Disco Kid 東海林 修 Osamu Shoji (1932-2018)
-Introduction-
1977年の4月に中学校に進学した私は入学式の後、すぐに吹奏楽部の練習見学に行った。
音楽に関心もなく(というより夢中になれるものが何もない子供だった)、幼い頃病弱で運動も苦手な子が、消去法で見学したのが吹奏楽部である。
6歳上の実兄が吹奏楽部に所属していたという背景はあったが、本当に何の気なしに見学したのだ。その時、極めて一方的に Trombone のマウスピースを差し出され、それを手にした瞬間に私の 「生涯の友」 は劇的さも感傷も何もなく、極めてあっさり決まった。
この日から8月6日の大分県吹奏楽コンクール本番まで僅か4ケ月弱、5年連続で県代表となっていた我が吹奏楽部は、手もまだ短くリコーダー以外に楽器を演奏したこともない、本当は音楽に対する興味も知識も全くない12歳の少年に、ギリギリ3本しかなかった Tromboneの末席を任命し、西部 (現九州) 大会まで勝ち抜くことを目指させたのである。
(今では全く許されない) OB 先輩による体罰を伴う軍隊的シゴキにより一応何とか吹けるようになり、無事大分県代表にもなれたけれども…。
(人間、 ”間違えたら「痛い」” となると、到底できないものも出来るようになるから恐ろしい…)
その時、私に課された「課題曲」が「ディスコ・キッド」であり、私はこの曲で事実上初めて音楽と出会ったことになる。まずはこの曲を何とか吹くためにシゴかれ涙を流し、自分でも独学で Trombone の奏法やメカニック、そして音楽 (楽典他) を学んでいったのだ。
4月に Trombone を生まれて初めて手にしたばかりである上、先輩に教わったド(実音B♭)がピアノのド(実音C)とがどうして違うのか識らず、他校との合同練習会で「今度はC dur の音階を吹いて」と指示されても他に知らないためひたすら B♭dur を吹いてしまい他校の上級生にあきれられる私のようなガキにとって、「ディスコ・キッド」はあまりに難し過ぎたというものだ。
その上、我が中学にある Bass Trombone は壊れており、この曲の Bass Trombone パートを演奏するのに与えられた楽器は何と Nikkan 細管テナーという暴挙!6・7ポジションがバンバン出てくるこの譜面は手の短い中学一年生には極めて厳しかった…
(駒を進めた西部(現九州)大会ではさすがに耐えられず、件の Bass Trombone を何とか自分で修理し、これを使用したのだが・・・。)
思い返せばこんなヒドい想い出ばかりなのに、「ディスコ・キッド」は私にとって大好きで、想い入れのある楽曲だ。私を音楽の沼に引きずり込み、こんなマニア (=音楽変態)へと成すきっかけとなった楽曲でもあるのだから。
■究極のポップス課題曲
1974年度「高度な技術への指標」(河辺浩市)に始まり、1975年度「未来への展開」(岩井直溥)「シンフォニック・ポップスへの指標」(河辺浩市)、1976年度「メイン・ストリートで」(岩井直溥)と導入されてきたポップス課題曲だったが、1977年度唯一の全部門共通課題曲として登場したこの「ディスコ・キッド」は、ポップス課題曲の究極にして、まさに異形の吹奏楽曲だ。
冒頭ソロの4分音符に始まり以降全編に亘り奏される High-hat のビート、序奏からして超アマチュア級といわれた難度の高いフレーズ、中間部にはアドリブ的 Clarinet ソロ、 大胆な転調・・・と個性の強い楽曲である。
吹奏楽オリジナル曲として最もポップスに徹しており、(その後もポップス課題曲は出現したが) ポップス課題曲が「行きつくところまで行った」姿でもあると云えるだろう。
こうしたこの曲独特の個性に対するファンは多く、「こんなコンクール課題曲が存在したなんて信じられない!」などと言われつつも、世代を超えてその人気は高くまた根強い。さまざまな編成によるヴァージョンが存在するのもその証左である。
■作曲者
東海林 修は本邦ポピュラー・ミュージックの世界で永きに亘り活躍を続けた作編曲家。
J-POPにおいては 「ウナ・セラ・ディ東京」 (ザ・ピーナッツ / 1964) や 「危険な二人」 (沢田研二 / 1973) をはじめとする数々のヒット曲のアレンジャーとして知られる。
アニメーション映画などの映像関連音楽にも作品は多く、また1972~1973年にはNHK伝説の音楽番組 「ステージ101」 の音楽監督も務めたほか、誰もが知るあのユニークな 「”笑点”のテーマ」 のアレンジも彼の手に成るものである。
※ポートレートは1970年当時のもの
「ディスコ・キッド」 以外の吹奏楽曲としては、ニュー・サウンズ・イン・ブラスにB♭& E♭Clarinet のソロをフィーチャーした「マスカレード/レオン・ラッセル (カーペンターズ)」 のアレンジがあり、印象に残る。
■楽曲解説
冒頭からして、High-hat の刻むリズムにリズミックな Piccolo ソロというブッ飛びかた!
ここでもう既に譜割りを正確にリズムにきっちり載せるのが非常に難しい!
イントロの見せ場は音域の広い中低音のフレーズなのだが、これもキマればめちゃくちゃカッコイイ。
そしてイントロの締めくくりは「ディスコ・キッド」を象徴する印象的なリズムとなっており、これに続いて ” Disco ! ” の掛け声が入るのが「お約束」である。
主部に入るとこれまた特徴的なリズムのバッキングがカッコよくハモるのだが、このフレーズの4拍目の裏の8分音符をキッチリ ”嵌め続け” ながらノリ良くグルーヴ、というのがまた至難のワザで…
そのノリノリの曲想が鎮まって Drum Set+Snare Drum の奏でるタイトなリズムに導かれ、Clarinet ソロとなるのだが、ここの感じもまた吹奏楽離れした突抜け方である
これに続くエネルギッシュでやんちゃな曲想こそはまさにディスコ「キッド」なイメージであり、最大の効かせどころとなる。
そもそも難度の高いフレーズの連続だが、さらに練習番号9前後から Trumpet が(記譜より)オクターブ上げればカッコ良さとひきかえに一層難度は上がる!
タイトなアフタービートで攻めてくる Drum Set のリズムとこれらが対峙するさまには、聴く方のテンションも爆上がりだ。
前半部が短く再現されると転調しまた新たなフレーズが始まり…この陽気さがまたぶっ飛んでいる。
さらに転調して輝きを増したのち、静かでロマンチックな黄昏時のようなシーンへと展開するのだが、ここで Oboe の音色を効かせ、Euphonium にオブリガートを吹かせるというポップスらしからぬ配色を噛ませるあたりが、また何とも突抜けている!
後半部のフレーズを再現したのちコーダに突入、4小節にわたる全音符のハーモニーをバックに Drum Set がド派手にソロをぶちかます!
最後は悠然を感じさせる曲想も挟みつつ、鮮やかに曲を終う。
-こうして振り返ってみるとあくまでポップスの曲調ながら、実に多彩な要素がこれでもかと詰め込まれ盛り込まれていることが感じられる。やはりタダモノではないのである。
■コンクールでは
1977年度コンクールの実際の演奏は、どんな感じだったのか-。
この曲を選んだバンドは思ったように ”ノリ” が生み出せず指定テンポ (♩=112) より速いテンポで何とかしようとする演奏が多かったように思う。
パフォーマンスとして楽器と体を揺らしながら演奏するバンドは結構いたが、私自身はクラリネットのスタンドプレイをコンクールのステージで実際に目にすることはなかった。
西部 (現九州) 大会では沖縄の中学校が3本のSt. Bassを擁して演奏、ダイナミックに揺れる3本のSt. Bassは壮観だった!福岡県のコンクールでは Clarinet ソロをOboeが吹いたバンドがあった、とか色々な情報が入ってきてもいた。
九州バンドの雄にしてポップスを得意とするブリヂストン久留米は、この西部大会ではかなり遅いテンポで重い演奏。自由曲(「行列幻想」第三楽章)は華麗だったが…。
全日本吹奏楽コンクールの実況録音版で聴いたブリヂストン久留米は指揮者が西部大会とは代わり、打って変わってテンポは速く活気ある演奏に変貌していた。驚いたのは、何といってもイントロの最後で確かに聴こえる ”Disco ! ” の掛け声 ! !コンクールでそんなことするなんて想像もできなかったから…。西部大会ではやってなかったのに。
全日本吹奏楽コンクールの録音では幾つもの好演がある。前述のブリヂストン久留米の演奏のほか、瑞穂青少年吹奏楽団と駒澤大の演奏をお薦めしておきたい。
瑞穂青少年吹奏楽団はオーソドックスにして軽快なポップスに徹した演奏、なかなかスマートでさすがは東京代表という感じ。”牟田サウンド”(私の大好きなサウンド!)ここにありだ。
一方、駒澤大はもうとにかくスゴイ‼ 荒れた音のする部分もあるが、何より「俺たちはこう演奏したい、こう演奏するぞ!」というのがビンビン伝わってくる快演!
楽譜の改造?もバンバンやっていて(今なら失格である)、Percussion の追加、Clarinet ソロはアドリブ、Trumpet のオクターブ上げ炸裂、Trombone のハーモニー加筆、終結部の金管全音符→8分音符フォールダウンへの変更…などが聴き取れる。
そのどれもが奇を衒うのではなく、前述の通り「こう演奏したい!」という一本通った思想が感じられるので説得力がある。音楽というのはそもそもそういうものであるべきだ。
ステージパフォーマンスも凄かった (目撃者談)そうで、当時のコンクール聴衆はさぞや呆気にとられたことだろう。もはや現在ではこの曲の「お約束」となった” Disco ! ”の掛け声も見事な演奏である。
■推奨音源
プロフェッショナルな楽団の音源としては以下3点を挙げておく。
手塚 幸紀cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
課題曲の参考演奏として頒布され、最も人口に膾炙した好演。指定のテンポに最も近くシュアーなドラムスが印象的。
卓越した Clarinet ソロはとにかく見事で、作曲者・東海林 修も絶賛。こんな感じでパシッとリズムに嵌り、一つ一つの音の長さもアクセントもバッチリきまったソロはなかなか聴けるものではない!
時任 康文cond. 大江戸ウインドオーケストラ (Live)
”トロピカル”な演奏のディスコ・キッド。
Latin Percussion を加えた、いい感じで力の抜けたグルーヴに、フィーチャーされた Soprano Sax の音色が映える。
まさに「南の島のディスコ・キッド」だ。終結部の前には Drum Set & Percussion の見せ場を挿入、中でも Timpani ソロは大ウケ!
これに続くテュッティのサウンドの良さに、このバンドのポテンシャルの高さが窺える。
佐渡 裕cond. シエナウインドオーケストラ (Live)
中間部は Bass Clarinet~Flute~Trombone~Clarinetのソロ競演。お約束の掛け声の部分は ”シエナッ!”
この演奏はサウンドがとてもクリアーで、弱奏部分が本当に美しく、それでいてメリハリの効いた演奏である。
マエストロ・佐渡 裕の「私も16歳の時に(この曲の)Piccolo を演奏したのです」というコメントはとても微笑ましい!
【その他の所有音源】
山下 一史cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
下野 竜也cond. 九州管楽合奏団 (Live)
加養 浩幸cond. 土気シビックウインドオーケストラ
現田 茂夫cond. 大阪市音楽団 (Live)
渡邊 一正cond. 東京佼成ウインドオーケストラ
-Epilogue-
この曲が課題曲だったのはもう半世紀ほども前のこと。
そして曲自体とても特異なのに、世代を超えて現在でもウケているという事実が不思議に感じられる。
この「突抜けまくってる」曲を、当時はコンクールなどという真剣勝負?の場でこれまた「突抜けた」演奏で聴かせようと競い合っていたんだよなぁ…と思うと何だか痛快で、その世代の人間として少し誇らしくもあるのである。
<Originally Issued on 2006.7.13. / Revised on 2022.9.7. / Overall Revised on 2023.11.1.>
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