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歌劇「運命の力」序曲

更新日:5月18日

La Forza del Destino, Sinfonia  G. ヴェルディ  Giuseppe Verdi (1813-1901)


-Introduction-

                              (マリインスキー劇場による「運命の力」上演)

19世紀オペラの巨匠、ジュゼッペ・ヴェルディが生涯で手掛けた歌劇は28作※ にのぼるが、その中で最も充実した序曲を擁すと評されるのが「運命の力」(1862年初演、1869年改訂版初演)である。

 ※「ヴェルディ -作曲家 人と作品」(小畑 恒夫/音楽之友社)」による


■この曲との出遇いは、吹奏楽の「伝説の名演」

名作として単独で採り上げられることも多いこの 歌劇「運命の力」序曲 は、吹奏楽界も席巻した。早くからケント=レイク編曲版が入手し易かったこともあり、吹奏楽コンクールの自由曲として盛んに採り上げられたのだ。全日本吹奏楽コンクールでは早くも1961年から登場し、1970-90年代には 「シチリア島の夕べの祈り」 「ナブッコ」 の両序曲ともども、全部門に亘るコンクールの定番曲となっている。


遺された数多い名演の中で、断トツで頂点を極めたとされるのが 1977年 木村 吉宏 編曲 得津 武史指揮 今津中学校吹奏楽部 の演奏である。

※左画像:同演奏の収録CD


前年には、名門として想像もし得なかったであろう ”銅賞” に甘んじた得津=今津が、その底力を発揮し圧倒的な演奏で復活を遂げた、名演中の名演だ。 当時、私は中学1年で吹奏楽と出遇ったばかりであったが、ライブ録音を聴いてまさに衝撃を受けた。


…凄すぎる!

今聴いてもその完成度の高さ、そして音楽的魅力には”感動”の一言しかない。国際的な水準と評されたハーモニーはもちろん、清冽なサウンドそして各フレーズどころか各音一つ一つまで充実した質感、隅々まで神経の行き届いた曲作りは奇跡的であり、吹奏楽の可能性を限界まで示した演奏とも云える。これが、中学生の演奏とは全く信じられない!


この今津中の演奏では編曲は原調の半音上である (このアイディアが非常に成功している)。

楽器配置が特異なのもずっと印象に残っていた。編成には特殊楽器が入っていたのでは…とずっと思っていたが当時の今津中関係者が公開した写真によってアルトホーン(テナーホーン)とフリューゲルホーンを加えていることが判った。

写真から推定される編成は左記の通りである。



楽曲を掘下げに掘下げた結果、求める音響はあの編成と配置に帰結したのだろうか…。


 ※バンドジャーナル誌(1978年1月号)所載の審査員講評

  汐澤安彦 (今津中) 保科洋 (高校の部で「運命の力」を採上げた2校)


■作曲者 ジェゼッペ・ヴェルディ

ヴェルディの評伝を読むと、謹厳実直にして誇り高く、頑固なまでの強靭な意思を持つ情熱的な人物像が浮かびあがってくる。一方で利に聡く、自作の ”著作権” を確保したり、農場経営でも成功を収めるなど、実業感覚も持ち合わせていたことでも知られる。


遺された数々の名作からヴェルディの音楽的才能は疑いないが、酒場を兼ねた宿屋の倅である彼は、必ずしも音楽的に恵まれた環境の下に生まれたわけではない。自己流のピアノ奏法と年齢の高さが災いしてミラノの音楽院受験に失敗したエピソードは有名だ。

 


それでもヴェルディは富裕商人 (後の義父でもある) アントニオ・バレッツィの支援を得てその才能を開花させていくのであるが、彼にとって修行時代、そして音楽家として駆出し当初の金銭的な苦労は相当なものだったらしく、それを嫌気する思いは強かったようだ。彼は”稼ぐ”ために、当時まさに流行音楽そのものであったオペラの世界で音楽を書きまくり、後に自身が「苦役の年月」と称した日々を過ごすことになる。

 

またヴェルディは、若くして (25-27歳) 甚大な精神的ダメージも受けている。生まれたばかりの子供2人を次々と亡くし、さらに最初の妻マルゲリータにも先立たれてしまう。さらにその極限の状況下で作曲した2作目のオペラが強烈な酷評を浴び、大失敗に終わるのである。これがヴェルディに悲観主義をもたらすとともに、”世間” というものへの不信感を(後の成功により薄まりはしたものの)、彼の根底に置き続けることになったように感じられる。

それはまた一方で、ヴェルディに ”信念” を確りと形成させることともなっただろう。そんなヴェルディを救ったのも、やはり音楽だった。続く第3作 「ナブッコ (ナブコドノゾール)」で彼は見事に甦り、オペラ作曲家としての地位を揺るぎないものにしたのである。


「ナブッコ」のシナリオこそは、彼に天啓を与えたとされる。

 なぜかわからないが、視線は開いたページに釘づけになり、目にこんな詩句が映った。

 ”行け、我が想いよ、金色の翼に乗って”

 続く言葉に目を走らせて、私はそこから大きな印象を受けた。

                         -ヴェルディの回想:小畑 恒夫氏の訳による

 

フランスやオーストリアの属国とも云える状態で分裂していた当時のイタリアは、その統一と独立に向け民族主義的な気運が高まっていた時代であった。「ナブッコ」はその気運にも乗って※ 熱狂的な支持を得たし、ヴェルディの作品でいえば後の「レニャーノの戦い」なども、同様の気運に乗って支持を得たものである。

  ※「 虐げられたユダヤはイタリアだ。傲慢な王ナブッコが君臨するバビロニアはオーストリアだ。」

                   -「ヴェルディ -作曲家 人と作品」(小畑 恒夫 著/音楽之友社)」p50より

 

音楽家の成功は、時代の要求と合致した時にこそ訪れる。

それと同時に、その才能と音楽を理解し金銭的また精神的に支援する人々が存在してこそ、開花の時を迎えることができるのだ。

ヴェルディの場合もスポンサーであり続けたバレッツィ、失敗してもチャンスを与えたミラノ・スカラ座支配人メレッリ、そしてマルゲリータならびにジュゼッピーナ・ストレッポーニという2人の妻をはじめとする人々が、彼自身とその芸術の誕生とに大きな支援を与えたのである。

 

本稿で採り上げた歌劇「運命の力」は、ヴェルディ48-49歳の作品。

既に充分な成功者であり、(本意ならずも) 推されて国会議員にもなっていた。その2年ほど前にはストレッポーニとの再婚も果たしており、公私ともに充実を極めた中で、純然たる音楽創作の興味の中から誕生した楽曲と位置づけられよう。

【参考:出典】

「ヴェルディ -作曲家 人と作品」

      (小畑 恒夫 著 / 音楽之友社)

「ヴェルディへの旅」

(木之下 晃・永竹 由幸 著 / 実業之日本社)

「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」

        (加藤 浩子 著/東京書籍)




■歌劇「運命の力」について

✔概括

歌劇「運命の力」は、ロシア帝室歌劇場(現・マリインスキー劇場)のために創作され1862年に初演されている。この初演版は最後に主人公も自殺し、主要登場人物がみな死んでしまうという陰惨な内容であった。

ヴェルディ自身もこの暗鬱なエンディングを変更したいと考えていたため後に自ら手を入れ、主人公が自殺に及ばず終幕となるエンディングへと変更された改訂版が1869年に初演されている。

そして、この1869年の改訂時に初演版「前奏曲(Preludio)」を拡大し書き改めて現在の 「序曲 (Sinfonia)」が完成している。

初演版「前奏曲」は3分強と「序曲」の半分の規模であり、陰惨極まるエンディングを持つ初演版の内容に呼応して、暗鬱なダウンエンディングで閉じる簡潔な楽曲となっている。


✔歌劇「運命の力」あらすじ (1869年改訂版)

原作:アンヘル・デ=サーヴェドラ 「ドン・アルヴァーロ、または運命の力」

 台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ  改訂版台本:アントニオ・ギスランツォーニ


18世紀中頃のスペイン/セヴィリャ。カラトラーヴァ侯爵の娘レオノーラは恋人ドン・アルヴァーロと駆け落ちしようとしていた。侯爵はアルヴァーロをインカの血統として忌み嫌っており、二人の結婚を認めようとしないためである。ところが、いよいよ家を出ようとしたところで、二人は侯爵に見つかってしまう。

アルヴァーロは侯爵に逆らうつもりはないことを示すため、所持していたピストルを床に投げ捨てるが、あろうことかそれが暴発して銃弾は侯爵に命中し、侯爵は息絶えてしまう。

 

二人は離れ離れに逃げ、お互いに相手は亡くなったと思い込むが、レオノーラの兄/ドン・カルロは復讐の鬼と化して二人を追跡する。イタリア戦線への兵隊募集をしている村で、(男装していたにもかかわらず) レオノーラは危うく兄に見つかりそうになるが、何とか逃れて山上の修道院を訪ねる。

その村で耳にした兄の話からアルヴァーロが生きていることを知り、そして”アルヴァーロは私を棄てた”と思込み絶望したレオノーラは、修道院のグァルディアーノ神父に真実を告白し、贖罪のため山の洞窟で独り、隠者としての生活に入る。

 

この後、イタリア戦線へ各々参戦したアルヴァーロとカルロは偶然に出会い、互いの素性を知らぬまま厚い友情を結ぶこととなる。ところが、負傷したアルヴァーロがレオノーラの肖像画が入った小箱をカルロに託したために、カルロはこの親友こそが、仇であるアルヴァーロだと知ってしまう。

カルロはアルヴァーロに決闘を挑もうとする。

アルヴァーロは決闘を避けるため修道院に身を隠すが、5年後に居場所を突き止めたカルロが現れ、決闘を迫る。決闘に勝利したのはアルヴァーロであり、カルロは深手を負う。アルヴァーロはカルロの最期の告白を聞き看取ってもらうため、付近に住む隠者を捜し洞窟へ入る。…何ということか、その隠者こそはレオノーラであり、二人は劇的な再会を果たすのだった。

 

しかし、事情を知ったレオノーラが兄/カルロに駆け寄ったところ、カルロは最後の力を振り絞って妹を刺し、レオノーラとカルロは二人とも死んでしまう。

絶望するアルヴァーロをグァルディアーノ神父は慰め、死んでゆくレオノーラのために祈りを捧げる。

 

( 尚、初演版ではここでアルヴァーロが人間の存在を呪いつつ、岩場から身を投げて自殺し、終幕となる。 )


【参考音源/資料】

フランチェスコ・モリナーリ=ブラデッリcond.

サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団

レオノーラ : レナータ・デバルディ

ドン・アルヴァーロ :マリオ・デル・モナコ

ドン・カルロ : エットーレ・バスティアニーニ

グァルディアーノ神父 :チェーザレ・シエビ




トゥーリオ・セラフィンcond.

ミラノ・スカラ座管弦楽団


レオノーラ : マリア・カラス

ドン・アルヴァーロ :リチャード・タッカー

ドン・カルロ : カルロ・タリアブエ

グァルディアーノ神父 :ニコラ・ロッシ=レメーニ




✔歌劇「運命の力」とヴェルディ

そもそも「運命の力」はその台本自体、重要な出来事が幕間に起こることも多く、判りにくいとされている。それでも悲劇の集積であるこの「運命の力」に対し、ヴェルディはそれまでの作品と比較しても、ひときわ劇的で雄弁な音楽を付しているという。


「(”運命の力”を歌う歌手は) 魂を持ち、言葉を理解し、その意味を表現しなければならない。」

ヴェルディはそうコメントし、この歌劇に多くの新機軸を盛り込んで、更に新しい道に踏み込んだとされる。それは (動機の一つとはされているが) 単に招かれたロシアの歌劇団に所属する歌手に惚れこんだ、などといったことではあるまい。

きっと成功者のヴェルディも、自分とはまた違うやり方で歌劇というものを発展させ続ける精力的なワグナーをはじめとした、同世代や後進の才能を強く強く意識していた※ のだと思う。それが、音楽的に新たなチャレンジ(既成功者の ”創作意欲” はここに在る)へとつながったということではないだろうか?

「運命の力」 でまた自らの音楽の次元を押上げたヴェルディは、これより先、円熟期にかけて「レクイエム」「アイーダ」「オセロ」「ファルスタッフ」といった名作をまだまだ送り出していく。

「運命の力」はまさに ”成功者のリスタート” となった作品と云えるかもしれない。

 

 ※ヴェルディはタンホイザー序曲を聴いた際、ワグナーの才能自体は評価しつつ、楽曲には批判的なコメントを

  した記録がある。しかし一方、ワグナーが逝去した際には大変な嘆きようであったことが伝わっており、ワグ

  ナーを相当意識していたことが窺える。


 【参考:出典】

「ヴェルディ -作曲家 人と作品」(小畑 恒夫 著/音楽之友社)

「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」(加藤 浩子 著/東京書籍)

「名曲解説全集 」(永竹 由幸 著/音楽之友社)


■楽曲解説

歌劇「運命の力」序曲は前述の通り1869年の歌劇「運命の力」改訂時に合わせて完成している。3分強であった初演版「前奏曲」を凡そ倍の長さに拡大し書き改めたものである。


序曲の冒頭は初演版と変更なく、金管群(+ Fagotto)のユニゾンによる3つのE音が、2度繰り返されて開始する。


「運命」を暗示するかの如きこの楽句は、歌劇中の第2幕冒頭に響きわたるものである。

続く弦楽器の旋律は、オペラ全体を通じて用いられている ”運命の主題”

“ agitato “ という発想記号にこれほど相応しい音楽もない。まさに、心が泡立つような不安が示されている。

 

冒頭が再現された後、Oboe、Clarinet、Flute により美しくも悲痛な旋律が歌われる。

これは第4幕、アルヴァーロとカルロの二重唱の場面から採られている。

決闘を迫るカルロに対しアルヴァーロが「兄弟よ、許してくれ」と哀願する旋律であり、これに対しカルロが「お前は妹を奪い、汚し、捨てた」と罵る旋律でもある。

 

G.P. を挟んで密やかな ppp から美しく清らかな旋律が湧き起こる。

第2幕第2場、山上の修道院に辿り着いたレオノーラが聖母に許しと憐れみを請う「憐れみの聖母」の場面で歌われる、有名なアリアである。

逃亡生活の果て、アルヴァーロに棄てられたと思い込み絶望の悲しみから聖母にすがるレオノーラの心情が迫ってくるのだ。


これが高揚し実に幅広い音楽となって、遂にダイナミクスと緊迫感が極まる。

激しくスピード感の高い弦のパッセージが決然と仕舞うと、前半に登場したアルヴァーロとカルロの二重唱が再現されるブリッジへ。

ここで今度は Clarinet、Oboe、Flute が相次いでソロにてモチーフを奏し、変化と抒情を与えているのが見事である。

 

再び G.P. を経てここから後半に入り、ハープの伴奏で Clarinet が艶やかに歌いだす。

山の洞穴で独り神に身を捧げる生活をしたいとする懇願を、グァルディアーノ神父に認められたレオノーラが、それに感謝し神を賛美する歌である。(第2幕最終盤)


続いて金管楽器のファンファーレ風楽句と弦楽器が応酬し、スピード感とともに音楽は高揚するが、その瞬間にすぅっと力の抜けた高貴なコラールが現れる。

まさに絶妙なコントラスト!


これも第2幕第2場から採られたもので、グァルディアーノ神父が神を讃えつつレオノーラの望みを叶えることを報告する讃歌である。



この安寧なコラールに切り込む弦楽器の鋭いカウンターが対照的で印象深く、楽曲に緊張感を与えるとともに歌劇の内容を暗示し続けるものでもある。

 

続いて「運命の主題」が光に満ちたものに姿を変えて現れ、放射状に力強くなっていくが、その頂点で全合奏により「憐れみの聖母」のアリアが高らかに輝かしく奏される。

これぞ全曲のクライマックスだ。

悲劇性を極めたこの歌劇だが、序曲はその内容に拘り過ぎることなく、ここから終局に向って一層リズミックで響き豊かなスケールの大きな音楽となり、堂々たるエンディングとなって締めくくられる。


■推奨音源

激しい情熱と気品、険しい表情と喜びの高揚- この序曲に存在する二面性を確りと、しかし決してわざとらしくなく表現した演奏が望まれる。

この観点から以下音源をお薦めしたい。

クラウディオ・アバドcond. ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

テンポ設定の適切さ、コントラストの見事さをはじめ、全てが”良い塩梅”。

ダイナミックだが繊細な、優れたオケによる均整の取れた秀演。







クラウディオ・アバドcond. ロンドン交響楽団

同じアバドの指揮だが、より情熱的に奏される。

クライマックスで記譜よりオクターブ上げて奏させた、Trumpet の輝かしいテンションはその象徴。









ジュゼッペ・シノーポリcond.

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

しっとりとした印象の中に、激しさ、そして一本芯の通った強さとが込められた演奏。









セルジュ・チェリビダッケcond.

ミュンヘン・フィルハーモニー交響楽団 (Live)

全てにおいて “濃い” 演奏。

歌い方も実に濃いので好き嫌いが分かれそうだが、充実し高密度なサウンドと、音楽の太い流れは説得力に富む。






ワレリー・ゲルギエフcond.

キーロフ歌劇場管弦楽団

レオノーラ:ガリーナ・ゴルチャコワ

ドン・アルヴァーロ:ゲガム・グレゴリアン

ドン・カルロ:ニコライ・プーティリン

グァルディアーノ神父:アスカル・アブドラザーコフ

歌劇「初演版」全曲を収録、序曲も原型である ”Preludio” 版が聴ける。




【その他の所有音源】

リッカルド・ムーティcond. ミラノ・スカラ座管弦楽団

チョン・ミュンフンcond. ローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団

フランチェス・コモリナーリ=プラデッリcond. サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団

アルトゥーロ・トスカニーニcond. NBC交響楽団

トゥーリオ・セラフィンcond. ミラノ・スカラ座管弦楽団

アンタル・ドラティcond. ミネアポリス管弦楽団

ゲオルグ・ショルティcond. コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団

ジーノ・マリヌッツィcond. イタリア放送トリノ交響楽団

指揮者不詳/ロンドン・フィルハーモニア管弦楽団

ディミトリ・ミトロプーロスcond. フィレンツェ市立歌劇場管弦楽団

リコ・サッカーニcond. ブダペスト・フィルハーモニック管弦楽団

ビストリック・レズーチャcond. スロバキア室内管弦楽団

ルカーシュ・カリティノスcond. ヴェネト州フィルハーモニー管弦楽団

アーサー・ウィノグラードcond. ロンドン・ヴィルトゥーゾ交響楽団

ヘルベルト・フォン・カラヤンcond. ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ロリン・マゼールcond. クリーヴランド管弦楽団

ジュゼッペ・シノーポリcond. フィルハーモニア管弦楽団

イゴール・マルケヴィチcond. ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

トーマス・シッパーズcond. コロンビア交響楽団

カルロ・マリア・ジュリーニcond. フィルハーモニア管弦楽団


-Epilogue-

この著名な歌劇の名序曲を私に出遇わせてくれたのは「吹奏楽」だった!

とびっきりの名演が楽曲の魅力を最大化して私に伝えてくれたのだ。その今津中の素晴らしい演奏こそが、まさに私を音楽にのめり込ませる甚大なファクターであったことは疑う余地がない。


旧ココログ版の本記事には、当時の今津中メンバーの方もコメントを寄せて下さった。

「この年、1st コロネットで演奏いたしました。前年に銅賞となってしまい、今津中学校吹奏楽部の歴史に汚点を残してしまいました。絶対に日本一になってやる!と部員全員が思い、一に練習、二に練習と限界を超えるまで練習いたしました。その結果、金賞に輝き、全員で涙した記憶がございます。ユーチューブで当時の演奏を聴き、青春時代を懐かしく思っております。」

今津中の皆さんの想いと努力は、高次元な音楽となって衝撃的に私に伝わったのだ。

今聴いても決して色褪せぬ感動の演奏に、心から感謝したい。

 

 

      <Originally Issued on 2010.3.8. / Revised on 2013.6.3. / Further Revised on 2023.11.7.>



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1 Comment


Guest
Nov 07, 2023

得津さん 今津中コンビの中でも この演奏は 際立っていますね 海外軍楽BANDの演奏3~4演奏と比較しても 劣らないというか 勝っている 感動を与える演奏です ありがとうござます

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