Danse Folâtre C. T. スミス Claude Thomas Smith (1932-1987) -Introduction-
今ではこの難曲も「テクニックを見せつけることができる」「(曲がよく出来ているので)内面的な掘下げや全体俯瞰した曲づくりに苦労せずともそれなりに面白く聴かせられる」ためか、もはや普通に/頻繁にアマチュアにも演奏されていて、笑ってしまう。
この曲が登場した当時はみんな口を揃えて、「こんな曲、無理」だったのに…
実際は現在でも超絶難曲であることに変わりはないと思うけれど。
■作曲者と作品概説
「華麗なる舞曲」は難度を極めた傑作「フェスティヴァル・ヴァリエーション」(1982年)で高名なクロード・スミスによる1986年の作曲。「フェスティヴァル・ヴァリエーション」と同じくアメリカ空軍ワシントンバンドによる委嘱作品にして、同作品を更に上回る難曲中の難曲で知られる。
高速なテンポに極めて細かいパッセージ、伴奏の凝ったリズム、頻発するハイ・ノート、高度な技巧を要するソロの連続…。輝かしいサウンドをもち、多様な打楽器をふんだんに使ってド派手に仕上げられたこの音楽は、全パートに亘りプレイヤーの”挑戦心”を煽る楽曲であり、聴く者にとっても固唾を飲まずにはいられぬ怪作である。 (もちろんスミス作品らしく Horn の譜面は際立って壮烈だ。)
出版社 Wingert-Jones の創業者メリル・ジョーンズのコメントによれば「クロード(スミス)は曲の長さを除いて、一切の制約なしに大喜びでこの作品を完成させた。」とのことである。
■題名の謎
原題 Danse Folâtre はフランス語であり、スコアに表記された英文題名は Exuberant Dance というもの。exuberant とは 「生茂った」「元気あふれる」「喜色満面の」「(言語・文体が) 華麗な」といった意味だが、スミスが敢えてフランス語表題としたのは、何らか意味があってのことだろう。但し、その由来を示す資料は見当たらない。
folâtreは英語の frisky, playful, coltish, frolicsome, sportive と同義とされ、これらの英単語からこの曲に合致する意味を探ると「跳び回る」「お茶目な」「(跳ね回って)手に負えない」「遊び心のある」「派手な」というニュアンスが読み取れる。folâtreは音楽上の発想記号としても使用され、その場合にも「陽気に」「おどけて」「冗談好きな」といった意味とされる。
もしかしたら作曲者は " folâtre "と名のつく音楽作品に触発されたのでは?と思い立ち、調べてみたが直接の関係はなさそうである。
1. Peteite Nymph Folâtre (お茶目な小妖精)
16世紀フランドルの作曲家 Francois Regrard の作品。これぞまさにルネサンス音楽と
いった曲調である。
2. Danse Folâtre pour Piano
Moritz E. Schwarz のピアノ作品。作曲者は名前からしてドイツ人だと思われるが詳細
不明。かつてCDも出ていたのは間違いないが、現在ではどうしても入手できず、まず
ほとんど知られていない楽曲と云える。
そもそもクロード・スミスの作品には「標題音楽」的なものは少なく、本作も絶対音楽と云ってよいであろう。したがって題名にこだわる必要もないのであるが、他の作品と違い、なぜ彼が敢えて(英訳をつけてまで)フランス語の題名を冠したのかは腑に落ちない。常識外れにユニークなこの曲、命名にも何か面白いエピソードが隠されている気がしてならないのだが…。
-と、こんなことを考えていたのは私だけではないようだ。
本作は2013年に新版 (=コンピュータ浄書、オプションパートの作成、パーカッションパート譜の再構成など演奏利便向上の改訂) が作られ出版されたのだが、そのフルスコア所載の解説に「出版されてから25年が経つというのに、『華麗なる舞曲』の作曲とその著しいヴィルトゥーソ性をめぐっては、幾つかの都市伝説が残っていた。」と述べられており、続いて曲想のイメージや曲名決定に関する作曲時のエピソードが紹介されているのである!
同解説によれば ”Danse Folâtre” というフランス語標題は、いつも題名を決めるのに大いに悩むスミスが、出版社 Wingert-Jones 創業者であるメリル・ジョーンズのお嬢さん (彼女は当時フランス語の教師だった)のアイデアを容れたものだという。
本作の委嘱者であるアメリカ空軍ワシントンバンドのジェームズ・バンクヘッド大佐からはとにかく「舞曲」を作曲してほしいと要望されており、委嘱の段階ではスミスとバンクヘッド大佐との間で ”Jubilant Dance”(歓喜の舞曲)という感じかな…という会話が交わされていたそうである。
この曲の標題に関しての議論は叙上で決着したと云えよう。
やはりスミス本人に標題について深いこだわりはなかったと解すべきと思うが、肝心なのはこの曲は演奏するバンドのメンバーに激烈なヴィルトゥーソを要求しており、それらを通じて ”思わず声をあげてしまわんばかりの歓喜” が表現されなければならない、ということである。
■楽曲解説
まさに ”堰を切る” 鮮やかな一撃に続いて、激烈な Allegro Vivo の生命感とスピードを極めた音楽がほとばしる-
「華麗なる舞曲」の幕開けだ。大きく捉えて急-緩-急の形式による楽曲だが、テンポや色彩の変化に富んでおり、まさしくジェットコースター・ムービーといった感じである。
”深遠な内容を表現する”という音楽ではないが、その対極に間違いなく存在する純然たる”音楽の愉しさ”を「極めた」作品。その意味で「名曲」と呼ぶに相応しい。
スピードとエネルギーに満ちた序奏部からして、ハイ・ノートや強力なトリルなど、本当にHorn に対しては容赦ない。
続いて現れる主題が快速部を支配するのだが、打楽器を伴った木管のパッセージの壮絶さには圧倒されてしまう。
シンコペーションの生命感が印象的な Alto Sax. ソロで旋律の断片が奏されて展開部に入るが、ほどなく入ってくる Xylophone と Muted Trumpet (+ Trombone 1) のリズミックな伴奏の難しさがまたエグい。
こうしてソロイスティックでテクニカルなフレーズが現れては、鮮烈にしてエキサイティングなレスポンスが呼応- そんな応酬がハイスピードで次々とそして延々押し寄せるのだ。
エスカレートする難度には「危険」を感じないわけにはいかず、ハラハラさせられるばかり。
…しかしその一方で、音楽の興奮・ドキドキ感の高まりも止まらないではないか!
最高音楽器から最低音楽器まで一気に駆け下りる細かいパッセージに続き、地の底から天に昇るように高揚するブリッジ。
その頂点で鳴り響くHornの雄叫び (決して悲鳴になってはイケない!) は、文字通り血管が切れそうだ。
その雄叫びとともにテンポを緩め静まった中間部、Fagottoの音色を生かした伴奏に乗ってClarinet が新たな主題を朗々と歌うが、ここでは金管中低音のバックハーモニーにも実に味がある。
この新たな主題が Trumpet+Trombone で繰り返された後、再び高揚してブレイク。続いていよいよ、高度な木管楽器のソロの競演が始まる!
さらに全合奏でダイナミックに主題は歌い上げられていくが、そのバックで伴奏を務めるHorn はさりげなくまた壮絶…。この中間部を俯瞰すると、木管(Clarinet、Oboe、Alto Sax.、Flute、Fagotto)および Piccolo Trumpet のソロと、全合奏での高揚とが交互に繰り返される構成となっている。
ソロ群の白眉は何といっても Piccolo Trumpet であろう。最高音 Hi E♭に達するまさに”華麗”なパッセージである。
木管とWood Block や Claves、Marimba のリズミックな伴奏に導かれ繰返されるが、Piccolo Trumpet ソロの軽やかで輝かしい音色が聴こえてくると、楽曲は一層華やぐのだ!
この Piccolo Trumpet の奏した主題が今度は Horn によって勇壮に反復されると、Alto Sax. にあのシンコペーションのフレーズが帰ってきて、快速部へと戻っていく。
“メロディック” な Timpani ソロあり、生き生きとしたフガートあり、Trombone の痛烈なグリッサンドあり…そして徐々に昂ぶった頂点での G.P. に続き冒頭部が再現される。
そして終結部では、更に毅然とした表情を濃くする。
Horn の咆哮が最後の鞭となってエネルギッシュに突っ走るや、重厚で濃厚なサウンドの2拍3連をごぅ、と轟かせ全曲を閉じる。
あまりにも凄まじい曲なので、初めて聴いた感想は「ひたすら呆気にとられた…」ではなかろうか?
(こうしてみると題名は “暴れん坊の舞曲” あたりが適訳では、とも思えてしまう。)
■1992年度全日本吹奏楽コンクール 洛南高校の快演で一躍人気曲に この「華麗なる舞曲」はまさに ”ロデオ” だ。フィールドじゅうを跳ね回り、振り落とそうする暴れ馬に、如何に ”カッコ良く” 乗るか、である。
馬を抑えこむのではない、おとなしくさせてから乗るのでもない、そんなのちっとも面白くない!跳ねて暴れ回る馬に乗ってこそ”ロデオ”ではないか!しかも半泣きでしがみついてちゃダメ、見栄張って片手でカウボーイハットを高く掲げ、カッコつけなきゃ…!
それをまさにやってのけたのが、1992年全日本吹奏楽コンクールで金賞を受賞した洛南高校である。
もはや伝説と化した感のあるこの演奏、粗い部分もあり「名演」ではないかもしれないが、屈指の「快演」である。
お家芸の持替えでズラリと並んだ金管群をはじめ、「華麗なる舞曲」をこの瞬間に、このメンバーで、こう演奏するぞという強い意志が示された演奏。
完全に「世界」が出来上がっている!
難曲に喰らいついたこの演奏はリズムがまさに”生きて”おり、生命感が違う。ここぞとかますベル・アップも意味無くない、絶対に意味がある。彼らの創ったかくも強靭な「世界」を見せつけられては、文句なんて全く言えない!
この演奏がもたらした興奮はコンクールの枠組みなど遥かに突き抜けた。録音に残されたコンクール会場とは思えぬ終演後の聴衆の熱狂は、それを如実に物語っている。 (左画像:洛南高演奏収録のCD)
※洛南高のセンセーショナルな演奏の反響は、当時のバンドジャーナル誌上の講評からも明らかである
■推奨音源
前述の通り、のろい・跳ねない・醒めた “ロデオ” なんてものはあり得ない。-如何に正確な演奏であろうとも、スリルのない「華麗なる舞曲」に魅力は存在しない!
結果として、お薦めの音源は以下の通りいずれも熱気溢れるLive録音となった。
演奏者不明(Live)
録音状態はあまり良くないが、高いテクニックを示し、スピード感とスケールの大きさを両立した秀演。カンザス大学による「スミス作品集」に収録されているわけだが、明らかに他の収録曲とは演奏レベルが別物。
テクニックの高さとチェロを編成に加えていることから、アメリカ空軍ワシントンバンドの可能性が高いと思うが、確たる情報はない。
※出版社(Wingert-Jones)から発売されているアメリカ空軍ワシントンバンドの演奏とも違う録音である。
また、その後重版された盤では同じこのCDでも「華麗なる舞曲」は別の演奏に差し換わっているとの情報
もある。
飯森 範親 cond. 大阪市音楽団(Live / 1992)
1992年7月岡山シンフォニーホールにて収録、この曲の要求する”スリル”が存分に示された好演。
やや粗いが、切迫した緊張感と”勢い”が強く感じられる。
尚、飯森&市音の組合せは2009年にも大阪にて、この奇跡的名演の ”再演” ともいうべき録音を残している。
【その他の所有音源】
飯森 範親cond. 大阪市音楽団(Live/2009)
ジェイムズ・M・バンクヘッドcond. アメリカ空軍ワシントンバンド
ジェイムズ・M・バンクヘッドcond. 東京佼成ウインドオーケストラ
ウイリアム・シルヴェスターcond. イースタン・ウインドシンフォニー
ローウェル・グレイアムcond. アメリカ空軍ヘリテージ・オブ・アメリカバンド
加養 浩幸cond. 土気シビックウインドオーケストラ
鈴木 孝佳cond. TADウインドシンフォニー(Live)
中川 重則cond. なにわオーケストラル・ウインズ (Live)
山本 正治cond. 東京藝大ウインドオーケストラ
-Epilogue-
到底演奏に手の届かない難曲-そう思われていた「華麗なる舞曲」は今やコンクール自由曲の定番、技量に自信のある中学高校バンドはこぞって採り上げ、それとともにこの曲の人気は不動のものとなった。キマればまさに快哉を叫びたくなる楽曲なのだから、当然だと思う。しかし (実際はこの曲に限らずだが)、「華麗なる舞曲」という楽曲に没入できる ”世界” を示した演奏こそが聴きたい。
それにはテクニックだけでは足りない、揃っている/合っているだけでは足りない。「凄い」とは思わせることができても、聴いているものを酔わせ溺れさせることはできない。
”世界” を示す次元の高さにまで進んだ演奏を、この曲でこそ聴きたいものだ。
<Originally Issued on 2010.2.20. / Revised on 2015.9.19. / Further Revised on 2023.11.5.>
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