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[音源堂コラム①] クラシック音楽を吹奏楽で演奏すること

hassey-ikka8

更新日:2024年8月19日

-Introduction-

                                ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団 (1970年)

吹奏楽のレパートリーは実に幅広い。

源流ともいうべきマーチはもちろんのこと、野外演奏をも想定したオリジナル曲、そして前衛音楽を含む現代楽曲としてのオリジナル曲、「ニューサウンズ・イン・ブラス」の登場により特に本邦で本格化したポップス、そしてクラシック音楽のトランスクリプション(或いは、アレンジ)と多岐なジャンルに亘る。

吹奏楽にとって、この多様性こそが「演奏参加型」の音楽ジャンルとしての特質でもあり、また強みでもある。

反面、芸術性の乏しさや、音楽としてのアイデンティティの弱さが指摘される原因の一つであることもまた事実である。


■クラシック音楽(管弦楽曲)のトランスクリプション

吹奏楽がクラシック音楽(管弦楽曲)のトランスクリプションを演奏することの意味は、古くから議論されてきた問題であった。


管弦楽曲を吹奏楽に移して演奏することに、何の意味があるのか?

弦5部を擁するオーケストラのために書かれた音楽を吹奏楽で演奏することには所詮無理があるし、出来上がったものは「デキソコナイ」でしかない。管弦楽曲が演奏したいのなら、最初からオーケストラで演ればいいではないか!

そしてそこには、オーケストラに参画する夢に敗れた奏者・指揮者の鬱勃たるコンプレックスが見え隠れする。(あぁぁ、暗い!)


-こんな主張があり、そこには真実を内包していることも否定できまい。

 

例えば、ベートーヴェンの交響曲全楽章を吹奏楽で演奏することなど、意味がないとほとんどの方が思うだろう。ところがドヴォルザークの「新世界」やベルリオーズの「幻想交響曲」、ショスタコーヴィチの「交響曲第5番」あたりだと、実際に吹奏楽団の選曲会議で 「全楽章演りたい!」なんて意見が出ることがあるのだ。

(プロフェッショナルな吹奏楽団の演奏会や録音においても時折見受けられ、驚きを禁じ得ないが…)

 

そんなもの、誰も聴きたくない!

 

どんなにいい演奏をしても(いや、却っていい演奏であればあるほど)「…やっぱり、オケで聴きたいよね。」の一言を以って、真っ当な見識のある聴衆やクラシックファンからは ”バッサリ” 切り捨てられて終わりだろう。


※イーストマン・ウインド・アンサンブルの3代目常任指揮者を務めたドナルド・ハンスバーガーも、1976年6月の来日時に左記のようなコメントを残している。

(出典:バンドジャーナル 1976年8月号)

 

実はこの当時から、こうした見識は既に確立されていたのである。

 

 

 



■吹奏楽がクラシック音楽のトランスクリプション(アレンジ)を演奏

することは有意である

私自身、吹奏楽の目指すべきはオリジナル曲の充実が最重要と考えているものではあるが、それでも吹奏楽がクラシック音楽のトランスクリプション (アレンジ) を演奏することには完全に肯定的である。なぜなら、

 

①吹奏楽にとって、「多様性」は武器である。

これほどお客さんの多様な音楽ニーズに応えることができるのは、吹奏楽だけ。

②管弦楽団で実際に演奏される曲目は偏っている。

正統クラシック界での評価が「超一級の名曲」でなくとも、良い音楽はたくさんある。それを掘り起こして提示するのは極めて意義のあること。

③演奏者にとって、力のある作曲家の音楽を演奏することはそれ自体が大変にプラス。

「演奏する」 ことでその音楽はその人にとって ”特別なもの” になる。

④良い楽曲を演奏することによってもたらされる音楽的喜びはやはり大きく、その喜びを求めることは当然のこと。

⑤「音楽への入口」こそが吹奏楽の役割吹奏楽において、幅広いジャンル・幅広い作曲家の作品に取り組むことには大変大きな意味がある。

吹奏楽で音楽を識った人が、プロであれアマであれ吹奏楽を続けたり、管弦楽やジャズの世界に進むことは全く以って望ましい。”卒業” 後、「聴く」 の世界だけに止まる人たちにとっても、より幅広い音楽 (特に”敷居の高い”クラシック分野) を楽しめるきっかけとなるはずでもある。

 

といった理由からである。

要は ”演奏する意味があるか” よく考えて演目を選び、良い編曲を選べば良いのである。

(もちろん、編曲の出来を問う前に、演奏者が作・編曲者の意図を謙虚かつ確実に理解し、その再現に全力を尽くすことは当然である、為念。)


■トランスクリプション/アレンジの高度化と新たなレパートリー

21世紀に入って以降、素晴らしいクラシック音楽の吹奏楽編曲作品が生み出され、新たなそして有意義なレパートリーの拡充が一層活発に図られていることは大変喜ばしく、その意味でも「選択」こそが重要となってきていると云えよう。


その第一人者こそが、惜しくも2021年8月に逝去された森田 一浩先生であった。森田先生のアプローチは実に凄い!クラシック音楽を吹奏楽で演奏するにあたり、原曲の良さを発揮させながらも、一から再構成しようとするのである。 

即ち管弦楽曲の吹奏楽編曲にあたっても「管弦楽原曲のパートを吹奏楽編成に置き換え、必要な補強を行う」といった次元は超越し、管弦楽フルスコアをオーケストレーション前のピアノスケッチに一旦戻したうえでそれを吹奏楽にオーケストレーションする、という云わばリバース

・アプローチというべきところまで踏み込んでおられた。


そしてその成果は、「”くじゃく”による変奏曲」「スペイン狂詩曲」「アパラチアの春」「ローマの祭り」をはじめとする優れた作品に結実している。

このアプローチは発展して ”ピアノ協奏曲” をも吹奏楽のレパートリーと成し (2005年:ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲) 、想像もしていなかったピアノ曲の吹奏楽アレンジ (2012年:リスト「レジェンド」、2015年リスト「スペイン狂詩曲」) を生み出すことまでも実現したのである。


ピアノ曲からの優れた吹奏楽へのアレンジとしては、真島 俊夫氏による「喜びの島」 天野 正道氏による「夜のガスパール」なども挙げられ、今や珍しいものではなくなった感がある。また鈴木 英史氏が手掛けた一連のオペラ・セレクションはその着想が素晴らしく、音楽の根源的な喜びに溢れ、またオペラに接するきっかけの創出といった多面的な魅力を備えた極めて有意義なものだと思う。

-このように、かつての 「クラシック・アレンジ」 も現在では実に高次元な変容を遂げたのである。


-Epilogue-

「編曲」というのは難しい作業である。原曲の良さは当然生かしつつ、吹奏楽での実演に耐えるものでなければならない。

( ”どうもうまく行かない” 場合、問題が演奏者にあるか編曲にあるかの見極めは難しい。 「斬新な」 「より優れた」 編曲を目指せば、際どいところを狙うことになり、この見極めはますます難しくなるのだ。)

そして、「敢えて吹奏楽で演奏する価値がある」ことも求められる。と、なるとオーケストレーションの問題以前に、編曲者にとって「どんな楽曲に着眼するか」が重要だということも、判っていただけるだろう。

 

-いずれの問題に対しても、良解を求めるにはひとえに ”センス” が必要となるから、難しいのである。


  ※おまけ:例えば音源堂の気になる「吹奏楽新レパートリー」候補

   ラ・パラーデ(M. ラヴェル) パッサカリア (B. ゴルトシュミット)  スーヴニア (S. バーバー) 

   ピアノ四重奏曲 (W. ウォルトン)  夏の牧歌 (A. オネゲル)  架空の愛へのトロピズム (J. イベール)

 

 

<Originally Issued on 2007.2.23. / Revised on 2022.5.26. / Further Revised on 2024.1.5.>

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