Chant and Jubilo W.F. マクベス William Francis McBeth (1933 - 2012)
-Introduction-
The Right Choir of chanters during the Divine Liturgy at the Transfiguration of Christ’s Cathedral, Kallithea, Athens (GREECEJAPAN.COM より)
改めて申上げることでもないが、記録/再生はできても時間とともに提示され、刹那刹那に消え行き全く同じものは二度と存在しない時間芸術である「音楽」演奏において、ライヴ=本番というのは実に特別なものである。
練習では常に完璧に出来ていてもまさに「水もの」の本番では全く上手くいかないこともあるし、逆にずっと苦労していたソロがなんと本番で一番いい出来になったり…といったことも頻繁に起こるのだ。練習や企画などの「過程」も大切であり有意なことは間違いない。だが音楽というものがその提示される瞬間である「ライヴ=本番」こそが全てというシビアな本質を持つことは、紛れもない事実である。だからこそ「ライヴ=本番」はドラマティックであり音楽の楽しさの極みであるわけだが、そこでの”失敗”はときに演奏者をいたく傷つける。
しかし音楽演奏を楽しんでいくのなら「ライヴ=本番」で失敗し意気消沈したとしても、それを乗り越え楽器に(音楽に)対峙していくしかないことを悟り、再び努力し挑戦を続けていくしかないのである。音楽演奏の最大の愉しみ、喜びは「ライヴ=本番」に尽きるものであるし、つくづく ”音楽で受けた傷は音楽でしか癒せない” のだから。
音楽演奏に取組む者にとって、そうした「ライヴ=本番」において ”初めて” は、また特別なものだろう。私にとっての ”初めてのライヴ” は昭和52年(1977年) 8月6日、大分文化会館大ホールにて開催された大分県吹奏楽コンクールのステージだった。
それまでの人生では音楽というものにほぼ興味がなく、4ケ月前に初めて Trombone を手にした中学1年生の私。そんな私が迎えた ”初めてのライヴ” はいきなりコンクールの本番だったわけだ。入部してから一度たりとも行事などで ”演奏” したことはない。(当時の ”田舎” とはそんなものだった。)というより、それまで私は聴衆を意識したシチュエーションで音楽を演奏したこと自体がなかった。
その ”初めてのライヴ” で演奏した曲こそは-
課題曲(ディスコ・キッド)、そして自由曲の「聖歌と祭り」だったのである。
■楽曲概説
「聖歌と祭り」 は1962年1月初演、おそらく前年に完成していたと推定される。
フランシス・マクベスの作品の中でも、ごく初期の作品かつ、最も広く演奏された楽曲である。
題名の通り、明確に性格の異なる2つの部分-厳かで敬虔な 「聖歌」=Chant と、華やかでダイナミックな 「祭り」 =Jubilo から成っている。Jubilo も ”キリスト教に於ける歓喜・歓声” を示す意味あいの濃い言葉であり、楽曲自体が宗教的なものからインスピレーションを得たものだろう。テクニック的にはほぼ無理のない楽曲ながら、随所にマクベスの美点が散りばめられ、どの楽器にも印象的なフレーズが用意されている。洵に”カッコイイ”名曲である。
■聖歌 (Chant)
若い世代ならサッカーの応援歌を思い浮かべるかもしれないが、あれは本来の意味になぞらえた洒落であり、Chant (チャント)とは教会で歌唱される聖歌を指している。そして何といってもグレゴリオ聖歌(Gregorian Chant)とビザンツ(ビザンティン)聖歌(Byzantine Chant)とがその代表的なものである。
✔グレゴリオ聖歌とビザンツ(ビザンティン)聖歌の比較
「聖歌」において、キリスト教の西方教会を代表するものがグレゴリオ聖歌、そして東方教会(ギリシャ正教・中東/アナトリア/東欧に広がった諸教派)を代表するものがビザンツ(ビザンティン)聖歌である。
グレゴリオ聖歌は古代ユダヤの詩篇唱や賛歌が母体になり、大部分はラテン語聖書からなる典礼文を歌詞とする、全音階的な教会旋法にもとづいて歌われる単旋律の聖歌。リズムや拍子を有する西洋音楽の源泉となった音楽といわれている。
一方、ビザンツ聖歌は単旋律で主に全音階で自由なリズムである点などでグレゴリオ聖歌と多くの共通点を有しつつ、直接聖書からとった歌詞ではないことや、ミサに比べて聖務日課のほうが入念につくられていることが特徴とされている。ビザンチン教会ではギリシア語が用いられたといわれ、ユダヤやシリアの東方典礼の中の聖歌に基づいて生まれた音楽という。
「聖歌と祭り」の ”聖歌” は9世紀のギリシャ聖歌が元になっているとのことなので、ビザンツ聖歌を引用したと考えられる。
✔グレゴリオ聖歌
グレゴリオ聖歌とは、カトリック西方教会の典礼聖歌として中世以来継承されているもので、それを集大成したといわれるローマ教皇グレゴリウスⅠ世に因んで7-8世紀頃からグレゴリオ聖歌と呼ばれるようになったという。
古風な単旋律音楽にして、その旋律は明るく開かれた全音階的旋法性の上に繰り広げられ、そのリズムは拍子や小節の枠から全く自由なしなやかさを持つとされる。気品に満ちたこの聖歌はローマカトリック教会の典礼の格調高さに資しており、単声の音楽形式が到達しえた人類最高の偉業と呼ばれるにふさわしいものとも讃えられている。
雄大な建築は、典礼を荘厳に挙行するための重要な役割を持っている。高貴な彫刻や絵画は、我々に働きかけて祈りの心を高める。
しかしそれらがいかに偉大であっても、典礼に直接的に参加することはできない。ただ1つ、音楽芸術のみ、それに参与しうる可能性を有する。そのための公式の音楽、それがグレゴリオ聖歌である。
「グレゴリオ聖歌」(水嶋 良雄)より
グレゴリオ聖歌は、後世=特に中世及びルネサンス期の音楽に大きな影響を与え、また幻想交響曲(ベルリオーズ)第5楽章 ”ワルプルギスの夜の夢” や交響詩「ローマの松」(レスピーギ)の ”カタコンベの松” をはじめとして、名曲にたびたび引用もされている。
更にそれに止まることなく、まさに現在に至るまであらゆるジャンルの音楽に影響を与え続けているのである。
✔ビザンツ(ビザンティン)聖歌
ビザンツ(ビザンティン)聖歌とはキリスト教東方教会のビザンツ式典礼で歌われるギリシャ語単声聖歌で、最も初期の聖歌は4~5世紀頃に起こったトロパリオンというものであり、「詩篇」の各節の朗読の間に歌われるもの。
現在のギリシャ正教会ではドローン(持続音)風の単純な声部を加えて歌唱されることが多いが、本来的に単声の聖歌である
6世紀頃から短い導入部と繰返しを持つ同じ構造の節で成り立つコンタキオンが盛んとなり、さらに7世紀頃からはカノンという楽曲が生まれた。このカノンは9部分から成る非常に長い詩で、それぞれ数行から成るトロパリオンから成り立っている。
ビザンツ帝国が15世紀に滅び、更にトルコやイスラム圏の影響によって18世紀にビザンツ聖歌の伝統は完全に破壊されたとの学説もあるが、実際にビザンツ聖歌は東方教会の典礼において生き生きと歌い継がれており、この伝統も尊重すべきものとされている。
【出典・参考】
「グレゴリオ聖歌」 水嶋 良雄(音楽之友社)
「新音楽辞典」(音楽之友社)
グレゴリオ聖歌:執筆者 水嶋 良雄
ビザンツ聖歌/ビザンツの音楽:執筆者 野村 良雄
キリスト教音楽の旅 その15 グレゴリオ聖歌とビザンツ聖歌 | 綜合的な教育支援のひろば (naritas.jp) : 成田 滋 /兵庫教育大学名誉教授
■楽曲解説
前述の通り 「聖歌と祭り」 の冒頭に現れる「聖歌」の旋律は9世紀のギリシャ聖歌が元になっているとのことであり、作曲者マクベスは
「冒頭の聖歌には決してヴィブラートをかけてはならない。バリトン(ユーフォニアム)が真っ直ぐな音で奏することは殊のほか重要である。」 との指示を残している。
素朴な美しさのある旋律であり、それをごくシンプルに提示して曲は開始される。
この聖歌が変奏されて Flute に移るが、幻想的な Clarinet の和音と打楽器 ( Glocken・
Triangle・Suspended Cymbal )の伴奏が印象的。
ここでの打楽器の使い方は、「ただのバックグラウンドではない」 とコメントしているように、マクベスのこだわりが現れているものだ。
ほどなく低音と打楽器が寄せては返す波のようなリズムを加え、楽器が増えて徐々に高揚し遂に全合奏で聖歌が奏でられる。ここでは木管楽器が息の長いスラーで奏する一方、金管楽器はアクセントの付された音符で逞しく、朗々と奏する構造となっている。
この2つを混然とさせるのがマクベスの意図であり、カウンターのリズムを奏する打楽器とともに大変印象的で、前半部にスケールの大きなクライマックスを創りだしている。
穏やかに鎮まった”聖歌”は Trombone ソリで締めくくられる。そして pp から幅広くクレシェンドしてくる Suspended Cymbal に導かれ、その頂点に続き Trumpet のファンファーレが現れて ”祭り” の開幕だ。華麗な Trumpet の音色とフレーズに、打楽器群の毅然としたカウンターが絶妙に映えている。
鮮烈な Trumpet のコードが鳴り響くや、中低音の重厚なカウンターと木管高音の祝祭感に満ちた付点のリズムがこれに呼応し、それら全てが一体となって濃密なサウンドの音楽となる。繰返す低音と打楽器のフレーズは徐々に遠くなって静まって緩やかな楽想に移り、Flute の清冽な旋律へと繋がりゆく。
少しずつ律動感を高めつつも落着きのある楽想で進行し、高音に低音が谺するその響きを更に豊かにしていくが、やがて煽情的にテンポを上げて(♩=112 → ♩=120)高揚し鮮烈なTrumpet のフレーズで緊迫の G.P. へ!最終盤のエネルギッシュな Allegro(♩=144)へと突入する。
16ビートの如くスピードと緊迫を醸す伴奏の上で、雄大な旋律がハーモナイズを濃くしつつまたダイナミクスを拡大しながら全曲のクライマックスへと向かう。Trombone の旋律に対峙し咆哮する Horn のカウンターも聴き逃せない。
そしてマクベス得意の高音対低音によるアンティフォナルなクライマックスへと到達するが、遂にはそれも一体に転じて全合奏が荒ぶり、情念を爆発させるのである。
(マクベスは「テンポを緩めることなく G.P. へ突入せよ」と指示している!)
再び劇的なG.P. が現れ、これを経て Maestoso(♩=84)で厳かな低音のサウンドが響き渡る。続いて運命的な打楽器のリズムとふくよかな中低音のコードに乗り、Trumpet をはじめとする高音楽器が高らかに凱歌を奏するコーダとなるが、これこそは全曲最大の聴きどころである。
ハーモナイズされた旋律の壮麗さだけでなく、印象的なリズム・伴奏全てが渾然となった感動的な音楽は sfzp からの息長いクレシェンドに集約し、fff の圧倒的なサウンドで締めくくられる。
※譜例は ”2nd edition” を使用。これは1997年、マクベスがサザン音楽出版から最初の作品 (第2組曲) を世に
送り出してから35年目の節目であることを記念して改訂出版されたものとのこと。現在私にはコンデンス
スコアの1ページ目しか初版との比較ができないが、サスペンデッド・シンバルの撥指定が変更になって
いるのが読み取れる。全般に練られた演奏上の指定が細かく反映されるなど明確になり、改善が施されて
いるようである。
(-ただ、スコアに使用されているフォントだけは、初版の方が曲想に合致した風情があるように思う。)
尚、本稿中の楽曲に関する情報はマクベスのコメントを含め、”2nd edition” フルスコア所載の解説に基い
ている。
■推奨音源
汐澤 安彦(飯吉 靖彦)cond. フィルハーモニア・ウインドアンサンブル
「聖歌と祭り」の録音と云えばこの演奏、という定番。
改めて聴き比べてみると明確な演奏コンセプトがあり、しかもそれが終始徹底されている好演であることがよく判る。本作の劇的性を最も表現した演奏である。
ユージン・コーポロンcond.
ノーステキサス・ウインドシンフォニー
非常に現代的な演奏で、アーティキュレーションもくっきり。
指揮者の求めた明晰さは「祭り」冒頭の Trumpet によるファンファーレの好演に端的に表れている。
スティーヴン・スカイアーズcond.
ノーザン・イリノイ大学ウインドアンサンブル
プレイヤーのレベルにバラつきが大きく "巧い” という演奏ではないが、この曲に共感しおもしろく演奏しようとする意思が確り伝わってくる。Piccolo の太い音色と積極的な演奏が印象に残る。
【その他の所有音源】
フランシス・マクベスcond. テキサス工科大学シンフォニックバンド
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラ
丸谷 明夫cond. なにわオーケストラル・ウインズ(Live)
スティーヴン・グリモcond. アメリカ空軍西部バンド(Live)
-Epilogue-
私の ”初めてのライヴ” -あの時、課題曲「ディスコ・キッド」も難曲だったが、今思えば初めて経験する ”本番” として、よりシビれるのは「聖歌と祭り」の方だったはずだ。
当時、メンバーは3人だけで1パート1人の Trombone セクションにとって、”聖歌”を締めくくる弱奏のソリ (左画像) は相当ヤバい!でも私にはビビった記憶がない。
ミスして大変なことになった記憶もない (結果も金賞・県代表だった)…始めて4ケ月のど初心者がよくぞ平気で吹いたものだ。
「無知」はオソロシイ。”上手く吹きたい” ”キメるところはキメたい” といった思いが存在しない状態では良い演奏ができる可能性も乏しいのだが、一方でビビることもないのである。そんな中学1年生だった私の”初めてのライヴ”は劇的なことなど一切なく、何の気なしに過ぎ去っていった。
もちろんあの頃より今の方が遥かに吹けるようにはなったけれども、ミスをする可能性は「思い」 (「欲」?) のある今の方がきっと高いとも云えるだろう。
それを乗り越えるにはいつだって「練習」しかない。”練習は裏切らない” のだと信じて。
<Originally Issued on 2015.5.12. / Revised on 2023.9.25. / Further Revised on 2024.1.8.>
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