ウインドオーケストラ
主部(Allegro Vivace)も落ち着いたテンポ。
各楽器の音色は卓越しており、よく歌う演奏。
汐澤 安彦cond.
フィルハーモニア・ウインドアンサンブル
発奏がこの曲に関しては硬質過ぎ、サウンドも纏まりを欠くところがあり残念だが、テンポや解釈はオーソドックスで手堅い。
ゴセックの 「古典序曲」 も収録。
リチャード・フランコ・ゴールドマンcond. ゴールドマン・バンド
改訂編曲者自身による自作自演盤。
原曲をより現代的に、また野外演奏の観点による制約から解放して古典派音楽の魅力を追求した編曲の狙いが発揮された演奏。Alto Sax.の優美な音色も発揮されている。
CD化されていないのが非常に残念!
-Epilogue-
前述の通り、この 「序曲ハ調」 のようなタイプの楽曲は本来の ”私の好み” からは離れている。
しかしこの曲の素敵さに気付かせてくれた演奏に出会って以来は大好きになり、ぜひ実際に演奏もしてみたいと願っている。
吹奏楽においてこの 「序曲 ハ調」 やゴセックの 「古典序曲」 のような楽曲の世界観と響きにどっぷりと浸かることは貴重な機会であり、ぜひそれを楽しみたいのだ。
聴く方にとってもまた違った吹奏楽の姿を見ることになるのではないだろうか?
<Originally Issued on 2008.4.18. / Revised on 2010.4.25. / Further Revised on 2024.1.20.>
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