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英雄行進曲  C. サン=サーンス

hassey-ikka8

更新日:4 日前

Marche Héroïque

C. サン=サーンス  Charles Camille Saint-Saëns (1835-1921)


-Introduction-

管弦楽曲において Trombone が他を差し置いてソロを執る楽器に選ばれるなんてことはあまりにレア過ぎる。特に甘美で抒情的な旋律-となるとほぼ ”無い” 。選ばれるのは大概 Horn なのだ。そう思うと、この 「英雄行進曲」 は文字通り奇跡的な存在である。

戦死した友人に捧げられた楽曲ゆえに、宗教的なイメージから教会音楽に使用されてきた Trombone を用いることが選択されたのか-。

どんな理由にしろ、サン=サーンスのような大作曲家によってこの夢のような名旋律が我らが Trombone に遺されたことには、心からの感謝を捧げたい思いである。


■作曲者

カミーユ・サン=サーンスはまごうことなき ”神童” であったし、多才なる天才であった。3才にして最初の作品 (歌曲「夕べ」) を作曲、ピアニスト/オルガン奏者/音楽学者としてフランス音楽界を代表する存在となったほか、詩人/戯曲作家/天文学者/哲学者/自然科学者/考古学者/民族学者/素描(漫画)家として多方面に亘り、作品/研究の発表や講演を行ったのである。

作曲家として「歌劇 ”サムソンとデリラ”」「交響曲第3番 ”オルガン付”」「交響詩 ”死の舞踏”」「動物の謝肉祭」 などの傑作を遺したが、20年間マドレーヌ教会のオルガン奏者を務め、その即興演奏もサン=サーンスの名を高めた。但し、聴衆に対しては全く無関心で「冷淡で感受性を欠いていた」

               と伝わっている。


音楽家としての人生を俯瞰すると、天賦の才に恵まれた「革命児」「現代作曲家」として音楽界に登場したのち、「古典主義者」として作風を貫き、晩年は「反動家」として毀誉褒貶入り混じる状態となった。

即ち1901年には芸術院院長に就任し名実ともに ”フランス音楽界の重鎮” となったが、ドビュッシーやダンディそれぞれの陣営と対立し「反動家」との批判に晒されたのである。晩年のサン=サーンスは「同時代の音楽への拒否と同じく、古い時代への彼の愛好は悪名高い」と評されており、1931年の「春の祭典」(ストラヴィンスキー)初演時には冒頭から憤慨して途中退席したとの真偽不明なエピソードがまことしやかに遺されているほどである。 尚、サン=サーンスと吹奏楽の接点としては、叙上の代表作がトランスクリプションされて演奏されるほか、「東洋と西洋」(Orient et Occident 1869年) というオリジナル作品もある。これは吹奏楽の最高峰ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団のために作曲されたもので、

”大行進曲”と銘打たれた作品だが、これも普通の行進曲とは趣を異にする個性的な作品だ。また、J. ヴァン=デル=ローストの 「オマージュ」 (Homage) やJ. カーナウの 「セレブレーション」 (Celebration) はサン=サーンスの 「交響曲第3番”オルガン付”」 の主題を元にした吹奏楽のオリジナル曲である。


■作品概説 ✔時代背景

サン=サーンスにとっても、1870年に勃発した普仏戦争は大変大きな出来事であった。

未だ聴衆に認められていなかった彼はこの時期に漸く歌劇の作曲によって未来に光明を見出しつつあったが、その矢先に戦争が起こりサン=サーンスはセーヌ国民軍第四大隊の一兵卒として従軍、5ケ月弱にわたりプロイセンによるパリ包囲を体験することとなったのである。

またこの普仏戦争ではサン=サーンスの友人である画家アンリ・ルニョー (Henri Regnault) も従軍し、パリ郊外のビュズナルで戦死してしまう。

サン=サーンスはルニョーの想い出のために、この 「英雄行進曲」を作曲したのである。


✔作曲の経緯と初演

元々はカンタータ「戦争の歌」から改作されたもので、まず2台のピアノのための作品 (楽譜:左画像) として作曲・初演され、そののちに管弦楽版が作られた。


サン=サーンスの創作活動を中断せしめた普仏戦争ではあったが、この戦争を契機にフランスでは1871年に国民音楽協会が設立され、 ”アルス・ガリカ” (「ガリア=フランス様式の芸術」の意)をモットーによるフランス作曲家の作品のみを採り上げる演奏会が開催されていく。 「英雄行進曲」もその演奏会において作曲者サン=サーンスとアルベール・ラヴィニャック (Alexandre Jean Albert Lavignac) によりピアノ4手版が初演されたものである。


”アルス・ガリカ” による演奏会は、フランスの作曲家だけの新作によって聴衆の興味を充分に惹きつけるプログラムが組めることを証明し、以降のフランス音楽そしてサン=サーンスにとって画期的な取り組みともなったのである。


【出典・引用】

大作曲家 サンサーンス ミヒャエル・シュテーゲマン 著 西原 稔 訳 音楽之友社


名曲解説全集 「英雄行進曲」 角倉 一朗 執筆 音楽之友社








■楽曲解説

2/2拍子 Allegro - 3/4拍子 Andantino-2/2拍子 Tempo Ⅰ-Animato (Coda)

に成る三部形式の明快な楽曲である。


短い序奏を経て直ちに軽快な主部に入るが、序奏部冒頭のユニゾンは 「行進曲」 としては珍しく弦楽器のサウンドで始まる、非常に渋いものである。


華々しさではなく、荘重にして引き締まった品格を醸し出しているのだが、この開始はやはり親愛なる友人の死を悼んで作曲されたものであることに因るのかもしれない。









早速に木管群によって小気味良い第一主題が提示され


これが繰り返されて、やや濃厚で伸びやかな第二主題へと移る。


後半を含め主部およびコーダはこの2つの旋律とその変奏で構成されている。

軽快でリズミックな部分と、濃厚でシンフォニックなサウンドの部分が掛け合うようにして前半のクライマックスへ向かう。 やがて音楽は徐々に優美さを満たしながら静まってゆき、お待ちかねの中間部 Andantino

へ入る。Harp と Flute・弦楽器による伴奏に導かれ、Trombone が清冽で優美な旋律を哀愁を帯びつつも、しかし誇らしげに歌う。

さらに他の楽器群に引き継がれ歌い上げられるこの旋律こそが、この曲最大の聴きどころとなっている。 夢見るような美しい情景から、はたと深刻で憂いに満ちたムードのブリッジを挟んで再びAllegro となり前半の再現部へ続く。

前半部の音楽が更にスケールの大きな豊かな響きとなって繰り返され、最後は Animato のコーダに突入し、テンポを捲くりつつ重厚で力強い終幕を迎える。


小品ながら、気品のある旋律とシンフォニックなサウンドが大変魅力的な楽曲である。

■推奨音源

シャルル・デュトワcond.

フィルハーモニア管弦楽団

美麗に整った秀演であり、Trombone ソロも素晴らしい出来映え。この曲はやはりどうしても Trombone ソロに耳が向かうのであり、この演奏は期待通りの 「歌」 を聴かせてくれている。


この曲の録音は非常に少なく、更なる秀演=素敵な Trombone ソロの登場を期待したい。





【その他の所有音源】

 ポール・パレイcond. デトロイト交響楽団

 準・メルクルcond. リール国立管弦楽団


尚、吹奏楽版としては藤田 玄播による好編曲があり、

藤田 玄播cond. 東京佼成ウインドオーケストラ による録音もあるので、ぜひ聴いてみていただきたい。


 









-Epilogue- 私がこの 「英雄行進曲」 を知ったのは1974年の西部 (現九州) 吹奏楽コンクールでの沖縄・真和志中学校の演奏の録音によってであった。自由曲の交響曲第4番終楽章(チャイコフスキー)の歴史的名演で知られる同じく沖縄・石田中学校に全国大会代表は譲ったものの、2校しかなかった金賞を受賞した秀演である。Trombone ソロも実に良い音で、中学生離れしたものだったと記憶している。 Trombone 奏者はアマチュアであっても、こういうソロが良い音で確りと音楽的に吹けるようにありたいものだ。他の楽器に比べてそういう奏者が極端に少ないし、また奏者の 「そうありたい」という希求も弱いように感じてしまうが、如何だろうか?

吹奏楽にあっても、もっと Trombone に素敵なソロが任せてもらえるようになるためには、奏者の意欲と努力を増すことが必要だと感じる今日この頃である。


             <Originally Issued on 2007.5.13. / Completely revised on 2024.3.27.>

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